山脇服飾美術学院(現・山脇美術専門学院)卒業後、デザイナー・花井幸子氏の会社に入社すると、ブティックで、アシスタント、デザイン、販売、経営を学び、

1970年、26歳の時には独立し、実弟の高橋幸宏さんら兄弟と共に、東京・青山に、ブティック「バズショップ」を設立し、自ら、デザイナー兼経営者として19店舗の運営に成功している、伊藤美恵(いとう みえ)さん。

今回は、そんな伊藤美恵さんの、生い立ち、若い頃から現在までの経歴、夫、子供(息子)などをご紹介します。

伊藤美恵

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伊藤美恵のプロフィール

伊藤美恵さんは、1944年7月1日生まれ、
東京都目黒区大岡山の出身、

学歴は、
山脇服飾美術学院(現・山脇美術専門学校)卒業、

ちなみに、伊藤美恵さんは、

私は旧姓は高橋だけど結婚して今は伊藤を名乗っているから

と、語っており、

「伊藤美恵」は本名で、旧姓は「髙橋美恵」です。

また、兄弟には、長弟に、音楽プロデューサーで「ワグ」の副社長も務める髙橋信之さん、次弟に、元「YMO」のドラマー・高橋幸宏さんがいます。

(※ハーブ奏者の伊藤美恵さんは同姓同名の別人です)

伊藤美恵は幼い頃から裕福な家庭で何不自由なく育っていた

伊藤美恵さんは、味の素の容器のドラム缶を扱う商事会社の社長だったお父さんのもと、5人きょうだいの長女として誕生したそうで、

小学校時代は運転手付きの車で送迎してもらうなど、裕福な家庭で何不自由なく育ったそうです。

伊藤美恵は少女時代から自分で洋服をデザインしてオーダーメイドしていた

また、伊藤美恵さんは、幼い頃から、洋服は全て仕立て屋でオーダーメイドという恵まれた環境で育ったそうですが、

少女時代には、ブリジット・バルドー、フェイ・ダナウェイ、ジャクリーヌ・ササールが出演する映画のワンシーンなどから、印象に残った洋服のイメージを自分でデザインしてオーダーするなど、洋服が好きな女の子だったそうです。

伊藤美恵は22歳の時にファッションデザイナー・花井幸子の会社に入社

その後、伊藤美恵さんは、 山脇服飾美術学院(現・山脇美術専門学院)に入学したそうで、

卒業後の1966年、22歳の時には、ファッションデザイナー・花井幸子氏の会社に入社して、ブティック「Yukiko Hanai(ユキコハナイ)」に勤め、仕事の基礎とファッションビジネスの要諦を学んだそうです。

伊藤美恵は26歳の時に独立し兄弟とブティック「BUZZ SHOP(バズ ショップ)」を立ち上げていた

そんな伊藤美恵さんは、4年間、花井幸子氏のブティックに勤務すると、

1970年、26歳の時には独立し、実弟の高橋幸宏さんら兄弟たちと一緒に、ブティック「BUZZ SHOP(バズ ショップ)」を東京・青山に立ち上げ、デザイナー兼経営者として活動したそうです。

伊藤美恵は37歳の時に有限会社「デザイン・オフィス・ミエ」を設立

すると、「BUZZ SHOP(バズ ショップ)」は、1970年代には、直営、フランチャイズも含め、19店舗を展開するなど、大成功を収めたそうですが・・・

1981年には、取引先の連鎖倒産に巻き込まれる形で解散。

それでも、同年、有限会社「デザイン・オフィス・ミエ」を設立すると、三陽商会をはじめ数多くのアパレル企業と契約し、デザイン業・プロデュース業を行うようになっていったそうです。

伊藤美恵は40歳の時に「アタッシェ・ドゥ・プレス」を手掛けるようになっていた

そんな伊藤美恵さんは、その後、フランス・パリに渡ると、「アタッシェ・ドゥ・プレス(Attachés de presse)」という職業に出会ったことで、デザイナーの仕事を辞め、

