助監督を目指すも、俳優として日活にスカウトされ、1957年、映画「素足の娘」のエキストラで俳優としてのキャリアをスタートされた、沢本忠雄(さわもと ただお)さん。日活で数々の映画に出演された後はフリーとなられ、テレビドラマにも数多く出演。花登筺(はなと こばこ)監督作品の常連俳優となると、高視聴率を記録されています。


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プロフィール!

沢本さんは、
1935年7月2日生まれ、
三重県松阪市のご出身、

学歴は、
日本大学芸術学部卒業、

だそうです♪

助監督を目指すも俳優にスカウト

沢本さんは、大学3年生の時、
日本大学の食堂に貼り出されていた、
日活助監督募集の広告を見て応募されるのですが、

助監督ではなく、エキストラとして、
南田洋子さん主演の映画「素足の娘」で、
スカウトされ、映画初出演を果たされると、

そのエキストラでの出演で、
阿部豊監督に気に入られ、

翌年の1958年には、映画「雌花」で、
主演の南田洋子さんの弟役に抜擢。
本格的に俳優デビューを果たされたのでした。

「三悪トリオ」で日活の顔に

そして、同年、
映画「十代の恋よさようなら」で、
いきなり、主演に抜擢されると、

「十代の恋よさようなら」

以降、

1958年には11本、

「十代の恋よさようなら」(1958年2月)
「春泥尼」(1958年2月)
「陽のあたる坂道」(1958年4月)
「少女と風船」(1958年4月)
「チャンチキおけさ」(1958年7月)
「夜は俺のものだ」(1958年7月)
「男のブルース」(1958年9月)
「東京は恋人」(1958年9月)
「別れの燈台」(1958年10月)
「俺らは流しの人気者」(1958年10月)
「危険な群像」(1958年12月)

「チャンチキおけさ」より。沢本さんと二谷英明さん。

1959年に14本、

「嵐を呼ぶ友情」(1959年1月)
「実いまだ青し」(1959年2月)
「祈るひと」(1959年2月)
「群集の中の太陽」(1959年3月)
「二連銃の鉄」(1959年4月)
「若い豹のむれ」(1959年6月)
「事件記者」(1959年7月)
「事件記者 真昼の恐怖」(1959年8月)
「青春蛮歌」(1959年9月)
「事件記者 仮面の脅迫」(1959年9月)
「夜霧の空港」(1959年9月)
「事件記者 姿なき狙撃者」(1959年10月)
「事件記者 影なき男」(1959年11月)
「事件記者 深夜の目撃者」(1959年12月)

「嵐を呼ぶ友情」より。
(左から)川地民夫さん、小林旭さん、沢本さん。

1960年に13本、

「事件記者 時限爆弾」(1960年1月)
「事件記者 狙われた十代」(1960年2月)
「飢えた牙」(1960年2月)
「拳銃無頼帖 抜き射ちの竜」(1960年2月)
「刑事物語 灰色の暴走」(1960年3月)
「今夜の恋に生きるんだ」(1960年4月)
「素晴らしき遺産」(1960年5月)
「お嬢さんの散歩道」(1960年6月)
「浅草姉妹」(1960年7月)
「一匹狼」(1960年8月)
「闇を裂く口笛」(1960年9月)
「情熱の花」(1960年11月)
「美しき抵抗」(1960年12月)

「事件記者 狙われた十代」より。堀恭子さんと沢本さん。

1961年に9本、

「俺の血が騒ぐ」(1961年1月)
「ろくでなし稼業」(1961年3月)
「警察日記 ブタ箱は満員」(1961年3月)
「東京ドドンパ娘」(1961年5月)
「七人の挑戦者」(1961年7月)
「ヨットとお転婆娘」(1961年8月)
「銀座ジャングル娘」(1961年8月)
「真昼の誘拐」(1961年10月)
「カミナリお転婆娘」(1961年11月)

「警察日記 ブタ箱は満員」より。吉永小百合さんと沢本さん。

1962年に7本、

「さすらい」(1962年2月)
「事件記者 拳銃貸します」(1962年2月)
「事件記者 影なき侵入者」(1962年4月)
「大氷原」(1962年4月)
「遙かなる国の歌」(1962年7月)
「若い旋風」(1962年10月)
「十代の河」(1962年11月)

