1962年、「高校生と女教師・非情の青春」で映画デビューすると、脇役ながら東宝で着実にキャリアを積み、その後、「俳優座養成所」「文学座養成所」を経て、1968年、大映と契約すると、
映画産業が斜陽化する中、末期状態だった大映の期待の星として、「出獄四十八時間」「闇を裂く一発」などの作品に出演し、その精悍なルックスと圧倒的な演技力で異彩を放った、峰岸徹(みねぎし とおる)さん。
今回は、そんな峰岸徹さんの、若い頃(俳優デビュー以降)から死去までの経歴を代表作を交えながら時系列でご紹介します。

「峰岸徹の生い立ちは?幼少期は?六本木野獣会でスカウトされ芸能界入り!」からの続き
峰岸徹は19歳の時に「高校生と女教師・非情の青春」で映画デビュー
1961年頃(18歳の頃)、「渡辺プロダクション」の副社長・渡邊美佐さんにスカウトされて芸能界入りした峰岸徹さんは、1962年、19歳の時には、「高校生と女教師・非情の青春」で映画デビューを果たしているのですが(「峰 健二」名義)、
“和製ジェームズ・ディーン”と称されていた赤木圭一郎さんとルックスがよく似ていたことから、マスコミからは、”第2の赤木圭一郎””赤木圭一郎の生き写し”と呼ばれました。
(赤木圭一郎さんは、石原裕次郎さんや小林旭さんとともに日活映画の全盛期に活躍するも、1961年、撮影中の昼休みにセットでゴーカートを運転中、事故を起こし、21歳という若さで他界されています)


峰岸徹さんは、同じ「六本木野獣会」のメンバーだった田辺靖雄さん、東宝の新人女優だった南弘子さん、桜井浩子さんと「4 CARDS」として売り出されました
峰岸徹は19歳~24歳頃、二枚目ぶりが際立つあまり演技力が評価されず悩んでいた
そんな峰岸徹さんは、その後も、立て続けに東宝映画に出演し、同年(1962年)には、「若い季節」でテレビドラマデビューも果たしているのですが、
その端正な二枚目ぶりが際立つあまり、若手時代は、演技力が評価されず、峰岸徹さん自身も深く悩んでいたといいます。
峰岸徹は25歳~28歳の時、大映映画で精悍なルックスを武器に存在感を示していた
そこで、峰岸徹さんは、1964年頃、東宝を辞め、「俳優座養成所」に入所すると、1967年、24歳の時には、「文学座養成所」に入所し、
翌年の1968年には、田宮二郎さんに続く看板スターを探していた大映と契約を結ぶと(芸名を「峰岸隆之介」に改名しています)、
以降、その精悍(せいかん)なルックスを武器に、
- 1968年「講道館破門状」※主演

「講道館破門状」より。 - 1968年「闇を裂く一発」※主演

「闇を裂く一発」より。 - 1969年「出獄四十八時間」

「出獄四十八時間」より。 - 1969年「女賭博師十番勝負」
- 1970年「忍びの衆」
- 1970年「太陽は見た」
- 1970年「皆殺しのスキャット」
- 1971年「タリラリラン高校生」
- 1971年「夜の診察室」

「夜の診察室」より。峰岸徹さんと松坂慶子さん。
などの作品の中で、ギラギラとした海の男やクールな殺し屋などを好演し、唯一無二の圧倒的な存在感を示したのでした。
峰岸徹は28歳の時、大映が倒産しフリーとなっていた
こうして、峰岸徹さんは、大映の永田雅一社長から、田宮二郎さんに代わる新たな看板スター候補として大きな期待を寄せられていたのですが、
映画産業自体がすでに斜陽の一途をたどっていた中、経営悪化で末期状態だった大映を救うことは出来ず、1971年12月、大映が倒産すると(翌年破産通告)、
これをきっかけに、峰岸徹さんは、特定の映画会社に属さず、フリーの俳優として活動するようになっています。
峰岸徹は29歳の時、日活ロマンポルノ「哀愁のサーキット」の主演で新境地を開拓していた
その後、峰岸徹さんは、1972年、29歳の時には、日活ロマンポルノ「哀愁のサーキット」で主演を務め、新境地を開拓しています。
峰岸徹は33歳の時にNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」で源扶(みなもとの たすく)役
また、峰岸徹さんは、1976年、33歳の時には、NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」で源扶(みなもとの たすく)役を好演しています。

