「どーかひとつ」「なが~い目で見てください」などのギャグや、淀川長治さんのモノマネで、コメディアンとして頭角を現した、小松政夫(こまつ まさお)さんは、その後、伊東四朗さんとコンビを組むと、一躍、大ブレイクを果たします。
「小松政夫はギャグで人気が出た後も植木等との師弟関係を続けていた!」からの続き
伊東四朗とのコンビで活躍
小松さんは、1970年、「てんぷくトリオ」のメンバーだった伊東四朗さんと、お笑い番組「お笑いスタジオ」で出会うと、
お笑いの感性が似ていたことから意気投合し、1973年まで「お笑いスタジオ」でコンビを組まれているのですが、
(この時はまだ、正式なコンビではなく、あくまで共演だったそうです)
1975年、お笑い番組「笑って!笑って!!60分」で、人気絶頂だった「ずうとるび」の盛り上げ役として、最初の2回のみという予定で、伊東さんと共演されると、
伊東さん(子分)が、落ち込んでいる小松さん(小松の親分)を、
ズンズンズンズン、3、4、小松の親分さん!
と、慰め、
小松さん(小松の親分)が、
ニンドスハッカッカ!ヒジリキホッキョッキョ!ガーッチャマンに負けるな、負けるなガーッチャマン!
と、意味不明にキレっキレっに乗る、「小松の親分さん」というネタが大ウケ。
この人気で、最初の2回というくくりはなくなり、継続して出演し続けることになったそうで、以来、小松さんは、どんなに地方に行っても、「親分~!」と呼ばれるほどの人気者となります。
「笑って!笑って!!60分」より。伊東四朗さんと小松さん。
(ちなみに、お二人の人気に押され、逆に、「ずうとるび」は途中降板となってしまっています)
「電線音頭」でブレイク
そして、小松さんと伊東さんも、ついに、「お!ジョーズ」というコンビを組み、他のお笑い番組にも出演し始めると、
翌年の1976年には、当時の人気アイドル「キャンディーズ」と、加山雄三さんが中心の番組だった「みごろ!食べごろ!笑いごろ!」に出演されているのですが、
やがて、「キャンディーズ」が解散し、お二人がメインの番組になると、小松さん演じる「小松与太八左衛門」と、伊藤さん演じる「ベンジャミン伊東」が、「電線マン」に扮し、「電線軍団」を率いて、こたつの上で歌い踊る「電線音頭」が、小学生を中心に絶大な支持を得て、一躍「電線マン」ブームを巻き起こします。
「みごろ!食べごろ!笑いごろ!」より。(左から)伊藤蘭さん、田中好子さん、小松さん、伊東四朗さん、藤村美樹さん。
(当時、これを真似て、自宅のこたつの上で歌い踊る小学生が続出。こたつの脚が壊れる事故が多発したことから、学校で電線音頭が禁止されるほか、この番組は、PTAから俗悪番組とバッシングされたのだそうです。)
「しらけ鳥音頭」も人気爆発
また、そのほかにも、小松さんが息子の政太郎、伊東さんが母親を演じた、「悪ガキ一家と鬼かあちゃん」では、
会話中に場がしらけると、政太郎が突然右手にしらけ鳥のパペットを持って、「しらけ鳥音頭」を歌いだす、というコントが人気爆発。
まさに、お二人は、飛ぶ鳥を落とす勢いの人気者となられたのでした。