「事件記者 拳銃貸します」より。
(左から)新井麗子さん、沢本さん、玉村駿太郎さん。

1963年に4本、

「親分を倒せ」(1963年6月)
「夜霧のブルース」(1963年6月)
「波浮の港」(1963年9月)
「結婚作戦業務命令」(1963年10月)

と、短期間に数多くの映画に出演。

小林旭さん、川地民夫さんらと、
ニヒルな「三悪トリオ」として、
日活映画の人気を支えられたのでした。

ちなみに、沢本さんは、どうしても、
裏方の映画制作に携わる夢が捨てきれず、
日活の役員に相談したことがあったそうですが、

「君にいくらかかっていると思うんだ!」

と、主演作の宣伝費の金額を告げられ、
やむなく、諦められたのだそうです。

テレビドラマ「あかんたれ」「どてらい男」で人気を博す

その後、沢本さんは、1963年に、
日活を退社しフリーとなられると、

1962~1966年「判決」
1966年「月よりの使者」
1966~1967年「体の中を風が吹く」
1968~1969年「道頓堀」
1971年「帰らざる雲」

1973~1977年「どてらい男」
1974年「暗闇仕留人」第23話
1976~1977年「どてらい男」
1978年「続・あかんたれ」
1979年「そば屋梅吉捕物帳」第5話

1982~1984年 NHK連続テレビ小説「よーいドン」
1983年「新・なにわの源蔵事件帳」第4話
1984~1985年 NHK連続テレビ小説「心はいつもラムネ色」

「よーいドン」より。(左から)山田吾一さん、
沢本さん、藤吉久美子さん、馬渕晴子さん。

と、テレビドラマにも出演。

特に、花登筺(はなと こばこ)監督作品には、
常連俳優として出演されており、

「あかんたれ」では、呉服問屋「成田屋」のドラ息子、
「安ぼん」こと安造役がはまり役となり、
ドラマのヒットに貢献されています。

「あかんたれ」より。
(左から)小山明子さん、土田早苗さん、沢本さん。

また、近年では、

1999~2000年 NHK連続テレビ小説「あすか」
2001年「バブル」

に出演されています。

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現在は?

そんな沢本さんは、近年、
テレビや映画での露出が激減し、
ファンを心配させていたようですが、

2001年12月から、
リゾートトラストの会員制リゾートホテル、
「エクシブ鳥羽&アネックス」で、

企画プロデューサーとCS(顧客満足)執行委員長を、
兼務されているそうで、

沢本さんによると、
リゾートトラストの伊藤與朗会長とは、
30年来のお付き合いがあり、

役者を続けながらでいいから、
エクシブ鳥羽の顔になってくれないか。

と、誘われたのだとか。

沢本さんは、

ボクに会うのを楽しみにされてる方も大勢いらっしゃるから、
毎日に張り合いがあります。

それに、ここには美肌の湯で知られる、軟らかい泉質の温泉が湧き、
きれいな空気、豊かな大自然、さらにはおいしい食事がある。
トシを取るのも忘れてしまいます、ハハハ。

ひょんなことから役者になり、今年で55年(2012年当時)。
映画、テレビ、舞台、いずれもいい時代を過ごさせていただきました。

トシこそ77ですが、まだピンピンしてる。
とりあえずはあと3年、80歳までは、
エクシブに恩返しできるようにガンバります。

と、おっしゃっており、

今の生活に、満更でもないようなので、
何も問題はないようですね♪

エクシブのショーを終えた由紀さおりさんと沢本さん。

さて、いかがでしたでしょうか?

映画制作など、裏方の仕事に憧れるも、
俳優として表舞台で活躍することとなった、
変わった経歴をお持ちの沢本さん。

現在のリゾートトラストのお仕事も、
そうですが、人間、必ずしも、
自分がやりたいことと、向いていることは、
同じではないのかもしれませんね。

そして、いつの日か、
制作されるかもしれない映画、
期待しています!!

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