「税務調査官・窓際太郎の事件簿」など2時間ドラマでお馴染みの、小林稔侍(こばやし ねんじ)さん。今回は、そんな小林さんの幼少期についてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

小林さんは、1941年2月7日生まれ、
和歌山県伊都郡かつらぎ町のご出身、

身長180センチ、
体重78キロ、

血液型はA型、

本名は、「小林 稔侍(こばやし としじ)」

学歴は、
和歌山大学教育学部附属中学校
⇒和歌山県立笠田高等学校卒業

事務所は、鈍牛倶楽部、

趣味は、
フィットネス(健康増進)、人ごみをぶらぶら散歩、日光浴、だそうです。

幼少期は戦争の記憶

小林さんは、洋服の仕立て屋だったお父さんのもと、太平洋戦争が始まった年に誕生しているのですが、

空襲警報発令の音、「B29」の爆音、焼夷弾(しょういだん)の音ほか、夜になると30キロ離れた和歌山市が燃えているのをお母さんの背中でおんぶされて見たこと、防空壕に頭から放り込まれ怖い思いをしたことも覚えているそうです。

また、小林さんは、お父さんが出征する日、朝起きると、近所の人が大勢集まって、「万歳!万歳!」という声が聞こえてきたのも覚えているそうですが、

そのため、今でも、戦争の記憶につながる「万歳」が嫌いで、選挙で当選して万歳をしている光景も、見るのも嫌なほど嫌いなのだそうです。

小学生の時は映画に夢中

そんな小林さんは、小学生になると、同級生の家が町で唯一の映画館だったことから、友達の馴染みでいつでもすぐに映画館に入ることができ、映画がおもしろくておもしろくて仕方なく、いろいろな映画を夢中で観ていたそうで、

あれは黒澤明監督の「野良犬」のシーンだったなとか、いろんな作品の仕草や立ち回りのカットを憶えているんです。

2時間ドラマを撮っているときも、子供時代に観た映画の1シーンがふと浮かんできて、それを真似てみたりもするんですよ。

と、後に語っておられます。

(人生でこの頃に最も映画を観たそうです)

肺を患うも運良く九死に一生を得る

しかし、7歳の時には肺を患ってしまいます。しかも、治療のための薬(注射)は、日本に入ってきたばかりで非常に高価だったそうです。

ただ、母方の叔父さんが海外ビジネスで成功し、その高価な薬を売れるほどたくさん送ってくれたことから、(小林家がそれほど裕福でなかったにもかかわらず)その注射を1年以上、毎日打つことができ、九死に一生を得たのだそうです。

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猛勉強の末、和歌山大学教育学部附属中学に合格

こうして元気になり、成長した小林さんは、やがて、和歌山大学教育学部附属中学に入学を希望するようになります。

ただ、小林さんの通っていた小学校から和歌山大学教育学部附属中学を受験できるのは、学年で2~3人だったそうで、小林さんは、成績が真ん中より上だったことから、それでは学校から推薦してもらえないため、一念発起。

まるで、二宮金次郎のごとく、学校の帰りも歩きながら、時には道に座り込んで勉強したそうで、その甲斐あって、小林さんは、学校から推薦を受け、友達3人とともに受験。

すると、小林さんだけが合格し、晴れて、和歌山大学教育学部附属中学校に入学されたのでした。

ちなみに、小林さんが、なぜ、それほどまで和歌山大学教育学部附属中学に入学したかったのかというと・・・

まず、小林さんの地元・かつらぎ町から和歌山市は30キロ離れたところにあり、今では「ほんの30キロ」と思える距離ながら、当時の小林さんには、はるかかなたの都会に感じられたこと、

そして、もう一つの理由は、和歌山大学教育学部の附属中学を受験するという友人が、「附属中学の女の子はすごく可愛い」と言っているのを聞いたからだったそうです(笑)

「小林稔侍の若い頃は東映ニューフェイスも通行人の役ばかりだった!」に続く

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