40年以上もの間、俳優として、映画、テレビドラマ、舞台などに出演するほか、突然思いつき、50代半ばからトライアスロンのレースにも参加していたという、峰岸徹(みねぎし とおる)さん。
そんな峰岸徹さんは、結婚を2回、離婚を1回しています。
今回は、峰岸徹さんの、前妻(最初の妻)藍とも子さん、再婚相手(2番目の妻)、子供(娘2人息子1人)についてご紹介します。

「峰岸徹と岡田有希子の本当の関係は?自殺未遂と自殺の理由は別だった?」からの続き
峰岸徹の前妻(最初の妻)藍とも子との馴れ初めは?
峰岸徹さんは、1976年3月、32歳の時、12歳年下の女優・藍とも子さんと結婚しています。

峰岸徹と前妻・藍とも子さん。
実は、峰岸徹さんは、1975年、テレビドラマ「プレイガールQ」での共演で藍とも子さんと知り合うと、すぐ意気投合したそうで、お互いをよく知らないまま、交際半年でスピード婚したといいます。
峰岸徹の前妻(最初の妻)藍とも子の離婚理由は?
ただ、結婚後も、藍とも子さんが、女優として活動を続けていると、ある時、ドラマの出演オファーが舞い込んだそうですが、
(藍とも子さんは、1975年に「メカゴジラの逆襲」でサイボーグの少女を演じ、大ブレイクしたばかりの期待の新人女優でした)
峰岸徹さんは、
役者は自分を安売りするべきではない
と、脇役での出演に猛反対。
さらに、その後、届いたCMの出演依頼に対しても、
そんなものは女優の仕事ではない
と、一蹴したそうで、
結局、藍とも子さんは、翌1977年には芸能界を引退。
また、次第に、2人の間の会話も失われたそうで、結婚6年目を迎えた頃、藍とも子さんが、わずか数万円の現金を手に、着の身着のままで家を飛び出すと、
そのまま2人は一度も顔を合わせることなく、すべての手続きを書面のみで進め、1983年に離婚が成立したのだそうです。
峰岸徹の再婚相手(2番目の妻)は?
峰岸徹さんは、藍とも子さんと離婚後、1987年、44歳の時、26歳の元会社員の女性と再婚しています。
峰岸徹さんは、奥さんについて、ほとんど語っていないことから、馴れ初め、結婚に至った経緯については不明ですが、
当初、1986年4月に予定していたという入籍と身内だけの結婚パーティーは、岡田有希子さんとの報道により、1年後(岡田有希子さんの一周忌後)に延期していたといいます。
峰岸徹の子供は3人(娘2人、息子1人)
峰岸徹さんには、
- 前妻(最初の妻)藍とも子さんとの間に、女の子が1人
- 再婚相手(2番目の妻)との間に、女の子1人と男の子1人
と、合計3人の子供がいます。
娘(長女)は?
峰岸徹さんは、前妻(最初の妻)藍とも子さんとの間に、1978年頃、女の子(長女)が誕生しているのですが、藍とも子さんが家を出ていった後は、当時4歳だった長女を一人で育てていたそうで、
そんな中、峰岸徹さんが交際していた女性に長女がなついたことから、その女性(再婚相手(2番目の妻))と結婚したといいます。
峰岸徹さんは、奥さん同様、長女についてもほとんど明かしていないため、詳細は不明ですが、
峰岸徹さんと親交があった俳優の速水亮さんによると、峰岸徹さんはとても長女をかわいがっていたそうで、
娘への愛情が切ない程に伝わる
と、自身のブログに綴っています。
また、峰岸徹さんは、2008年10月11日、肺ガンにより他界されているのですが、
闘病中、長女に、
(実の母親である藍とも子さんに)会いたかったら会ってもいいぞ
と、言い遺して、他界されたそうで、
それから、2年後の2010年9月、32歳になっていた長女は、赤ちゃんを抱いて藍とも子さんに会いに行ったといいます。
娘(次女)と息子(長男)は?
