現在は、名バイプレイヤーとして、数多くの映画やテレビドラマに出演されている、小倉一郎(おぐら いちろう)さんですが、若い頃は、青春ドラマで気弱な青年役を多く演じ、女性を中心に人気を博していました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
小倉さんは、1951年10月29日生まれ、
鹿児島県薩摩郡下甑(しもこしき)村(現・薩摩川内市)のご出身、
身長168センチ、
体重45キロ、
胸囲82センチ、
胴回68センチ、
靴のサイズは24.5センチ、
血液型はB型、
学歴は、
日本大学豊山高等学校中退、
趣味は、
俳句(俳号は蒼蛙)、エレキギター、作詞作曲、
篆刻(てんこく=書画などに使う印章を作ること)、墨絵、
特技は、
大阪弁、京都弁、ギター演奏、
ちなみに、本名も「小倉一郎」ですが、
作詞作曲は「秋山啓之介」名義でされているようです。
幼少期に相次いで家族が死去
小倉さんは、生後1週間の時にお母さんが亡くなり、
お父さんはというと、「結核」で入院されていたため、
伯母さん(お父さんの姉)に引き取られるのですが、
(引き取ってくれた伯母さんは、その当時すでに51歳で、
小倉さんから見れば、ほとんど、おばあちゃんだったそうですが、
生活保護を受けつつも、月賦でギターを買ってくれたりと、
子供心にも、一生懸命育ててくれていると感じたそうです。)
小倉さんが2歳の時には、双子のお兄さんが、
船着き場で遊んでいて「溺死」。
また、小倉さんが16才の時には、
2つ上のお姉さんも「脳腫瘍」で死去。
そして、小倉さんが33歳の時には、
入退院を繰り返していたお父さんまでもが、「交通事故」で死去されています。
若い頃は「俺たちの朝」等で人気
そんな小倉さんは、どのような経緯かは不明ですが、
1958年、小学校1年生の時に上京すると、
翌年の1959年には、エキストラとして、
「東映大泉撮影所」に通うようになり、
(エキストラの仕事をするようになると、学校は休みがちになり、
たまに授業に出ても、数学はちんぷんかんぷん、体育の授業も、
貧血で倒れることもあって参加せず、教室から一人ぽつんと、
眺めているだけだったため、学校はさほどおもしろくなく、
撮影所に通うことが楽しかったそうです。)
1963年には、撮影所でかわいがられたのか、
梅宮辰夫さんの口添えで「東映児童演劇研修所」に第5期生として入所すると、
翌年の1964年、13歳の時には、
石原裕次郎さん主演の「敗れざるもの」で映画デビュー。
「敗れざるもの」より。小倉さん(左)と石原裕次郎さん。
その後、特に、1960年代後半~1970年代には、
テレビドラマ「俺たちの朝」や、映画「股旅」などの青春ドラマで、
細身で気弱な青年役を多く演じ、同年代の女性を中心に人気を博しました。
「俺たちの朝」より。(左から)小倉さん、
長谷直美さん、勝野洋さん。
「股旅」より。(左から)小倉さん、
尾藤イサオさん、萩原健一さん。
出演作品(テレビドラマ、映画)
それでは、ここで、
小倉さんのそのほかの出演作品もご紹介しましょう。
映画では、
1964年「敗れざる者」
1967年「青春の海」
1969年「性犯罪法入門」
1970年「高校生番長」
1973年「股旅」
1974年「仁義なき戦い 頂上作戦」
「性犯罪法入門」より。(左から)笠原玲子さん、
渚まゆみさん、小倉さん、松岡きっこさん。
1975年「吾輩は猫である」(声の出演)
1976年「お祭り野郎 魚河岸の兄弟分」
1978年「熱中時代」
1979年「真田幸村の謀略」
1980年「ヒポクラテスたち」
1981年「炎のごとく」
「熱中時代」より。(左から)谷隼人さん、小倉さん、水谷豊さん。
1982年「大日本帝国」
1983年「天城越え」
1984年「メイン・テーマ」
1985年「瀬降り物語」
1986年「愛の陽炎」
1987年「瀬戸内少年野球団・青春篇 最後の楽園」
「天城越え」より。田中裕子さんと小倉さん。
1988年「死線を越えて 賀川豊彦物語」
1990年「もうひとつの原宿物語」
1991年「息子」
1992年「寝盗られ宗介」
1993年「紅蓮華」
1994年「先生あした晴れるかな」
1995年「写楽」
1996年「ソクラテス」
1998年「新生 トイレの花子さん」
1999年「原野の子ら」
2000年「ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY」
2002年「十七歳」
2003年「いつかA列車に乗って」
2004年「デビルマン」
2005年「四日間の奇蹟」
2006年「筆子・その愛 -天使のピアノ-」
2007年「吉祥天女」
2008年「全然大丈夫」
2009年「斜陽」
2010年「キャタピラー」ナレーション
2011年「大鹿村騒動記」
2012年「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」
