1993年には、テレビドラマ「高校教師」で、ヒロインと近親相姦を重ねる異常な父親役を演じ、話題となった、峰岸徹(みねぎし とおる)さんですが、
幼い頃は、虚弱体質で、いつもお母さんの影に隠れているような弱々しい子供だったそうで、やがて、ジェームズ・ディーンや石原裕次郎さんに憧れて俳優を志すようになると、六本木に集まっていた、芸能界を目指す若者たちのグループ「六本木野獣会」に入ったといいます。
今回は、峰岸徹さんの、幼少期(生い立ち)から18歳で芸能界入りするまでをご紹介します。

峰岸徹のプロフィール
峰岸徹さんは、1943年7月17日生まれ、
東京都京橋区銀座の出身、
身長173センチ、
血液型はО型、
学歴は、
中央区立泰明小学校
⇒暁星中学校・高等学校
⇒日本大学芸術学部演劇科中退
ちなみに、ファッションデザイナーの山本耀司(ヨウジ ヤマモト)さんとは、暁星中学校・高等学校時代の同窓生で、山本耀司さんは、峰岸徹さんを、「多才な同窓生」「生涯の友」と語っています。
峰岸徹の本名は?芸名の由来は?
峰岸徹さんの本名は「峰岸知夫」です。
また、芸名は、デビュー当時の東宝時代は「峰健二」、大映時代は「峰岸隆之介」で、
大映倒産後、フリーで活動をしていた1975年、渡辺プロダクションの社長・渡辺晋さんに勧められ、「峰岸徹」と改名したのだそうです。
ちなみに、この「徹」という名前は、主演を務めた1972年の映画「哀愁のサーキット」の村川透(むらかわ とおる)監督の名前に由来しているそうです。
峰岸徹の趣味はトライアスロン
峰岸徹さんの趣味はトライアスロンで、2000年に「宮古島トライアスロン大会」に初挑戦すると、13時間55分17秒で完走したそうで、以降、2006年まで毎年出場しています。
また、2001年には、著書「トライアスロン200キロへの挑戦〜突然ですが、宮古島に行ってきます!」を出版しています。
峰岸徹が幼い頃は虚弱体質で弱々しい子供だった
峰岸徹さんは、東京・新橋で芸者をしていたお母さんのもと、2人きょうだい(姉が1人)の長男として誕生すると、小学校3年生の時に、日本橋浜町へ引っ越し、その後は、浜町で料亭を営むお母さんに育てられたそうです。
そんな環境もあって、峰岸徹さんの幼い頃は、銀座が格好の遊び場だったそうです。
また、幼い頃は、虚弱体質で弱々しく、いつもお母さんの影に隠れているような子供だったそうです。
峰岸徹は少年時代にジェームズ・ディーンや石原裕次郎に憧れて俳優を志すようになっていた
一方で、峰岸徹さんは、落語の魅力に取り憑かれ、しばしば、お母さんに人形町末広亭などの寄席へ連れて行ってもらっていたそうですが、
その後、ジェームズ・ディーンさんや石原裕次郎さんに憧れるようになり、次第に俳優の道を志すようになったといいます。
峰岸徹は18歳頃「六本木野獣会」で渡辺プロダクションの副社長・渡邊美佐からスカウトされて芸能界入りしていた
そんな峰岸徹さんは、やがて、当時、六本木に集まっていた若者たちのグループ「六本木野獣会」に身を置くと、
同じく「六本木野獣会」のメンバーだった田辺靖雄さんの後、渡辺プロダクションの副社長・渡邊美佐さんにスカウトされ、念願の芸能界入りを果たしたのでした。

「六本木野獣会」。最前列右が峰岸徹さん。
ちなみに、この「六本木野獣会」は、1961年、女優志望の秋本マサミさんが、才能ある若者を集め芸能界に送り出す目的で結成したもので、渡辺プロダクションの副社長・渡邊美佐さんと作曲家のすぎやまこういちさんがバックアップしていたそうですが、
メンバーには、峰岸徹さんのほか、中尾彬さん、大原麗子さん、小川知子さん、井上順さん、ムッシュかまやつさん、田辺靖雄さんなど、後のスターたちが名を連ねており、良家の子女が多かったといいます。
峰岸徹は「六本木野獣会」ではメンバーに慕われモテていた
また、田辺靖雄さんによると、峰岸徹さんは、仲間うちで「トン」と呼ばれ、しばしば、日本橋浜町の自宅にメンバーが集うなど慕われ、また、非常にモテたそうで、
特に、峰岸徹さんに弟のようにかわいがられたという井上順さんは、
その中でも、僕は、特に峰岸徹さんに可愛がってもらいました。ちょうどその頃はメンバーの田辺靖雄さんが歌手としてデビューした直後。まだデビュー前だった峰岸さんにご飯に連れて行ってもらったのが六本木だったんですよ
と、峰岸徹さんに、華やかな六本木のレストランに連れて行ってもらったり、「大人」とは何かについて教えてもらったりしたことを、明かしています。
「【画像】峰岸徹の若い頃(俳優デビュー)から死去までの出演ドラマ映画は?」に続く
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1962年、「高校生と女教師・非情の青春」で映画デビューすると、脇役ながら東宝で着実にキャリアを積み、その後、「俳優座養成所」「文学座養成所」を経て、1968年、大映と契約すると、 映画産業が斜陽化する中、末期状態だった …









