1978年、18歳の時、「右向け右」でレコードデビューするも、なかなか売れない中、1981年、21歳の時、三木聖子さんのカバー「まちぶせ」(荒井由実さん作詞作曲)が70万枚を売り上げる大ヒットを記録し、ついに人気歌手の仲間入りを果たした、石川ひとみ(いしかわ ひとみ)さん。
今回は、そんな石川ひとみさんの、若い頃(デビュー以降)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。
また、最後には、ディスコグラフィー(シングル、アルバム)と写真集もご紹介します。

「石川ひとみの生い立ちは?「君こそスターだ」で優勝し高卒後上京していた!」からの続き
石川ひとみは18歳の時に「右向け右」でアイドル歌手としてデビュー
高校を卒業して3日後に上京し、渡辺プロダクションの寮に入った石川ひとみさんは、ある日のこと、初めてスタジオに連れて行ってもらうと、数日前に事務所のピアノに合わせて歌った曲のカラオケが流れてきたそうで、
てっきり練習だと思って歌うと、「OK」と言われ、この曲がデビュー曲となったそうで、
上京から2ヶ月後の1978年5月25日、18歳の時、ファーストシングル「右向け右」でアイドル歌手としてデビューを果たすと、抜群の歌唱力と可憐なルックスが注目され、大学生を中心に人気を博します。

「右向け右」
石川ひとみは20歳の時、NHKの人形劇「プリンプリン物語」で声優、「レッツゴーヤング」でMCを務めるなど幅広く活動していた
そんな石川ひとみさんは、1979年には、NHKの人形劇「プリンプリン物語」で主人公・プリンプリンの声を務めるほか、

「プリンプリン物語」より。
NHKの番組「レッツゴーヤング」で太川陽介さんとMCを務めるなど、様々な分野で幅広く活動します。

「レッツゴーヤング」より。石川ひとみさんと太川陽介さん。
石川ひとみはデビュー後シングルは全く売れなかった
こうして、石川ひとみさんは、仕事が忙しく、充実した日々を送っていたそうですが、
肝心の歌手の方では、次々とシングルをリリースするも全く売れなかったそうで、
私は何者なんだろう?いったい何のために東京へ出て来たんだろう?
と、モヤモヤとした思いを抱えるようになったといいます。
石川ひとみは21歳頃、10枚目のシングルを一区切りとして歌手を辞める決意を固めていた
実は、石川ひとみさんは、芸能界に入る際、両親に、
4年間だけ東京で社会勉強をさせてほしい
と、約束して、上京を許してもらっており、その期限は1981年でした。
そこで、デビュー以降、ヒット曲が出ない状況に、10枚目のシングル(人形劇「プリンプリン物語」の主題歌を除く)を一区切りとして歌手を辞める決意を固めたのだそうです。
石川ひとみは21歳の時に「まちぶせ」を歌わせてほしいと初めて自ら申し出ていた
しかし、そんな中、スタッフに、この曲なんだけど・・・と提案された曲が、
荒井由実(現・松任谷由実)さんが1976年に作詞作曲し、事務所とレコード会社の先輩である三木聖子さんが歌った「まちぶせ」だったそうで、
石川ひとみさんは、その瞬間、思わず身を乗り出し、
私、三木聖子さんが歌われたレコードを持っています!歌詞も全部覚えてます!
と、言ったそうです。
というのも、石川ひとみさんが高校2年生の時、名古屋の東京音楽学院で課題曲として出されたのがこの曲で、当時16歳だった石川ひとみさんは、その淡々としたメロディーと切ない歌詞の世界観に衝撃を受けていたのだそうです。
また、自身も似たような経験があり、
歌詞に描かれた女の子は私に近い気がする
と、心から共感し、本当にいい曲だと思っていたことから、
人見知りで、それまで一度も作品に対して自分の意見を言ったことがなかったにもかかわらず、
これが最後なら、自分の気持ちをすべて伝えよう
と、思ったそうで、
この曲がいいです!ぜひ歌わせてください!
と、芸能生活で初めて、自ら申し出たのだそうです。
(周囲のスタッフはとても驚いたそうです)
石川ひとみの「まちぶせ」は「ティン・パン・アレー」のメンバーが演奏していた
こうして、「まちぶせ」のリリースが正式に決定すると、通常、カバー曲の発売は、各方面との複雑な調整が必要となるところ、もともと歌唱していた三木聖子さんとは事務所もレーベルも同じだったため、とてもスムーズに進行し、
さらには、シングル化にあたり、石川ひとみさんのために新しいバッキングトラック(オケ)が制作されることになり、編曲を松任谷正隆さんが手掛けることになると、
松任谷正隆さんは、かつて自身が在籍していたバンド「ティン・パン・アレー」のメンバーに声をかけてくれたことから、石川ひとみさんにとっては、信じられないほどの豪華なミュージシャンたちの演奏で歌うことになったそうで、
石川ひとみさんは、イントロの「タンタタタンタン」という音を聴くだけでゾクッとするほど素晴らしいオケが完成したことに深く感動し、
こんな最高の演奏に乗せて歌えるなんて、なんて幸せなんだろう
と、大きな喜びと感謝と共に、レコーディングに臨んだのだそうです。
石川ひとみは21歳の時に11枚目のシングル「まちぶせ」が累計70万枚を売り上げる大ヒット
そして、1981年4月21日、21歳の時、11枚目のシングルとして「まちぶせ」をリリースすると・・・
累計70万枚を売り上げる大ヒットし、この年のNHK紅白歌合戦にも出場するなど、一躍、国民的人気歌手の仲間入りを果たしたのでした。
ちなみに、石川ひとみさんは、
とにかく「まちぶせ」を歌えること自体が幸せで、キャンペーンで訪れたデパートの屋上や店頭で、「1人でも今日この曲を聴けて良かったな、いい歌だなと感じてくれたらそれで満足だわ」と思いながら、心を込めて歌っていました。
おかげでどこへ行っても新鮮な気持ちで歌えましたし、何より楽しかった。
と、語っています。

