映画「大学の若大将」で一躍人気を博す一方で、バンド「ザ・ランチャーズ」を結成し、「ベンチャーズ」の来日公演で共演するほか、オリジナル曲を「ベンチャーズ」にカバーされるなど、ミュージシャンとしても活動されていた、加山雄三(かやま ゆうぞう)さんですが、1965年には、ソロでリリースした「エレキの若大将」の主題歌「君といつまでも」が大ヒットを記録。歌手としても大ブレイクを果たします。
「加山雄三とランチャーズの曲をベンチャーズがカバーしていた!」
「君といつまでも」が大ヒット
俳優業と並行して、エレキバンド「ザ・ランチャーズ」でも活動されていた加山さんですが、1961年には、「夜の太陽」でソロ歌手としてもデビューされており、
以降、
「みんな聞いてる青春」 (1962年6月)
「日本一の若大将」 (1962年7月)
「恋は紅いバラ」 (1965年6月15日)
と、シングルをリリースすると、
1965年には、映画「エレキの若大将」の主題歌として発売された、5枚目のシングル「君といつまでも」(1965年12月)(加山さん作曲)が350万枚を超える大ヒットを記録。
1966年には「第8回日本レコード大賞」の特別賞を受賞されるなど、加山さんは、歌手としても絶大な人気を博しています。
(加山さんは、1965年頃から、「弾厚作(だんこうさく)」のペンネームで、作曲も手がけるようになっています)
「君といつまでも」は「ベンチャーズ」もカバー
ちなみに、この「君といつまでも」は、「ベンチャーズ」がカバーして日本で発表し、こちらも大ヒットとなっているのですが、
「ベンチャーズ」は、これをきっかけに、1960年代後半~1970年代、「二人の銀座」(和泉雅子さんと山内賢さん)、「京都の恋」(渚ゆう子さん)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲さん)、「京都慕情」(渚ゆう子さん)など、日本人歌手向けに楽曲を提供し、数多くのヒットを記録しています
(「ベンチャー歌謡」と呼ばれているそうです))
「第三期ザ・ランチャーズ」は加山雄三抜きで
また、加山さんは、「君といつまでも」の大ヒットで、ソロとしての活動が忙しくなったのか、その後、「ザ・ランチャーズ」としては活動されておらず、
1967年には、「第二期ザ・ランチャーズ」のメンバーだった喜多嶋修さんが、兄・喜多嶋瑛さんや大学のクラスメイト渡辺有三さんらと共に、加山さんから独立した「第3期ランチャーズ」を編成。
同年11月には、ファーストシングル「真冬の帰り道」でレコードデビューを果たし、ヒットを記録しますが、「ザ・タイガース」を始めとするグループサウンズ(GS)ブームの台頭で、エレキ・ブームは陰りが見え始め、以降、これといったヒット曲に恵まれず、1971年には解散されています。
「椿三十郎」「赤ひげ」など黒澤明監督作品にも出演
さて、加山さんは、「若大将シリーズ」以外にも、
「椿三十郎」(1962年)
「赤ひげ」(1965年)
など、黒澤明監督の作品にも出演されているのですが、
加山さんは、
シリーズが続いたことで、若大将のイメージが強くなって、僕の俳優としての幅が少なくなっていった気がしたんですよ。
だから黒澤明さんの映画に出させてもらえた時、初めて「俺はこの世界で頑張ろう」と思えたんです。そこで人生が大きく変わりましたよ。
やっぱり「こんなすごい人が世の中に存在するんだ」っていうね。もう雰囲気からして違う。例えば、脚本の読み合わせは、ちゃんと羽織袴や刀を身につけてから始まるんですよ。
最初からチョンマゲも結って、刀も本身をつけて、草履や足袋を履いて歩かされる。しかも、撮影があろうがなかろうが、朝から晩まで。こんな経験初めてでした。
と、黒澤監督作品への出演で大きな刺激を受けたことを明かされています。
「加山雄三は昔リゾートホテル経営失敗で負債23億円を抱えていた!」に続く
「赤ひげ」より。三船敏郎さん(左)と加山さん(右)。