「風と雲と虹と」より。
峰岸徹は46歳の時、映画「ゴジラvsビオランテ」の権藤吾郎役で高い評価を受けていた
その後も、峰岸徹さんは、テレビドラマや映画で味のある脇役として活躍していたのですが、
特に、1989年に公開された映画「ゴジラvsビオランテ」で演じた、自衛隊の権藤吾郎役では、劇中、数々の名セリフと名シーンを演じており、
前半、ゴジラの監視役を命じられ、
♪探し物は何ですか〜♪
(抗核バクテリア捜索時に車中で口ずさむ、どこかユーモラスな一幕)
アーメン
(バイオメジャーの時限爆弾がタイムオーバーになった瞬間の、皮肉の効いた一言)
最悪の展開ですなあ
(ゴジラ復活とバクテリア強奪が重なった際の、危機的状況を表す名セリフ)
と、退屈そうな態度から、
一転、後半、大阪ビジネスパーク(ツインタワー)でのゴジラとの最終決戦シーンでは、
クスリは注射より、飲んだ方が効くぜ、ゴジラさん
という名台詞を放ち、
ビル上階からゴジラの口腔めがけてバズーカ砲で抗核バクテリア弾を撃ち込むも、怒れるゴジラの猛反撃により壮絶な戦死を遂げるなど、強烈なインパクトを残し、高い評価を受けました。

「ゴジラvsビオランテ」より。
峰岸徹は34歳~58歳の時、大林信彦監督作品の常連俳優だった
また、峰岸徹さんの持つ独特の雰囲気は、ロマンティックで非日常的な世界観(大林ワールド)の大林宣彦監督から重宝され、
1980年代から2000年代にかけて、大林宣彦監督作品に欠かせない常連俳優(大林組)として、
- 1977年「瞳の中の訪問者」
- 1981年「ねらわれた学園」

「ねらわれた学園」より。
- 1983年「麗猫伝説」
- 1984年「天国にいちばん近い島」
- 1985年「さびしんぼう」
- 1986年「彼のオートバイ、彼女の島」
- 1988年「異人たちとの夏」
- 1995年「あした」
- 2001年「告別」
など、実に30年間で28本の作品に出演しています。
峰岸徹は50歳の時、テレビドラマ「高校教師」での異常な父親役が話題となっていた
そんな峰岸徹さんは、1993年、50歳の時には、テレビドラマ「高校教師」で、自分の娘である主人公に性的虐待を繰り返す異常な父親役を演じ、大きな話題となっています。

「高校教師」より。
峰岸徹は「ものまね王座決定戦」などバラエティ番組にも数多く出演していた
一方で、峰岸徹さんは、バラエティ番組(クイズ番組、トーク番組)や旅番組などにも数多く出演しており、
「ものまね王座決定戦」では、長年、審査員を務め、コワモテなルックスとは裏腹に親しみやすくコミカルな一面を披露し、お茶の間の人気を博しました。

峰岸徹は65歳で死去
また、峰岸徹さんは、2000年、57歳の時から、宮古島で開催されるトライアスロンのレースに参加しており、2008年も、4月の大会に向けて、2月から自転車の練習を開始していたそうですが、
激しい腰痛に襲われ、その痛みの原因を調べるため、4月に検査入院すると、検査の結果、肺に末期のガンが見つかり、すでに腰骨にも転移していることが判明したそうで(腰痛の原因はガンの転移によるものだったそうです)、
腰の手術を受けた後、5月から抗ガン剤投与と放射線治療を開始すると、その後、治療の効果が出て体力が回復し、体調を見ながら仕事を再開していたそうですが・・・
同年10月11日夜、容体が急変し、同日午後11時32分、都内の病院で他界されています。
峰岸徹の出演作品(映画)
それでは、最後に、峰岸徹さんの出演作品をご紹介しましょう。
映画では、
- 1962年「高校生と女教師 非情の青春」
- 1962年「ニッポン無責任時代」

「ニッポン無責任時代」より。
- 1963年「六本木の夜 愛して愛して」※主演

「六本木の夜 愛して愛して」より。中川ゆきさんと峰岸徹さん。 - 1963年「あの娘に幸福を」※主演
- 1963年「林檎の花咲く町」
- 1964年「喜劇駅前女将」
- 1964年「男嫌い」
- 1968年「講道館破門状」