「まちぶせ」
石川ひとみは27歳の時にB型肝炎を発症し、芸能界を引退していた
その後、石川ひとみさんは、活動の場を広げるため、1987年、27歳の時には、歌手活動を続けながら、初めてのミュージカル「はだかの王様」に出演しているのですが・・・
ちょうどその頃、ひどい頭痛に襲われたことから、病院で診察を受けると、血液検査で、(頭痛とは別に)B型肝炎のキャリア(保菌者)であることが判明したといいます。
ただ、この時はまだ発症はしていなかったため、医師からは、定期的に肝臓の数値をチェックするように指示されただけだったそうで、ミュージカルの稽古が始まると、石川ひとみさんも参加したそうですが、
いつまでも疲れが抜けず、朝起きることや外出するのも辛く、体がひどく重くてだるい状態が続いたといいます。
それでも、石川ひとみさんは、「舞台のプレッシャーに負けているんだ」「心が弱いんだ」と精神の問題だと思っていたそうですが、
そんなストレスがたたってか、ある日のこと、ついに、めまいで倒れてしまったそうで、搬送先の病院で血液検査を受けたところ、B型肝炎を発症していることが判明したのだそうです。
こうして、石川ひとみさんは、急遽、舞台を降板し、そのまま、40日に及ぶ入院を余儀なくされると、退院後は、所属していた渡辺プロダクションには契約を解除され、芸能界を引退したのだそうです。
石川ひとみは30歳の時にアニメ「昆虫物語 みなしごハッチ」(リメイク版)で主人公・ハッチの声と主題歌を担当
それでも、石川ひとみさんは、その後、1年間の自宅療養を経て、1988年から徐々に仕事復帰すると、
1989年、30歳の時には、アニメ「昆虫物語 みなしごハッチ」(リメイク版)で、主人公・ハッチの声と主題歌を担当しています。
石川ひとみは38歳の時に「母と子のテレビタイム日曜版」で進行役
また、1997年から1999年(石川ひとみさん38歳~40歳)には、NHK教育テレビ「母と子のテレビタイム日曜版」で、”ひとみお姉さん”として進行役を務めています。

