今では、日本全国・老若男女、知らない人はいないくらい知名度の高い、”タレント”の、所ジョージ(ところ ジョージ)さんですが、実は、デビューはシンガーソングライター!そして、実は、現在もシンガーソングライターは続けておられるのです。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

所さんは、1955年1月26日生まれ、
埼玉県所沢市のご出身、

身長172センチ、
体重63キロ、

血液型はO型、

学歴は、
錦城高等学校
⇒拓殖大学商学部除籍

趣味は、自動車、ゴルフ、お茶、スニーカー、ライター、スカジャン、Tシャツ、エアガン、フィギュアなど多数所有

ちなみに、本名は、角田隆之(かくた たかゆき)ですが、婿養子に入られた後は、芳賀隆之(はが たかゆき)となっています。

また、芸名の「所ジョージ」が、ミュージシャンの「柳ジョージ」さんから「ジョージ」をとって、「所沢の柳ジョージ」という意味で名付けられたという話がありますが、それはデマで、

実際には、宇崎竜童さんが、所さんの出身地・所沢市の「所」と、外国にも通用するようにと、自身の本名「シュージ(修司)」からひらめいて、「ジョージ」と名付けられたそうです。

若い頃は「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」の前座

所さんは、中学時代に音楽に目覚め、ギターを始めたそうですが、音楽の道には進まず、高校卒業後は、一年間の浪人生活を経て大学に進学。


高校時代の所さん。

ところが、せっかく浪人してまで入った大学の授業には一度も出ず。しかも、学費納入の手続きをし忘れてしまったことから除籍処分になってしまいます。

それで、かねてより興味のあった音楽の道を志すと、程なくして、レコード会社に送ったデモテープがプロデューサーの北島肇さんに「面白い」と認められて音楽業界入り。

すると、もうひとりのプロデューサーで、後に北島さんとともにサウンド・プロデュースを手がけることになる河原崎直彦さんが、「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を手がけられていたことから、ボーヤ(特定のミュージシャンの雑用を担う弟子のような存在)として、渋谷のライヴハウス「ジャンジャン」に前座として出演するようになるのですが・・・

(この時、同バンドの宇崎竜童さんと知り合い、前座で出演するにあたり、「所ジョージ」と命名されたのだとか)

所さんはというと、「どうせ、前座など誰も聞いてない」と、ステージ上で餅を焼いて食べるほか、ライブ会場では、小遣い稼ぎのため、勝手に宇崎さんのシールを作って売ったりと好き放題・・・

「ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景」で歌手デビュー

しかし、1977年7月「ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景」でシンガーソングライターとしてデビューし、同年12月に、ファースト・アルバム「現金(げんなま)に手を出せ!!」をリリースすると、

言葉のセンス、ユーモアが斬新だったことから、音楽業界ではおもしろいと評判になり、一躍、コミックソング界やフォークソング界にセンセーションを巻き起こします。(ただ、売れませんでした)


「ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景」

そして、同年、ニッポン放送「オールナイトニッポン」のパーソナリティーに抜擢されると、本格的にタレント業にも進出し、1979年には、ゲームバラエティ番組「ドバドバ大爆弾」の司会で、一躍ブレイク。

また、1983年からは、「笑っていいとも!」のレギュラーとなり、「金言・格言 色紙でどうじょ!」などのコーナーで安定した人気を誇ると、


タモさん、トコさんの金言・格言色紙でどうじょ! (ベストセラーシリーズ・ワニの本)

俳優としても、1980年代半ばから1990年にかけて、「うちの子にかぎって」「パパはニュースキャスター」「はいすくーる落書」「ママハハ・ブギ」などテレビドラマにも脇役として数多く出演し、


「うちの子にかぎって」より。田村正和さんと所さん。


「パパはニュースキャスター」より。
(左から)所さん、石堂穣さん、松本留美さん。


「ママハハ・ブギ」より。(左から)石田ひかりさん、
織田裕二さん、所さん、的場浩司さん、浅野温子さん。

1993年には、黒澤明監督の映画「まあだだよ」で、「第17回日本アカデミー賞優秀助演男優賞」「第36回ブルーリボン賞助演男優賞」を受賞。


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1994年にはスペシャルテレビドラマ「私は貝になりたい」で主演を務められるなど、俳優としての才能も開花されたのでした。


「私は貝になりたい」より。
所さん、田中美佐子さん、長沼達矢さん。

ただ、こうして、タレント・司会業・俳優業では人気を博す一方で、本業のシンガーソングライターではまったく売れず。(1980年代前半には、CBSソニーの新人登竜門「新宿ルイード」などで、しばしば営業活動をされていました。)

それでも、所さんは、

20代で歌手デビューして、30代ぐらいまでは、「何で売れないんだよ」って思ってたよ。だってそっちを目指してたんだから。最初のうちは逆ギレだよね。「どうせ聴かねえんだろ、お前ら!」って。

そこで音楽を辞めちゃって、司会業としてニコニコ暮らす方向にも行けたわけ。でも、40年もやっていると楽しくなってきちゃって。聴かれない歌をどんどんつくる、みたいな。おかげさまで60過ぎていまだに歌をつくってる。

どこからか面白くなってくるのよ。だからみんなも、途中で「俺には向いてない」とか「つまんない」とかジャッジしないで、やり始めたことはずっと続けた方がいい。人生は長いんだから。

役者さんで売れなくても、会社員になって全部辞めちゃうんじゃなくて、ちょっと匂いのするところにいる。「もう辞めたよ」ってウソついて、内緒でやればいいと思うんだ。

と語っておられ、現在でも、タレント業のほか、ミュージシャン、作家、ゲームクリエイター、発明家、漫画家ほか、様々な方面で活動されています。

ちなみに、所さんが、俳優業に手を出したのは、ある人に曲が売れないことを話したところ、

ドラマに出演すれば、曲が売れるのではないか?

と、そそのかされたからだそうです(笑)

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幻のデビュー曲?

ところで、所さんには、もともと、「ギャンブル狂騒曲/組曲・冬の情景」の前に、「政府からひとこと/国家公務員だから」(ポリドール)という違うデビュー曲があったのだそうです。

ただ、その歌の歌詞が、

タバコは体に悪いから
値段を上げましょ吸わないように
お酒も体に悪いから
庶民の腕から取り上げましょう
政府は国民を考えて
悩んでおります親心
交通事故などないように
ガソリンも上げます バンバンザイ
わたくし政府のお役人
もらう給料も目に涙
着るもんもろくすっぽ買えません
いつもダブルの背広です
・・・

というもので、所さんいわく、発売直前になって、

「社風に合わない」
「会社の品位を汚す」
「うちは沢田研二と、野口五郎でいく」

と、上層部に発売を中止されてしまったのだとか。

なかなか風刺の利いた歌詞ですが、当時、「ポリドール」は、沢田研二さんや野口五郎さんなど売れっ子を抱えるれコード会社。わざわざ、所さんでギャンブルを打つ意味がなかったのかもしれませんね。

ということで、この曲は、幻のデビュー曲となったのでした♪

「所ジョージの嫁は?娘は?病気?世田谷ベースの車が凄い!」に続く

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