「講道館破門状」より。梓英子さんと峰岸徹さん。 - 1968年「闇を裂く一発」※主演
- 1969年「出獄四十八時間」
- 1969年「女賭博師十番勝負」
- 1970年「忍びの衆」
- 1970年「太陽は見た」
- 1970年「皆殺しのスキャット」
- 1971年「タリラリラン高校生」
- 1971年「夜の診察室」
- 1971年「告白的女優論」
- 1972年「百万人の大合唱」
- 1972年「不良番長 のら犬機動隊」
- 1972年「無宿人御子神の丈吉 牙は引き裂いた」
- 1972年「無宿人御子神の丈吉 川風に過去は流れた」
- 1972年「喜劇 泥棒大家族 天下を盗る」
- 1972年「哀愁のサーキット」※主演
- 1973年「混血児リカ ひとりゆくさすらい旅」
- 1973年「ザ・ゴキブリ」
- 1974年「鬼輪番」
- 1974年「学生やくざ」
- 1975年「金環蝕」
- 1975年「動脈列島」
- 1976年「バカ政ホラ政トッパ政」
- 1977年「BLACK JACK/瞳の中の訪問者」
- 1977年「人間の証明」
- 1978年「サード」
- 1978年「冬の華」
- 1978年「赤穂城断絶」
- 1979年「乱れからくり」
- 1979年「金田一耕助の冒険」
- 1981年「ねらわれた学園」
- 1982年「コールガール」
- 1982年「制覇」
- 1982年「遠野物語」
- 1983年「小説吉田学校」
- 1983年「廃市」
- 1984年「天国にいちばん近い島」
- 1984年「F2グランプリ」
- 1985年「カポネ大いに泣く」
- 1985年「さびしんぼう」
- 1985年「最後の博徒」
- 1985年「南へ走れ、海の道を!」
- 1986年「彼のオートバイ、彼女の島」
- 1986年「野ゆき山ゆき海べゆき」
- 1988年「帝都物語」
- 1988年「異人たちとの夏」
- 1989年「右曲がりのダンディー」
- 1989年「北京的西瓜」
- 1989年「ゴジラvsビオランテ」
- 1989年「螢」
- 1989年「べっぴんの町」
- 1992年「彼女が結婚しない理由」
- 1993年「水の旅人 侍KIDS」
- 1993年「KOYA 澄賢房覚え書」
- 1995年「鬼平犯科帳 劇場版」
- 1995年「大夜逃~夜逃げ屋本舗3~」
- 1995年「あした」
- 1996年「風のかたみ」
- 1996年「極道戦国志 不動」
- 1999年「惚れたらあかん 代紋の掟」
- 2000年「難波金融伝 ミナミの帝王 劇場版XV/商工ローン・保証人の落とし穴」
- 2001年「告別」
- 2001年「BACK STAGE/バックステージ」
- 2002年「凶気の桜」
- 2003年「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」
- 2003年「劇場版 首領への道」
- 2004年「禁断の事件簿 ストーカーを愛した女」
- 2004年「TOKYO NOIR トウキョーノワール『NIGHT LOVERS』」
- 2005年「難波金融伝ミナミの帝王32『金になる経歴』」
- 2005年「劇場版 超星艦隊セイザーX 戦え!星の戦士たち」
- 2005年「キャッチボール屋」
- 2006年「人生ごっこ!?」
- 2007年「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」
- 2008年「映画 クロサギ」
- 2008年「哀憑歌~CHI-MANAKO~」
- 2008年「丘を越えて」
- 2008年「おくりびと」
- 2008年「その日のまえに」※遺作
- 2009年「新宿インシデント」
- 2009年「喧嘩高校軍団 國士義塾VS朝高」
峰岸徹の出演作品(テレビドラマ)
テレビドラマでは、
- 1962~1964年「若い季節」
- 1971年「天皇の世紀」
- 1972年「おやじ山脈」
- 1973年「水滸伝」
- 1974年「バーディー大作戦」
- 1975年「太陽にほえろ!」
- 1976年「風と雲と虹と」
- 1977年「Gメン’75」

「Gメン’75」より。 - 1978年「こおろぎ橋」
- 1979年「鉄道公安官」
- 1980年「赤い魂」
- 1981年「秘密のデカちゃん」
- 1982年「峠の群像」
- 1983年「大奥」
- 1984年「松本清張の地の骨」
- 1985年「禁じられたマリコ」

「禁じられたマリコ」より。 - 1986~1987年「このこ誰の子?」
- 1988年「ニューヨーク恋物語」
- 1989年「勝手にしやがれヘイ!ブラザー」
- 1990年「はぐれ刑事純情派」
- 1991年「寛永風雲録 激突!知恵伊豆対由比正雪」
- 1992年「鬼平犯科帳」
- 1993年「高校教師」

「高校教師」より。真田広之さん(左)と峰岸徹さん(右)。 - 1994年、1996年「古畑任三郎」
- 1995年「金田一少年の事件簿」
- 1997年「砂の城」
- 1998年「新選組血風録」
- 1999年「美しい人」
- 2000年「おだまりコンビ 芸能界 殺しのシナリオ」
- 2001年「傷だらけのラブソング」
- 2002年「暴れん坊将軍XII」
- 2003年「女監察医・室生亜季子32」
- 2004年「牡丹と薔薇」
- 2005年「相棒 Season IV」

「相棒 Season IV」より。 - 2006年「黒い太陽」
- 2007年「華麗なる一族」
- 2008年「ネコナデ」
など、非常に数多くの作品に出演しています。
「峰岸徹の死因は?腰痛から末期の肺ガンが判明していた!お別れ会は?」に続く
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1960年代から1970年代、若手アクションスターとして活躍すると、その後は、端正な顔立ちでありながら、どこか影のあるニヒルな雰囲気と人間味あふれる演技で、主にバイプレーヤーとして活躍した、峰岸徹(みねぎし とおる)さん …




















































































