大学在学中の1972年、19歳の時、加藤和彦さんに誘われて「サディスティック・ミカ・バンド」に加入し、1975年には、人気絶頂だったイギリスのロックバンド「ロキシー・ミュージック」の全英ツアーに前座として帯同すると、海外(特にイギリス)で高い評価を受けた、高橋幸宏(たかはし ゆきひろ)さん。

今回は、高橋幸宏さんの若い頃(「サディスティック・ミカ・バンド」時代)をアルバムなどを交えて時系列でご紹介します。

「サディスティック・ミカ・バンド」時代の高橋幸宏

「高橋幸宏の実家は?生い立ちは?小5でドラム!高校時代は荒井由実とも!」からの続き

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高橋幸宏は19歳の時に加藤和彦に誘われ「サディスティック・ミカ・バンド」に加入していた

高橋幸宏さんは、高校卒業後、武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン学科に進学すると、

大学在学中の1972年、19歳の時、テレビ番組「ヤング720」出演時に知り合った加藤和彦さんに誘われ、加藤和彦さんが結成した「サディスティック・ミカ・バンド」に加入しています。

(「サディスティック・ミカ・バンド」は、この年(1972年)、ファーストシングル「サイクリング・ブギ」でデビューしているのですが、ほどなくして、ドラマーの角田ひろ(現・つのだ☆ひろ)さんが脱退し、その後、大口広司さんが一時的に加入した後、高橋幸宏さんが加入したそうです。また、高橋幸宏さんが小原礼さん(ベース)を誘っており、小原礼さんも加入しています)

「サディスティック・ミカ・バンド」
「サディスティック・ミカ・バンド」。右から2番目が高橋幸宏さん。

高橋幸宏は20歳の時に「サディスティックミカ・バンド」としてアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」、22歳の時に「黒船」をリリース

その後、「サディスティック・ミカ・バンド」は、1973年5月1日、日本武道館で「ラブ・ジェネレーション・ライブ・コンサート」を開催し、同年5月5日、ファーストアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」をリリースすると、

同年9月リリースされた、泉谷しげるさんのアルバム「光と影」では、「加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド」名義で参加するほか、

1974年には、ロックバンド「キャロル」とのジョイントツアーも行うなど精力的に活動しています。

また、ビートルズやピンク・フロイドなどを手掛けたイギリスの大物音楽プロデューサーのクリス・トーマスさんの目に留まり、1974年11月5日には、クリス・トーマスさんプロデュースにより、2枚目のアルバム「黒船」をリリースしています。

高橋幸宏は23歳の時に「サディスティック・ミカ・バンド」としてイギリスのロック・バンド「ロキシー・ミュージック」の全英ツアーに前座として帯同しイギリスで高い評価を受けていた

そんな「サディスティック・ミカ・バンド」は、海外(特にイギリス)で評価されたそうで、

1975年には、当時、人気絶頂だった、ブライアン・フェリーさんがボーカルを務めるロック・バンド「ロキシー・ミュージック」の全英ツアーにも前座として帯同すると、

(会場はどこも大盛況だったそうです)

観客は、「サディスティック・ミカ・バンド」の音楽に対しても想像を超える熱狂ぶりだったほか、イギリスの名だたるロックスターたちも、「サディスティック・ミカ・バンド」に興味を持ち、「サディスティックミカ・バンド」を見るために、楽屋まで訪れてきたこともあったといいます。

(観客として訪れたスティーブ・ジャンセンさんは、高橋幸宏さんのドラミングに大きな影響を受けたそうで、後に、高橋幸宏さんとコラボしています)

ただ、日本に帰国すると、拍子抜けするほど静かで、ほとんど話題になっていなかったそうで、

高橋幸宏さんは、

あのころは海外で評価されたものが受けない風潮があったし、「日本を捨てるのか」なんて言われたりしてね(笑)。

ただ、あのイギリスツアーがあったから、YMOのワールドツアーも臆することなく乗り切れた。そのぐらい貴重な経験でした。

と、語っています。

(「サディスティック・ミカ・バンド」は、1975年11月、3枚目のアルバム「HOT! MENU」をリリースすると同時に解散しています)

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高橋幸宏は「サディスティック・ミカ・バンド」時代に坂本龍一と知り合っていた

ちなみに、高橋幸宏さんは、「サディスティック・ミカ・バンド」で活動していた時代、日比谷野音のイベントで、山下達郎さんのバックでキーボードを弾いていた坂本龍一さんと知り合ったそうですが、

この時、坂本龍一さんは、長髪に、切りっぱなしのジーパン、ゴム草履で足の爪は真っ黒、といった完全なヒッピースタイルで、高橋幸宏さんが、これまで出会ったことがないタイプの人だったそうで、

一方、坂本龍一さんも、ケンゾーのジャンプスーツにスカーフという格好だったという高橋幸宏さんのことを、

こんな女みたいな格好したやつがロックなんてできっこない

と、思っていたそうですが、

お互い、それまで出会ったことがないタイプだったことが逆に刺激的で、すぐに、家を行き来するほど仲良くなったそうで、

高橋幸宏さんは、

教授(坂本龍一さん)はセッションミュージシャンとしてジャズには詳しいけれど、ポップスは感覚ではなくロジカルに分析しないとダメなタイプ。それが僕にとっては非常に興味深かった。

と、語っています。

「【画像】高橋幸宏の若い頃(YMO時代)は?作曲したライディーンが大ヒット!」に続く

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