1968年にリリースしたシングル「三百六十五歩のマーチ」がミリオンセラーを記録し、一躍人気歌手としての地位を確立された水前寺清子(すいぜんじ きよこ)さん。その後、1970年には、ホームドラマの主演に抜擢されるなど、順調満帆な芸能生活を送られていたのですが・・・
「水前寺清子の若い頃は?365歩のマーチが大ヒット!あだ名チータの由来は?」からの続き
山岡久乃と「ありがとう」で大ヒット
そんな水前寺さんは、1970年には、石井ふく子さんプロデュースのTBSホームドラマ「ありがとう」で主演に抜擢され、山岡久乃さんと母娘役を好演されると、民放ドラマ史上最高の56.3%という視聴率を記録する大ヒットとなり、女優としてもブレイクされているのですが、
実は、プロデューサーの石井さんは、このドラマの主人公を誰にしようかと思案中、人気者だった水前寺さんに目が留まり、水前寺さんが歌の仕事でTBSに来るたびに、局内の女子トイレで待ち構え、口説かれていたというのです。
ただ、水前寺さんはというと、そんな石井さんの熱心な口説きにも、
私は歌手であり、女優をやったら歌が売れなくなってしまうから
と、当初は、断っていたのですが、
ある時、石井さんから、7回も、
あなたは美人じゃないところがいい
と連呼され、
普通なら気を悪くしてもいいところ、水前寺さんは、
おもしろい方だな
と思われたそうで、ついにドラマ出演を引き受けられたのでした。
「ありがとう」より。水前寺さんと山岡久乃さん。
結果、ドラマはシリーズ化されるほどの大ヒットとなると、水前寺さんは、もう十分と思われたようで、1973年、第3シリーズをもって、歌手活動に専念するため、降板されているのですが、(ただ、その後も歌手一本というわけではなく、ほかのテレビドラマに出演されています)
そのため、第4シリーズは大幅に配役が変更され、京塚昌子さんと佐良直美さんが母娘役を演じているのですが、視聴率が大幅に下落。結局、このドラマは、第4シリーズで終了となっており、いかに水前寺さんがドラマのヒットに大きく貢献されたかが伺えます。
出演作品(映画、テレビドラマ)
それでは、ここで、水前寺さんのそのほかの出演作品もご紹介しましょう。
映画では、
1967年「座頭市鉄火旅」
1968年「わが命の唄 艶歌」
「コント55号と水前寺清子の神様の恋人」
1969年「コント55号と水前寺清子のワン・ツー・パンチ三百六十五歩のマーチ」
「わが命の唄 艶歌」より。
(左から)渡哲也さん、松原智恵子さん、水前寺さん。
1970年「三度笠だよ人生は」
「コント55号水前寺清子の大勝負」
1971年「あまから物語 おんなの朝」
1976年「おしゃれ大作戦」
1985年「山下少年物語」
2008年「デコトラの鷲」
「デコトラの鷲」より。哀川翔さんと水前寺さん。
テレビドラマでは、
1969年「天と地と」
1970年「ありがとう」
1971年「女と味噌汁」
1972年「青春をつっ走れ」第16話
1974年「ほうねんまんさく」
「天と地と」より。石坂浩二さんと水前寺さん。
1975年「明日がござる」
1976年「バケタン家族」
1979年「銭形平次」第691回
1983年「遠山の金さん 第1シリーズ」第66話
1984年「暴れん坊将軍II」第43話
1985年「必殺仕事人意外伝 主水、第七騎兵隊と闘う 大利根ウエスタン月夜」
1986年「心はロンリー、気持ちは「…」IV」
1987年 NHK銀河テレビ小説「まんが道・青春篇」
1993年「春日八郎物語」
1994年「肥後のカミナリ 北里柴三郎」
1996年「痛快大名 徳川宗春~吉宗に挑んだ男」
1999年「教習所物語」
2002年「土曜ワイド劇場『法医学教室の事件ファイル16・監察医VS鑑識官 ふたりの熱い闘い』」
