映画「浪花の恋の物語」で共演した、女優の有馬稲子さんと結婚するも、4年足らずで離婚された、萬屋錦之介(よろずや きんのすけ)さんですが、すぐに次の出会いがあったようです。
女優・淡路恵子と再婚
1965年、女優の有馬稲子さんと離婚された萬屋さんですが、翌年の1966年には、女優の淡路恵子さんと再婚。
お二人の馴れ初めなど、詳しいことは分かりませんでしたが、淡路さんには、二人の連れ子がおり、錦之介さんはいきなり二人のお子さんのお父さんとなったのでした。
幸せそうな錦之介さんと淡路恵子さん。
(淡路さんは、20歳の時、フィリピン人歌手である、ビンボー・ダナオさんと結婚し、2人のお子さんをもうけるも、1965年に離婚。萬屋さんと再婚後は女優業を引退されています。)
淡路恵子が歌舞伎座のチケットを1万枚売りさばいていた
やがて、お二人の間にも二人の息子さんが誕生しているのですが、淡路さんにとって、結婚生活で一番大変だったのは、萬屋さんの芝居のチケットを売りさばくことだったそうです。
というのも、毎年1回、6月に行われる座長公演では、(萬屋錦之介の名前にかかわる舞台だったため)どんなことをしてでも歌舞伎座をいっぱいにしないといけなかったそうで、なんと、淡路さん一人で1万枚近く売ったこともあったというのです。
結婚後は淡路恵子が営業マン
そのためには、知り合いの知り合いの奥さんの誕生日パーティーや、娘さんの成人のお祝いなど、何かにつけて、何度も何度も足を運んで顔見知りになり、そういうことを繰り返しやって、
(普通の営業マンのように名刺は持っていなかったため、女優としての実績が名刺代わりとなり)女優の淡路恵子が来てくれたということで、覚えてもらえるようになり、やっとのことで、年に一度の座長公演のチケットを買ってもらえたのだそうですが、
実は、売るだけで終わりではなく、歌舞伎座は、「とちり席」(昔、座席は、「い・ろ・は順」で、客席の中でも特に見やすいとされていた席が、花道に近い「と列」「ち列」「り列」だったそうです)という席順だったことから、
お客さんの好みや来てくれる人数などに合わせて、これらの席をうまい具合に織り交ぜながら売ることも大事だったそうです。
(お客さんの中には、見やすいとされている「とちり席」よりも、舞台の真ん中がいいというお客さんや、逆に、後ろの方がいいというお客さんもいたそうです。)
淡路恵子は自ら進んで萬屋錦之介に尽くしていた?
淡路さんは、そういうものを全部データ化し、翌年の営業に役立てるという工夫をされていたほか、手ぬぐいや浴衣などのデザインもすべて淡路さんが担当していたそうで、
なかには、数百枚単位で買ってくれるお客さんもいたため、そういうお客さんには、1ヶ月前から電話で打ち合わせをして、日時を決めて、手ぬぐいや浴衣を持って挨拶に伺っていたそうですが、何十件もあったため、とても大変だったそうです。
さらに、淡路さんだけではなく、萬屋さんのお母さんも同じようにチケットを売っていたため、
あーた、私のお客さんを横取りしたわね
と言われることもあり、やたらめったら売ることもできず、常に新規のお客さんを開拓しなければいけない、という気苦労もあったそうで、
淡路さんは、後に、
こういうことを地道に続けた結果、ひとりで1万枚を売りさばく敏腕営業マン・淡路恵子が誕生したというわけ。
舞台やスクリーンでは夢を売って、現実世界ではチケットを売って…。考えてみると私の人生ってステキなマッチポンプよね(笑)
と、おっしゃっていました。
ただ、長男の島英津夫さんによると、
子供より、ダンナさんのために生きてきた人でした。いつも「錦ちゃん、錦ちゃん」と言ってました。
とのことで、実際のところは、大好きな萬屋さんのため、それほど苦にはならなかったのかもしれませんね♪
萬屋さんと淡路恵子さん。