プライベートでは、女優の中原早苗さんと結婚し、男の子をもうけられるも、作品同様、女性関係も情熱的だった、深作欣二(ふかさく きんじ)さん。晩年は、そのことが思わぬ問題に発展します。
「深作欣二の嫁は中原早苗も松坂慶子と不倫関係だった!」からの続き
荻野目慶子との不倫は息子の進言がきっかけ?
いつ頃、女優の松坂慶子さんとの不倫関係が清算されたのかは分かりませんが、深作さんは、次は、女優の荻野目慶子さんと不倫関係となります。
というのも、深作さんの息子・健太さんが中学に入る頃グレ始め、たまたまレンタルビデオ屋で「仁義なき戦い」を観て、
自分がグレようとしていた時、親父はもう何年も前にこんなぶっ飛んだ映画作っていたんだな
と、衝撃を受け、以降、お父さんの作品はもちろんのこと、他の評判の高い映画、舞台をむさぼるように見始めると、その中の、荻野目慶子さんの出演する舞台を観て、強く心を揺さぶられたそうで、
お父さんに、
荻野目慶子という女優が凄いから映画に起用すべきだ
と、進言。
すると、その後、深作さんは、健太さんを交えて、荻野目さんと3人で食事をするほどの仲となり、
荻野目さんを、自身の映画「いつかギラギラする日」「忠臣蔵外伝 四谷怪談」に起用。
そして、この撮影中、お二人は、不倫関係となられたのでした。
「いつかギラギラする日」の試写会より。(左から)奥山和由プロデューサー、多岐川裕美さん、荻野目慶子さん、木村一八さん、萩原健一さん、深作さん。
荻野目慶子が著書「女優の夜」で暴露
ちなみに、荻野目さんは、2002年発売の自叙伝「女優の夜」で、自身の男性遍歴を明かしているのですが、その中には、深作さんとの関係についても詳細に綴られています。
実は、荻野目さんは、若手で売出し中だった頃から、既婚者だった映画監督のKさんと不倫関係にあり、同棲していたのですが、Kさんが興行に失敗して、荻野目さんのヒモとなり、1990年には精神を病んで、同棲していた部屋で首を吊って自殺したことから、荻野目さんは、マスコミからの激しいバッシングにあい、しばらく女優業を休止。
そんな中、深作さんの「いつかギラギラする日」(1991年公開)のオーディションを受け、重要な役に抜擢されて、ようやく女優業に復帰され、
なんと、その撮影中、深作さんに襲われる形で関係を持ち、深作さんとの不倫が始まったそうで、
(深作さんは、荻野目さんより34歳も年上)
荻野目さんは、深作について、
映画も面白いけれども、人柄もまた魅力に富んでいた
と、綴っておられました。
(そんなお二人の関係は9年続いたそうです)
命より性を選び抗がん剤の治療を拒否
ところで、深作さんは、晩年、「前立腺ガン」に侵されるも、抗がん剤での治療を拒否されているのですが(当時はまだガンであることを公表していませんでした)、
その理由を、荻野目さんは、
抗ガン剤を使えば男性機能が弱くなる。僕は命よりもキミとの性を選んだ。
と、著書「女優の夜」の中で暴露されています。
また、東映のプロデューサー・日下部五朗さんも、深作さんのお見舞いに訪れた際、深作さんがベッドの上で、
世間には伏せていたけど前立腺ガンだという。切ってしまったほうがラクなんだろうけど、切ったら女を抱けなくなっちゃうんだよ。
と、笑って話されていたことを明かされていました。
深作さんと荻野目慶子さん
ガン公表は荻野目慶子の暴露本が原因
深作さんは、1996年に「前立腺ガン」の手術を受けるも、2002年の「バトル・ロワイアルII 鎮魂歌」の製作発表まで、ずっと世間にはガンであることを伏せていたのですが、今更このタイミングでガン公表に踏み切ったのは、荻野目さんの著書「女優の夜」が原因だったそうです。
というのも、息子の健太さんによると、深作さんが闘病中だったある日のこと、深作さんが挙動不審になったそうで、おかしいと思い、問い詰めたところ、
女が告白本を出すようで、その中で俺の病状の事も書いてあるらしい。それだけは世間に知らせたくない。
と、打ち明けられたそうで、健太さんは、すぐに出版予定の社長に面会を求め、原稿を見せるように要求。
ただ、
お前 いい根性しているな
と、取り合ってくれなかったそうです。
それでも、健太さんは、
親父の女関係の話しなんかどうでも良かった。でも親父の癌の事を愛人から発表されるのだけは絶対許せなかった。
と、本が出版される前に、自身の口からマスコミに発表するように深作さんに願い、深作さんもこれを了承。
こうして、深作さんは、会見で自らの口から病名を公表されるに至ったのでした。
ちなみに、深作さんに、「女優の夜」発売から数カ月後の2003年1月12日に他界されているのですが、臨終の際、妻の中原早苗さんは、当然ながら、荻野目さんの立ち会いを頑なに拒まれたそうです。
さて、いかがでしたでしょうか。
深作さんの、
- 年齢は?出身は?本名は?
- 中学生の時は戦争で死と隣り合わせ
- 千葉真一主演「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」で監督デビュー
- 「誇り高き挑戦」で評論家から高評価を得るも・・・
- お荷物監督?
- 富司純子の口利きで「顔役」の監督に
- 中原早苗とのデートで脚本進まず?
- 胃潰瘍で入院
- 笠原和夫と決裂
- 実録風映画「日本暴力団 組長」が初ヒット
- 菅原文太を主演に「人斬り与太」シリーズ製作
- 「仁義なき戦い」で笠原和夫と再タッグ
- 「仁義なき戦い」は元組長の獄中手記を引用したリアルやくざ映画
- 「京都撮影所」が反発するも・・・
- 監督自らカメラを担いで撮影していた
- 走っている電車を止めることを要求?
- 2ヶ月間不眠不休だった?
- 大部屋俳優「ピラニア軍団」も使いこなす
- 「柳生一族の陰謀」「魔界転生」などが次々とヒット
- 「バトルロワイヤル」が大ヒット
- 戦争体験が原点に
- 監督作品(テレビドラマ、映画)
- 前立腺ガンが全身の骨に転移
- 死去
- 葬儀・告別式
- 「THE BLUE HEARTS」の「1001のバイオリン」
- 嫁は中原早苗
- 息子は深作健太
- 松坂慶子と不倫関係に
- 荻野目慶子との不倫は息子の進言がきっかけ?
- 荻野目慶子が著書「女優の夜」で暴露
- 命より性を選び抗がん剤の治療を拒否
- ガン公表は荻野目慶子の暴露本が原因
について、まとめてみました。
子供時代の戦争体験から、
この世に善も悪もない。あるのは闘いだけ。
と、自らテーマを語った「仁義なき戦い」では、スターが主演で脇役はあくまで引き立て役だったこれまでの映画とは異なり、当時若手だった、菅原文太さん、松方弘樹さん、北大路欣也さんらを採用し、殺され役にも、そのシーンでは主役だとスポットライト当てるなど、斬新な演出で一世を風靡された深作さん。
本音と本音で俳優たちとぶつかって語り合うその情熱的な人柄は、男女問わず多くの人を魅了し、大スター・鶴田浩二さんでさえも、深作さんの作品であれば、撮影が朝の4時になろうとも黙って付き合ったとか。
これを機会にそんな深作さんの作品をご覧になってはいかがでしょうか。
深作さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
「深作欣二の生い立ちは?若い頃はお荷物監督と言われていた!」