ちなみに、峰岸徹さんの次女と長男も、芸能関係者ではないようで、詳細は不明です。
ただ、峰岸徹さんは、最期の時、妻、3人の子供たち、孫1人に見守られて、穏やかに息を引き取ったとのことなので、家族関係は良好だったと思われます。
さて、いかがでしたでしょうか。
峰岸徹さんの、
- 峰岸徹の生い立ちは?幼少期は?六本木野獣会でスカウトされ芸能界入り!
- 峰岸徹のプロフィール
- 峰岸徹の本名は?芸名の由来は?
- 峰岸徹の趣味はトライアスロン
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- 峰岸徹は少年時代にジェームズ・ディーンや石原裕次郎に憧れて俳優を志すようになっていた
- 峰岸徹は18歳頃「六本木野獣会」で渡辺プロダクションの副社長・渡邊美佐からスカウトされて芸能界入りしていた
- 峰岸徹は「六本木野獣会」ではメンバーに慕われモテていた
- 【画像】峰岸徹の若い頃(俳優デビュー)から死去までの出演ドラマ映画は?
- 峰岸徹は19歳の時に「高校生と女教師・非情の青春」で映画デビュー
- 峰岸徹は19歳~24歳頃、二枚目ぶりが際立つあまり演技力が評価されず悩んでいた
- 峰岸徹は25歳~28歳の時、大映映画で精悍なルックスを武器に存在感を示していた
- 峰岸徹は28歳の時、大映が倒産しフリーとなっていた
- 峰岸徹は29歳の時、日活ロマンポルノ「哀愁のサーキット」の主演で新境地を開拓していた
- 峰岸徹は33歳の時にNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」で源扶(みなもとの たすく)役
- 峰岸徹は46歳の時、映画「ゴジラvsビオランテ」の権藤吾郎役で高い評価を受けていた
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- 岡田有希子の自殺は峰岸徹にフラレたことが原因?
- 峰岸徹は岡田有希子の自殺当日の夜に記者会見を開き交際を否定していた
- 峰岸徹と岡田有希子の本当の関係は?
- 成城での交流(1985~1986年1月中旬)
- ドラマの終了とともに疎遠になっていった(1986年1月中旬〜3月)
- 最後に会ったのはミラノ座での夜だった?(1986年3月21日)
- 岡田有希子の引っ越しにより物理的にも距離が離れていた(1986年4月4日)
- 岡田有希子は峰岸徹に婚約者がいると知り激しいショックを受けていた(1986年4月7日~4月8日早朝)
- 岡田有希子の書き置きと自殺未遂(1986年4月8日午前)
- 岡田有希子が飛び降りたのは自責の念からだった?(1986年4月8日午前)
- 峰岸徹はマスコミによる岡田有希子の”遺書”の報道により長年バッシングを受けていた
- 岡田有希子の母親は娘と峰岸徹の交際を否定していた
- 峰岸徹にとって岡田有希子は”熱心に慕ってくるかわいい後輩”だった
- 峰岸徹の前妻・藍とも子との離婚理由は?再婚相手は?子供は娘2人息子1人!
- 峰岸徹の前妻(最初の妻)藍とも子との馴れ初めは?
- 峰岸徹の前妻(最初の妻)藍とも子の離婚理由は?
- 峰岸徹の再婚相手(2番目の妻)は?
- 峰岸徹の子供は3人(娘2人、息子1人)
- 娘(長女)は?
- 娘(次女)と息子(長男)は?
について、ご紹介しました。
「六本木野獣会」から芸能界入りを果たすと、その後、数多くの映画やテレビドラマで、二枚目から悪役・個性派まで、様々な役柄で唯一無二の存在感を放った峰岸徹さん。
この機会に、そんな峰岸徹さんの出演作品をご覧になってはいかがでしょう。
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