1984年、40歳の時、「アタッシェ・ドゥ・プレス」業務を手掛けるようになったそうで、

伊藤美恵さんは、

(「BUZZ SHOP(バズ ショップ)」で)私自身がデザイナー兼経営者としてブレイクから倒産までを経験することになるのですが、デザイナーとしてモノ作りの限界を感じて、表舞台よりも裏舞台(後のアタッシェ・ドゥ・プレスの仕事)のあり方に考えがシフトしていきました。

と、語っています。

(アタッシェ・ドゥ・プレスの仕事とは、メディアやジャーナリストと接しながら、企業やブランド、サービスなどの情報を消費者に伝え、販売促進やブランドイメージの向上に結びつけていく仕事のことを言うそうで、伊藤美恵さんがパリで初めて「アタッシェ・ドゥ・プレス」に出会った頃、職種はもちろん、PRの役割自体が日本には全くなかったそうです)

伊藤美恵は41歳の時にPRコンサルタント会社・株式会社「ワグ」を設立

その後、伊藤美恵さんは、1985年、41歳の時には、有限会社「デザイン・オフィス・ミエ」を改め、PRコンサルタント会社・株式会社「ワグ」を設立したそうで、

本格的にブランドの企画やプロデュースを始め、国内外の有名ブランドの広報・PR業務を数多く手掛けたそうです。

伊藤美恵は59歳の時にアタッシェ・ドゥ・プレスの養成学校「ミエ・エファップ・ジャポン(現・エファップ・ジャポン)」を開設

そんな中、伊藤美恵さんは、日本における「アタッシェ・ドゥ・プレス」の重要性を痛感し、「このままではいけない」と、後進育成のための学校設立を考え始めたそうで、

2003年、59歳の時には、アタッシェ・ドゥ・プレスの養成学校「ミエ・エファップ・ジャポン(現・エファップ・ジャポン)」を開設し、学長を務めています。

伊藤美恵が手掛けたブランドは?

それでは、最後に伊藤美恵さんが手掛けたブランドについてご紹介しましょう。

  • BUZZ SHOP(バズショップ)
  • ヴィヴィアン・ウエストウッド
  • マーク ジェイコブス
  • マルニ
  • ステファン・ケリアン
  • バリー
  • ミミ・ソー NY
  • FOREVER 21

など、数多くのブランドを手掛けています。

また、伊藤美恵さんは、

2004年、60歳の時には、毎日新聞社主催「第22回毎日ファッション大賞」鯨岡阿美子賞を受賞、

2009年、65歳の時には、フランス文化の伝搬に貢献したとして、フランス芸術文化勲章「シュヴァリエ」を受章しています。

そして、2007年2月には、著書「情熱がなければ伝わらない!アタッシェ・ドゥ・プレスという仕事」を刊行しています。

伊藤美恵の夫は?

ところで、そんな伊藤美恵さんの夫は、ファッションデザイナーの山本耀司氏と小学校時代の同級生だそうですが、

伊藤美恵さんは、プライベートについてほとんど明かしておらず、詳細は不明です。

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伊藤美恵の子供(息子)は伊藤壮一郎

伊藤美恵さんには、少なくとも子供(男の子)が1人おり、ファッションデザイナーの伊藤壮一郎さんは息子さん(1977年誕生)です。

伊藤壮一郎
伊藤美恵さんの息子・伊藤壮一郎さん。

伊藤壮一郎さんは、高校卒業後、イギリス留学を経て、青山学院大学に入学すると、経済史を学ぶかたわら、独自に服を作り始めたそうで、

お母さんである伊藤美恵さんから「ブランドをやったら面白いんじゃないか」との勧めもあり、大学在学中の2001年~2002年、秋冬シーズンより、メンズブランド「soe」をスタートさせると、2013年には、オリジナルのコンセプトショップ「M.I.U.」をオープン。

ただ、2018年には、デザイナーを退き、現在は、「soe」のディレクターとしてブランド、ショップを監修しているそうです。

また、2021年には、お母さんである伊藤美恵さんが設立した株式会社「ワグ」の代表取締役に就任しているそうです。

お読みいただきありがとうございました

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