1972年、20歳の時、バンド「BUZZ」としてリリースした「ケンとメリー~愛と風のように~」が、33万枚を売り上げる大ヒットを記録した、東郷昌和(とうごう まさかず)さん。

そんな東郷昌和さんは、中学3年生の時、幼馴染の同級生・高橋幸宏さんとアマチュアバンド「ブッダズ・ナルシーシー」を結成すると、高校時代には、大学生のパーティーバンドとして活動するほか、高橋幸宏さんの兄・髙橋信之さんがCM作曲家として活動していた縁で、CM曲を歌うアルバイトもしていたといいます。

今回は、東郷昌和さんの中学時代(生い立ち)から小出博志さんとの出会いまでをご紹介します。

東郷昌和

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東郷昌和のプロフィール

東郷昌和さんは、1952年2月13日生まれ、
東京都の出身、

学歴は、
立教中学校(現・立教池袋中学校)
⇒麻布高校
⇒成城大学卒業?

ちなみに、「東郷昌和(とうごう まさかず)」は本名です。

東郷昌和は中学3年生の時に高橋幸宏とアマチュアバンド「ブッダズ・ナルシーシー」を結成していた

東郷昌和さんは、中学3年生の時、幼馴染(おさななじみ)だった高橋幸宏さんらとアマチュアバンド「ブッダズ・ナルシーシー」を結成すると、もっぱら、大学生のダンスパーティーで演奏していたそうで、

高校生の時には、夏になると、慶大生のダンスパーティーが開催される軽井沢の三笠ホテルで演奏していたそうです。

ちなみに、高橋幸宏さんとは5歳頃からの幼馴染かつ同級生だったそうですが、

高橋幸宏さんの兄・髙橋信之さんと東郷昌和さんの兄同士も同級生、高橋幸宏さんの姉・伊藤美恵さんと東郷昌和さんの姉同士も同級生、小学校は全員一緒、

しかも、高橋幸宏さんとは、「高橋」と「東郷」だったことから、出席番号は必ず高橋幸宏さんの次という、とても近い関係だったそうです。

東郷昌和は高校時代にCM曲を歌うアルバイトをしていた

そんな東郷昌和さんは、高校生の時からアルバイトでCMソングを歌っていたそうですが、

実は、高橋幸宏さんの兄・髙橋信之さん(5つ年上で大学生)が、この時すでに、バンド「ザ・フィンガーズ」としてプロで活動しつつ、CM作曲家としても活動していたことから、回ってきた仕事だったそうで、

東郷昌和さんは、

やはり、最初に歌ったCM曲は思い出深いです。 それは、ロッテボンボンガムのCMで、ピーターマックスというイラストレーターが画像に映ってるもので、

そもそもが、その画像を撮るために生バンドが欲しいと言われ、僕、細野さん、幸宏、鈴木茂というメンバーを組んで演奏し、撮影したら、『このメンバーでCMも録音しましょう!』ってことになったんです。

と、語っています。

東郷昌和は高校2年生の時に「ブッダズ・ナルシーシー」として「ヤング720」に出演し高橋幸宏と荒井由実とセッションしていた

また、東郷昌和さんは、高校2年生の時には、「ブッダズ・ナルシーシー」として、若者向け情報番組「ヤング720」に出演していたそうですが、この時には、まだ中学3年生だった荒井由実(松任谷由実)さんもピアノで参加していたといいます。

実は、荒井由実さんは、この時、髙橋信之さんのバンド「ザ・フィンガーズ」の追っかけをしており、

私、曲も書けます

と言って、髙橋信之さんに自身が作曲した曲を渡したそうですが、

これを聴いた髙橋信之さんが「おっ」と思い、東郷昌和さんに電話して、東郷昌和さんが歌うことになったそうで、

「ヤング720」では、荒井由実さんがピアノを弾き、高橋幸宏さんがドラムを叩き、東郷昌和さんが歌ったのだそうです。

(その曲は「マホガニーの部屋」という曲で、後に、荒井由実さんは「翳りゆく部屋」としてリリースしています)

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東郷昌和は大学1年生の時に高橋幸宏の紹介で小出博志と知り合っていた

その後、東郷昌和さんは、高校3年生の時には、大学受験のため、音楽活動を休止していたそうですが、

無事、大学進学を果たすと、大学1年生の終わり頃には、高橋幸宏さんと小原礼さんとバンドを結成し、ライブをやろうということになったそうで、

東郷昌和さんは、それならばと、高橋幸宏さんに、

なら、もう1人シンガーが欲しい

と、言うと、

高橋幸宏さんは、自身がサポートしていたバンド「インディアンアップル」のボーカルだった、(後に「BUZZ」で活動を共にすることになる)小出博志さんを紹介してくれたのだそうです。

(高橋幸宏さんは、この時、小原礼さんと共に、フォークグループ「ガロ」で活動していました)

「【画像】東郷昌和の若い頃から現在までの代表曲や経歴は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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