1960年代から1970年代、若手アクションスターとして活躍すると、その後は、端正な顔立ちでありながら、どこか影のあるニヒルな雰囲気と人間味あふれる演技で、主にバイプレーヤーとして活躍した、峰岸徹(みねぎし とおる)さん。

そんな峰岸徹さんは、2008年10月11日、65歳で他界されているのですが、実は、この年の4月、腰痛を患い、検査を受けたところ、末期の肺ガンであることが判明していたといいます。

今回は、峰岸徹さんが肺ガンと判明した時のこと、他界された時の状況、死因についてご紹介します。

峰岸徹

「【画像】峰岸徹の若い頃(俳優デビュー)から死去までの出演ドラマ映画は?」からの続き

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峰岸徹は64歳の時、腰痛から末期の肺ガンが判明していた

峰岸徹さんは、2001年から、宮古島で開催されるトライアスロンのレースに参加しており、2008年、64歳の時も、4月の大会に向け、2月から自転車の練習を開始していたそうですが、そんな中、激しい腰痛に襲われたそうで、

その痛みの原因を調べるため、4月に検査入院すると、検査の結果、肺に末期のガン(ステージ4)が見つかり、すでに腰骨にも転移していることが判明したといいます。

(腰痛の原因はガンの転移によるものでした)

峰岸徹は抗ガン剤投与と放射線治療を2ヶ月間受けた後仕事に復帰していた

それでも、峰岸徹さんは、4月7日に腰の手術を受けた後、5月から2ヶ月かけて抗ガン剤投与と放射線治療を受けると、

(6月に予定していた舞台「あした~愛の名言集」は”腰痛の悪化”を理由に降板しています)

その後、治療の効果が出て体力が回復し、同年7月17日には、旅番組「絶景!大自然の露天湯めぐり旅」(8月9日放送)の収録で、仕事復帰しています。

ちなみに、峰岸徹さんは、ガンであることを伏せていたのですが、7月16日にスポニチに報じられて、明らかとなると、見舞客らに、

ガンと付き合いながら生きていく。同じ病で悩んでいる人の励みになれば

と、語っていたといいます。

峰岸徹の病状は一進一退を繰り返していた

そして、その後も、峰岸徹さんは、週1回の通院と3週間に1度の抗ガン剤治療を受けながら、トーク番組など、体に負担がかからない仕事から、少しずつ仕事を本格化させていったそうですが・・・

病状は、一進一退を繰り返していたといいます。

そんな中、7月21日、病床に伏していたところ、大林宣彦監督からの熱烈なオファーを受けたそうで、

一度は体調不良を理由に断ったそうですが、大林宣彦監督たっての希望により、映画「その日のまえに」のワンシーンの撮影を1時間弱かけて自宅で敢行すると、なんと、この撮影で元気を取り戻したそうで、

その後、ビデオ映画「東京NEO魔悲夜(マフィア)」の撮影にも参加したのだそうです。

また、9月に入り、本木雅弘さん演じる主人公の父親役(作中で他界する設定)で出演していた映画「おくりびと」が公開されると(撮影は2007年4月~5月)、

米アカデミー賞外国語映画賞(現・国際長編映画賞)の日本代表にノミネートされているのですが、

病床でそのニュースを知った峰岸徹さんは、とても喜び、「来年の授賞式には行きたい」と、ひそかに英語のスピーチを練習していたといいます。

(「おくりびと」は、2009年、「第81回アカデミー賞」で、日本映画として初めての外国語映画賞を受賞しています)

峰岸徹の死因は?

しかし、2008年9月27日、肺の内出血が判明し入院すると、10月4日頃から意識がもうろうとなり、10月11日夜、容体が急変したそうで、同日午後11時32分、がん研有明病院で家族に見守られながら、肺ガンにより、65歳で他界されたのでした。

(葬儀は、峰岸徹さんの遺志により2008年10月14日以降に密葬が営まれたそうです)

ちなみに、峰岸徹さんの死後の11月に前述の大林宣彦監督映画「その日のまえに」(峰岸徹さんの遺作)が公開されているのですが、公開初日、舞台挨拶に登壇した大林宣彦監督は、公私ともに親しくしていたという峰岸徹さんを偲び、

(峰岸徹さんは)撮影時には発病していたので出演は無理かと思っていた。映画の中で立派に生きてくれた

僕が30年間に撮った劇映画35作の中で、トン(峰岸さんの愛称)は28作も出てる弟のような存在でした。何度OKを出しても満足しないやつ。今こそ『カット、OK!』と声を掛けたい

と、追悼しています。

(峰岸徹さんは、ジャッキー・チェンさん主演の香港・日本合作映画「新宿事件(新宿インシデント)」やビデオ映画「東京NEO魔悲夜(マフィア)」の撮影も生前に終えており、どちらもヒットすることを病床で願っていたといいます)

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峰岸徹のお別れ会は?

また、同年12月15日には、都内で、「お別れの会」が執り行われると、発起人には、大林宣彦監督のほか、生前のトライアスロンやヨット仲間一同が名を連ね、

祭壇には、峰岸徹さんが生前愛した海とヨットが、ブルーの照明、約4,000個のバルーン、ラン科の花「デンファレ」などで作られ、これまで出演した作品の台本や、トライアスロン大会のユニフォームなど思い出の品約100点が展示される中、

(会場には中尾彬さん、古谷一行さん、なべおさみさん、原田夏希さんら多くのゆかりの深い人々が駆けつけたそうです)

峰岸徹
峰岸徹さんの「お別れ会」。

明るくオープンな性格だった峰岸徹さんの人柄を反映してか、参加者同士が談笑するなど、終始、明るい雰囲気で行われたといいます。

ちなみに、「お別れ会」の開会前、発起人を代表して取材に応じた大林宣彦監督は、

普段は気のいいおじさん。兄貴としては順番が違うけど・・・よき父、よき夫、そしてよきジジイだった。全ての人と約束を果たした男。顔は二枚目だが、精神は大の三枚目でしたね

彼は闘病中も、若い人たちに自分の考え方を伝えるため、求められれば病室から撮影現場に駆けつけていた。俳優として大事なのは人としての魅力があるかどうかですが、その点、彼は全国どこへ行っても多くの人に愛される存在でした。

私は彼の人生最後の『OK!』カットの声をかけました。最後まで俳優ではなく一人の友人として付き合い、彼はスポーツマンらしく次世代に(未来を)託していきましたね

と、峰岸徹さんの人柄を明かしています。

「峰岸徹と岡田有希子の本当の関係は?自殺未遂と自殺の理由は別だった?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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