1998年10月に「宝塚歌劇団」退団後は、芸能界入りした、真矢ミキ(まや みき)さんですが、ミュージカルや舞台の仕事を断り続けたせいで、すっかり仕事がなくなってしまいます。
「真矢ミキが宝塚花組男役トップスター時代は革命児と呼ばれていた!」からの続き
宝塚退団後は舞台オファーを断って仕事が無くなり、ウツに
「宝塚歌劇団」では花組トップスターして活躍された真矢さんですが、1998年10月に宝塚を退団すると、
ここでリセットしないと前に進めないと思ってました。山から一度下りないと次の頂上は見えて来ないんだろうなとトップにいる時からずっと考えてたんです。次へ引きずるのは何か違うと感じてましたね。
と、熱烈なファンクラブを解散し、乗っていた高級車も小さな車に買い換えるなど、全てをゼロに戻されます。
そして、仕事も、ミュージカルや舞台のオファーはあったものの、あえてこだわり、
芝居は興味あるし、好きなんだけど、やっぱりダンスと歌がおぼつかない、みたいなものがあって。わたしはこのまま舞台に行くのは違うだろうって。
新たな分野に挑戦したい
との思いから、2年間は絶対に舞台には立たないと決め、仕事を断り続けられたのですが・・・
その結果、やがて、オファーが来なくなってしまい(4年半くらい)、
宝塚を辞めた後は、私には何も才能がないと思い(家から出られず)ベッドが友達でした。いま思うとうつ病だったのかもしれない。
と、想像以上に厳しい現実をつきつけられたのでした。
事務所もクビに
ちなみに、その間は、秘境の地に行くような旅番組やお見合い番組など、ほかの人が断るような仕事をかき集めて、なんとかしのいでいたそうで、
世界のユニークな民族を訪ねるドキュメンタリー番組では、案内役だと思っていたのが、『現地の人たちと平均的な日本人の背丈を比べるだけ』、という心が折れてしまいそうな仕事も経験。
(そんな中でも、笑福亭鶴瓶さんにはすごくかわいがってもらい、大阪の番組に時々呼んでもらうなど、人の優しさというものを覚えたのも、この苦境の時期だったそうです)
そして、2002年、とうとう真矢さんは、当時、所属していた大手芸能事務所「田辺エージェンシー」(タモリさん、堺雅人さんらが所属)から、まさかの、「戦力外(クビ)通告」を受けたのでした。
映画「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」で芸能界復帰
それでも、真矢さんは、
宝塚にいた時からとにかく目の前のことを全力でやろうと決めてました。自分の中でこれだと思うこと、ダンスでも歌でもいいんです。いつもベストを尽くしていれば必ず誰かが認めてくれると信じてました。
私はみなさんが思うほど上手な生き方はできないですね。ボコボコに落ち込むこともよくあります。でも、器用に生きていこうとは思ってません。その方がいろいろな人の気持ちが見えていいと思うし。
と、宝塚時代に学んだことを実践し続けられると、
そんな努力が実ったのか、2003年、39歳の時、映画「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」のオーディションに、知人から借りたスーツを着て参加されると、選考を勝ち抜き、見事合格。
真矢さんは、この作品で、主人公・青島刑事(織田裕二さん)と対立する、「任務のためには所轄の人間は捨て駒になっても当然」と考える女性管理官・沖田仁美役を演じられているのですが、映画の大ヒットとともに、真矢さんも見事に芸能界復帰を果たされたのでした。
「踊る大捜査線」より。
以降、真矢さんは、数多くのテレビドラマや映画で、「バリバリのキャリアウーマン」や「強い女性」を多く演じられ、「理想の上司ランキング」では、毎年上位にあがるほど、再び、女性が憧れる存在へと返り咲かれたのでした。