1962年、テレビドラマ「人間の條件」の主役に抜擢されて、鮮烈なデビューを果たすと、翌年の1963年には、その美貌を買われ、「死闘の伝説」のメインキャストで映画デビューもされた、加藤剛(かとう ごう)さん。以降、二枚目俳優として活躍され、1970年には、「大岡越前」の大岡忠相役が当たり役となります。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

加藤さんは、1938年2月4日生まれ、
静岡県榛原郡白羽村(現・御前崎市)のご出身、

身長173センチ、
体重70キロ、

本名は、同じ表記で別の読み方の、加藤剛(かとう たけし)、

学歴は、
東京都立小石川高等学校
⇒早稲田大学文学部演劇科卒業

趣味・特技は、園芸、ドライブで、
お酒、タバコ、ギャンブルは一切やらない清廉潔白なお人柄だったそうです。

坊っちゃんだった少年時代

加藤さんは、古くからの地主で、戦後の農地改革で土地の大半を失ってしまったものの、それでもなお、自宅の敷地は八百坪近くあり、さらに敷地に続くすぐ裏には持ち山があるという裕福な家庭に、姉4人と兄と弟の7人でで生まれ育たったそうですが、

お母さんの台所仕事や畑仕事をよく手伝う優しい子どもだったことから、近所の人からは、「坊っちゃん」と呼ばれていたそうです。

そんな加藤さんは、小学校の校長先生をしていたお父さんから、医師になるように勧められ、中学3年生の時に上京すると、戦争で夫を失い、東京・文京区で美容室を開いていたお姉さんの家に寄宿させてもらいながら東京の中学校に通われるのですが、

高校生になり、柔道部に入られると、同じ柔道部の先輩がお芝居もやっており、その先輩から学園祭のお芝居を手伝うように命じられて舞台に立ったことから、演劇に興味を持つようになったそうで、

高校卒業後は、早稲田大学の演劇科に入学され、学内劇団の演劇活動に打ち込むようになられます。

「人間の條件」の主演で鮮烈デビュー~二枚目俳優として活躍

そして、1961年、大学4年生の時には、20倍の難関を突破して「俳優座」の養成所に入所されると、翌年の1962年には、無名の俳優を探し求めていたスタッフより、テレビドラマ「人間の條件」の主人公・梶役に抜擢。


「人間の條件」より。加藤さんと藤由紀子さん。

この鮮烈なデビューで、加藤さんは、原作者の五味川純平さんから、「テレビ映画の優れた主演者」とその演技を高く評価されて一躍脚光を浴びると、

この「人間の條件」を観た木下惠介監督からは、その近代的な美貌を気に入られて、「死闘の伝説」(1963)でメインキャストに起用され、映画デビュー。以降、二枚目俳優として活躍されたのでした。


「死闘の伝説」より。加藤嘉さんと加藤剛さん。

ちなみに、「俳優座」の同期だった横内正さんは、養成所で初めて加藤さんと会った時、

欠点のない男。こんな二枚目がいるんじゃ、かなわないと思った。

(俳優座の先輩の)平幹二朗さんは、仲代達矢がいる限り劇団で上にいけない、と思ったように、僕も加藤剛がいる限り上にはあがれないだろう。

と、退団も考えられたそうで、それほど、加藤さんの存在は抜きん出ていたようです。

(結局、横内さんは、それでも思いとどまられ、その後も「俳優座」で活動されています)

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「大岡越前」は30年続く超ロングヒット

また、加藤さんは、1970年には、「大岡越前」で主役の大岡忠相役を演じられているのですが、その知性的で正義感が強い役どころが人気を博し、以降、1999年まで続く超ロングラン放送となり、TBSの看板番組の主役として、大きく貢献されています。


「大岡越前」で大家忠相に扮する加藤剛さん。

そして、2006年に放送された、「大岡越前 最終回スペシャル版」では、息子の夏原諒さん、頼三四郎(現・加藤頼さん)と親子共演も果たされており、まさに、「大岡越前」は加藤さんのライフワークとなったのでした。

「加藤剛の死因は?嫁は?息子は?砂の器ほか出演ドラマ映画は?」に続く

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