「母と子のテレビタイム日曜版」より。
石川ひとみは51歳頃から、変形性股関節症、膠原病(シェーグレン症候群)、副甲状腺の腫瘍、骨盤の内側に神経鞘腫など様々な病気を患っていた
しかし、年齢を重ねるにつれ、B型肝炎とは関係ない、様々な不調が体に現れるようになったそうで、
2010年頃からは、変形性股関節症を患い、だましだまし生活するようになると、2012年には、膠原病(シェーグレン症候群)を発症し、
2022年10月には、右足に人工股関節を入れる手術を受け、
2023年3月には、副甲状腺に腫瘍、骨盤の内側に神経鞘腫(しんけいしょうしゅ)が見つかるなど、様々な病を抱えているといいます。
石川ひとみの現在は?
それでも、石川ひとみさんは、現在も、音楽活動を継続中で、
2023年7月19日(石川ひとみさん63歳)には、デビュー45周年記念アルバム「笑顔の花」をリリースしています。
そして、2026年、67歳の時には、自身最大のヒット曲「まちぶせ」の発売45周年を記念し、東京でのアニバーサリー公演など各地で記念コンサートを開催しています。
また、石川ひとみさんは、病気による誤解や偏見をなくそうと、1993年には、B型肝炎の闘病を綴った書籍「いっしょに泳ごうよ 愛が支えたB型肝炎克服記」を出版していたのですが、
このことがきっかけで、講演会の依頼を受けるようになり、以降、講演会のほか、B型肝炎のキャンペーンやシンポジウムにも積極的に取り組んでいるといいます。
(現在まで体調は安定しているそうですが、「B型肝炎」のウィルスが完全に消滅したわけではないため、歌手活動を続けながら、引き続き定期的な検査を受け続けているそうです)
石川ひとみのディスコグラフィー(シングル)
それでは、最後に、石川ひとみさんの主なシングルをご紹介しましょう。
シングルでは、
- 1978年「右向け右」
- 1978年「くるみ割り人形」

「くるみ割り人形」 - 1979年「あざやかな微笑」
- 1979年「ひとりぼっちのサーカス」
- 1979年「プリンプリン物語」
- 1979年「ハート通信」
- 1979年「ミス・ファイン」
- 1980年「オリーブの栞」

「オリーブの栞」 - 1980年「秋が燃える」
- 1981年「夢番地一丁目」
- 1981年「まちぶせ」
- 1981年「三枚の写真」

「三枚の写真」 - 1982年「ひとりじめ」
- 1982年「君は輝いて天使にみえた」
- 1982年「冬のかもめ」
- 1983年「パープル ミステリー」
- 1983年「にわか雨」

「にわか雨」 - 1983年「恋」
- 1984年「メモリー」
- 1984年「アモーレ」
- 1984年「裸足でダンス」
- 1985年「夢回帰線」

「夢回帰線」 - 1986年「秘密の森」
- 1989年「みなしごハッチ」※アニメ「昆虫物語 みなしごハッチ」主題歌
- 1991年「元気あげるね」※特撮ドラマ「不思議少女ナイルなトトメス」主題歌
- 1999年「世界中が宝物」※特撮ドラマ「不思議少女ナイルなトトメス」主題歌
- 2003年「キミらしいまま」※アニメ映画「Pa-Pa-Pa ザ★ムービー パーマン」のエンディングテーマ
- 2006年「だいすき!ラスカル」※テレビアニメ「ぽかぽか森のラスカル」の主題歌
- 2016年「まちぶせ」「くるみ割り人形」「プリンプリン物語」※全てA面
- 2026年「まちぶせ」「懐かしきリフレイン」「にわか雨」※全てA面
石川ひとみのディスコグラフィー(アルバム)
アルバムでは、
- 1978年「くるみ割り人形」
- 1979年「ひとりぼっちのサーカス」
- 1980年「ひとみ…」
- 1980年「Inside/Outside」
- 1981年「まちぶせ」
- 1981年「夢模様」
- 1982年「ジュ・テーム」
- 1983年「プライベート」
- 2018年「わたしの毎日」
- 2023年「笑顔の花」
を、リリースしています。
石川ひとみの写真集
また、石川ひとみさんは、
- 「妖精の旅立ち」(1978年、ペップ出版)
- 「Je t’aime」(1982年、渡辺音楽出版)
- 「心変わり」(1984年、ワニブックス)
と、写真集も出版しています。
「石川ひとみがB型肝炎を発症した経緯とは?感染原因は?」に続く
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