2003年「VICTORY!~フットガールズの青春~」
2004年「ナースマンがゆく」
「教習所物語」より。武田鉄矢さんと水前寺さん。
2005年「課外授業 ようこそ先輩」
2007年「火曜ドラマゴールド『大女優殺人事件』」
2008年「新・京都迷宮案内5」
2009年「水戸黄門」第40部 第6話
2013年「サザエさん アニメ&ドラマで2時間半SP」
「水戸黄門」より。
(左から)萩原流行さん、水前寺さん、里見浩太朗さん。
ほか、数多くの作品に出演されています。
公演中に膝を大けが
ところで、水前寺さんは、このような活躍の裏で、ある病に苦しまれていました。
実は、水前寺さんは、デビューしてから1年半後の1965年、20歳の時、小学6年生で熊本を離れて以来、実に8年ぶりの地元・熊本でのお里帰り公演が実現するのですが、
張り切りすぎたせいか、公演中、体を3回転させる振り付けのところで、舞台の床板のすき間に草履がはさまってしまい、膝がバリバリと音を立てながら転倒。
それで、膝を押さえて苦しんでいるところをマネジャーが気付き、あわてて幕が下ろされると、近くの診療所に連れて行かれ、添え木を当てる応急処置が取られたのですが、
この数10分の間、まだお客さんが会場に残っていることを知った水前寺さんは、スタッフが止めるのも聞かず、なんと、車付きのベッドで舞台に戻られ、そのままベッドの上で歌い直されたそうで、
これには、お客さんもバンドのメンバーも水前寺さんの姿を見て泣き、これを聞きつけた地元の人も会場に押しかけ、声援を送ってくれたそうで、
水前寺さんいわく、
私も感激し、痛さを忘れて泣きながら、持ち歌を歌いつくしました。
と、舞台をまっとうされたのですが・・・
幕が下りると、激痛が再発。
大学病院へ行き、検査をすると、左足の膝内側の筋が切れ、軟骨にヒビが入っていることが判明したのでした。
病気は腰部脊柱管狭窄症
こうして、水前寺さんは、数日間入院した後、東京に戻り、さらに1か月ほど入院されるのですが、この事故以来、ステージに立つと、ケガしたところが発作的に痛み出すようになったそうで、今度は、それをかばうため、右足がこるようになります。
しかも、ステージが終わると、五寸くぎを打ち込まれたような激しい痛みが、全身の神経にまで響き、身動きできなくなることもあったそうですが、
それでも、痛みをこらえつつ、半世紀に渡り、芸能活動を続けてこられると、2011年、65歳の時には、ついに無理が効かなくなり、広島でのコンサート中、ステージ中央の階段から転落してしまい、今度は、左膝を骨折して、靭帯を損傷。
それからというもの、足先がしびれてふらつくようになり、ステージで何度も転ぶようになったそうで、病院で検査をしたところ、足先がしびれてふらつくのは、背骨の腰の部分の神経を囲んでいる管が狭くなり、神経を圧迫する「腰部脊柱管狭窄症」と診断されたのでした。
(原因は、若い頃から着流し姿で背筋を伸ばして歌い続けたことや、ステージ上での度重なる転倒によるケガが重なったことのようです)
そこで、水前寺さんは、
ステージで転ぶのは怖い。でも、怖がっているのが、お客さまに伝わってはいけない。
と、芸能生活50周年記念公演を2014年12月に控え、公演半年前の同年6月には「腰部脊柱管狭窄症」の手術を受けられると、無事に成功。
その後、すぐに足の筋肉をつけるリハビリに励み、3週間でリハビリを終了させると、なんと、退院した翌日にはステージに復帰するという、驚異的な回復を遂げられたのでした。
「水前寺清子の夫は?子供は?昔に和田アキ子を泣かせた?」に続く
https://www.youtube.com/watch?v=j_GfsI61UfA