小学生の時には、絵画コンクールの「文部大臣賞」を2年連続で受賞するなど、早くから絵の才能を発揮するも、当時の映画スター・長谷川一夫さんに憧れ、20歳の時には、「日活第5期ニューフェイス」のオーディションを受けると、応募者4000人の中から見事合格し、「日活」に入社。ただ、その「日活」も1年足らずで退社し、絵画修行のため、フランス留学された、中尾彬(なかお あきら)さんですが・・・
「中尾彬は少年時代に絵の才能発揮も長谷川一夫に弟子入り志願していた!」からの続き
映画「月曜日のユカ」で注目を集める
中尾さんは、そのフランスからも、1964年、1年ほどで帰国し、再び演劇の道を目指すべく、同年、「劇団民藝」に研究生として入団すると、加賀まりこさん主演の日活映画「月曜日のユカ」で加賀さん演じるユカの彼氏役に抜擢され、期待の新人俳優として、たちまち注目の的となります。
「月曜日のユカ」より。中尾さんと加賀まりこさん。
また、翌年の1965年には、映画「明日は咲こう花咲こう」で、吉永小百合さんの恋人役を演じられ、二枚目俳優として人気を博します。
その後も、中尾さんは、しばらくは、
「愛と死の記録」(1966年)
「逃亡列車」(1966年)
「娘の季節」(1968年)
「愛と死の記録」より。
と、日活映画を中心に出演されていたのですが、1970年には、「劇団民藝」と「日活」を離れると、以降、フリーとして、様々な映画会社の作品やテレビドラマに出演されています。
「暴れん坊将軍」の悪代官役が当たり役に
そして、1975年には、映画「本陣殺人事件」で、初の主演・金田一耕助役に抜擢されると、この作品は、設定を現代に移していることから、ジーンズ姿という異色の金田一耕助を演じ、話題に。
「本陣殺人事件」より。
また、1977年には、テレビドラマ「暴れん坊将軍」で、悪代官・徳川宗春役を好演されると、への字に曲げた口から発せられる低い声と、アクの強い演技が見事にハマり、中尾さんの当たり役となったのでした。
「暴れん坊将軍」より。
再び絵画の道へ
こうして、俳優としてのキャリアが一段落した中尾さんは、1978年には、再び絵を始め、同年、個展を2回開催。
以降、俳優業の傍ら、創作活動を継続して行われると、1981年には、フランスの「ル・サロン展」において、「BUNRAKU・狂乱」で大賞を受賞。
1982年には、「COUNTRY・故郷」で国際賞を受賞するなど、ブランクがあったにもかかわらず、絵の才能は、衰えるどころか、ますます磨きがかかっていったのでした。
2012年に割り箸で書かれた作品で、文楽のかしらを題材にしたものだそうです。
バラエティにも進出
また、1994年には、南原清隆さんが中尾さんを真似したキャラ、「中王彬」に扮しているところに、中尾さんがドッキリ企画で出演されたのをきっかけに、
本物の中尾さんが登場し、焦る南原さん。(中央は、内村光良さん。)
ウッチャンナンチャンの「ゲッパチ!UN アワーありがとやんした!?」にレギュラー出演されると、
その後も、
「ダウンタウンDX」
「痛快!エブリデイ」
「ちちんぷいぷい」
「知ってた?」
「ダウンタウンDX」より。
「知っとこ!」
「グッド!モーニング」
「やじうまテレビ!」
「グッド!モーニング」より。
など、バラエティや情報番組のコメンテーターとしても活躍。
現在は、すっかり、若い世代にも知名度が浸透し、トレードマークのマフラーや、愛妻家のキャラクターで、幅広い世代から人気を博しています。