2013年「そして父になる」
2014年「ヨシナカ伝説 義仲穴」
2015年「海街diary」
「ヨシナカ伝説 義仲穴」より。中山エミリさんと小倉さん。
テレビドラマでは、
1965年 NHK大河ドラマ「太閤記」
1967年「キャプテンウルトラ」第14話
1969年「青空にとび出せ!」第18話
1971年「木下恵介・人間の歌シリーズ 第4作冬の雲」
1972年「木下恵介アワー おやじ山脈」
1973年「日曜劇場 聖夜」
「聖夜」より。小倉さんと仁科明子さん。
1974年「太陽にほえろ!」第125話
1975年「木下恵介・人間の歌シリーズ第18作 もうひとつの春」
1976年「俺たちの朝」
1977年「すぐやる一家青春記」
1978年 NHK朝の連続テレビ小説「おていちゃん」
1979年「鉄道公安官」第2話
1980年「元気です!」
1982年「陽あたり良好」
1983年「殺しの連鎖反応『努力しないで出世した男・社内結婚上司の嫁いい女』」
1984年「大家族」
1985年 火曜サスペンス劇場「たったひとりのあなたのために」
1986年 銀河テレビ小説「まんが道」
1987年「水戸黄門」第17話
1988年「花へんろ」
1989年「月影兵庫あばれ旅」第1シリーズ 第5話
1990年 火曜ミステリー劇場「なんでも屋探偵帳 はりつけ島連続殺人」
1991年「はぐれ刑事純情派」
1992年「伊豆の踊り子」
1994年「家なき子」
1996年「ウルトラマンティガ」
1997年「新・花へんろ」
2000年「おばさんデカ 桜乙女の事件帖8」
2003年「僕だけのマドンナ」
2005年「テレビドラマ火垂るの墓」
「家なき子」より。田中好子さんと小倉さん。
2006年「神様からひと言」
2007年「熱血ニセ家族」
2008年「東京少女」
2009年「ママさんバレーでつかまえて」
2010年「相棒 Season 8」第17話
2011年「外科医 鳩村周五郎8」
2013年「町医者ジャンボ!!」第13話
2014年「三匹のおっさん~正義の味方、見参!!~」最終話
2015年「天使のナイフ」
2016年「まかない荘」
2017年「ツバキ文具店」
2018年「警視庁・捜査一課長season3」第2話
「三匹のおっさん~正義の味方、見参!!~」より。
大和田伸也さん(左)と小倉さん。
ほか、数多くの作品に出演されているのですが(その数500本以上!)、
特に近年は、小心者の役を多く演じられ、
小倉にしか演じられない深みがある
と、小心者をやらせたら右に出る者はないと賞されています。
元妻は?子どもは?
ところで、小倉さんの、
気になるプライベートですが、
小倉さんは、1972年、22歳の時に、
元タレントで女優の海野まさみさんと結婚されるも、
2ヶ月半でスピード離婚。
海野まさみさん
その後、1977年には、当時、広告会社社員であった、
昌子さんと再婚されると、息子さん1人と娘さん3人をもうけられるのですが、
1999年に、昌子さんが東村山市議会議員選挙立候補し、
当選されたことで、すれ違いが生じ、2000年1月に離婚。
(ただし、離婚後も昌子さんの政治活動を支援されています)
さらに、2006年には、8歳年下の元アイドル、
谷ちえ子さんと3度目の結婚をされるのですが、
2015年には、またもや離婚されています。
小倉さんと谷ちえ子さん。
現在の嫁は?
そして、2017年2月には、23歳の時に交際されていた、
元彼女(当時18歳)のまきさんと再々々婚。
実は、小倉さんは、当時、まきさんとは、
結婚の約束をされるも、小倉さんの浮気が原因で破局しており、
その後は、小倉さんだけでなく、
まきさんも別の人と結婚されていたのですが、
小倉さんが3度目の離婚をされた1年後の2016年、
(小倉さん62歳、まきさん57歳)突然、まきさんから、
覚えていますか?
と、メールが届いたことから再会すると、
まきさんも、30年近く連れ添ったご主人と離婚していたそうで、
その後、まきさんが電話で、
41年前の責任とってさ、一郎ちゃん、私のこと引き取ってよ。
と、冗談で言われると、
小倉さんも、
わかった。俺そっちに引っ越すわ。
と、すんなり同意。
いきなりここに、去年の8月に引っ越してきちゃった。
罪滅ぼしみたいなことですね。
と、数日後には自宅を引き払い、まきさんがお母さんと住む、
横浜市内の3LDKのマンションに引っ越されたのだそうです。
さて、いかがでしたでしょうか。
幼い頃、ご家族を次々と亡くされたことから、
家族愛を求めていた小倉さんは、
離婚した妻たちも、僕にとっては家族同然。
家族ワイワイという家庭が欲しくて。おかげさまで、孫は5人います。
じいちゃんとしてランドセル買ってあげたり。
入学式にも出席して。
とおっしゃっており、別れた奥さんや子どもたちとも、
頻繁に連絡を取り合っているそうで、現在は、
念願の大家族に囲まれて、とても幸せなご様子。
幼い頃、辛いことが多かった分、
これからは幸せになってほしいですね♪