紆余曲折がありながら、80歳を回っても現役で活躍されている、なべおさみさんですが、2016年に亡くなるまで、長年連れ添われた奥さんとは、デビュー間もない1967年に結婚されていたといいます。今回は、そんななべさんと奥さんとのエピソードをご紹介します。
「なべおさみが謹慎中は高級時計パテックフィリップを売って生活していた!」からの続き
妻は元女優・笹るみ子
なべさんは、デビューした1964年、25歳の秋から、1歳年下の女優、笹るみ子(本名・瑠美子)さんと同棲されていたそうですが、デビューしたばかりのなべさんのお給料が3万円だったのに対し、
るみ子さんはというと、1957年、「東宝」のニュースターとして、映画「青い山脈」で女優デビューすると、その後も立て続けに映画に出演し、1962年には、テレビに活動の場を移すと、1本30万円ものギャラをもらっていたそうで、
なべさんよりもるみ子さんの方が圧倒的に収入が多く、今で言う、格差婚のような状態だったそうです。
(当時、映画界はテレビ界のタレントよりもギャラが良く、映画女優はテレビに出演しても、高額のギャラをもらえたそうです)
にもかかわらず、なべさんは、男のプライドから、るみ子さんに仕事を断ることを望んでいたそうで、るみ子さんも、そんななべさんの気持ちを汲んで仕事を受けず、なべさんの部屋にこもっているという状態で、籍を入れることができなかったそうです。
若かりし日の笹るみ子さん。
同棲中の笹るみ子と別れを決意するも・・・
そんな生活の中、なべさんは、1966年、27歳の時、「渡辺プロダクション」恒例の新年会に参加されたそうですが、
その途中、「てなもんや三度笠」のディレクター・澤田隆治さんから、突然、
なんや、あんた同棲してるんだったね。まだ飯も食えんのに、ようやるよ。(「渡辺プロダクション」・渡辺晋)社長が二、三年、大阪で修業させようかと言っとったでぇ!
女なんて、芸能界では出世の妨げ以外の何ものでもないよ
大阪に三年居たら、女はそのうち逃げ出すよ
などと、言われたそうで、
パーティーが終わっても、澤田さんの言葉が頭から離れず、悩みながら帰宅したなべさんは、つい、るみ子さんに、このことを話してしまったのだそうです。
すると、るみ子さんは、少しうなだれて、黙って聞いていたそうですが、
急に顔を上げると、
別れましょう!男は出世が第一よ
と、きっぱり言ったそうで、
これを聞いたなべさんは、あわてて善後策などを言って聞かせたそうですが、るみ子さんの決心は変わらず。
結局は、なべさんが部屋を出ていく形で別れることが決まったのだそうです。
「渡辺プロダクション」社長・渡辺晋に憤慨
そんな状況の中、渡辺社長が、二人が生活できるだけの保証をしなければならないリスクから反対していると考えていたなべさんは、
結婚によって人気を失う可能性のある芸能人同士の結婚ならまだしも、これに当てはまらない自分たちの結婚に反対するなんて、
信長ともあろう人が、けちな話だ
(当時、なべさんは、渡辺社長を織田信長と重ね、お屋形様と崇めていました。)
と、憤慨したそうで、
それならと、必ず、るみ子さんを迎えに行ってやろうと思いながら、その日は眠りについたそうですが・・・
「渡辺プロダクション」社長・渡辺晋を殺し自殺するつもりだった
その日(1967年1月6日から7日にかけて)の夜中12時半頃、突然、暗闇の中で、
さっきの話は嘘だと言ってぇ!
と、るみ子さんに抱きつかれて目が覚めたそうで、
るみ子さんは、悲鳴にも似た声を上げて、激しく泣き叫んでいたことから、なだめようと、背中をさすってあげたそうですが、
(なべさんは、後に、この時、るみ子さんが身ごもっていたことを知ったそうです)
胸の中で泣きじゃくるるみ子さんの背中をさすっているうち、
すべての元凶はお屋形様(=織田信長=渡辺社長)にあるのだ
と、お屋形様を殺(あや)め、自分も死のうと思い立ったそうで、
天井裏に隠してあった鎧通し(日本刀)を手にし、コートを羽織ってタクシーに乗り込むと、渡辺社長の邸宅へ向かったのでした。
渡辺社長から結婚祝に映画主演をプレゼントしてもらう
そして、渡辺社長の邸宅に到着し、日本刀の柄をぐっとズボンに押し込みながら、玄関の呼び鈴を押すと、
お手伝いさんに伝えられ、何も知らない社長が、ガウンを羽織りながら、
よっ、なべ、遅くにどうした?
と、現れたそうで、
なべさんは、とても冷静に、
社長、社長はどうして私の結婚に反対しているのですか
と、問うたそうですが、
渡辺社長は、
反対?俺は反対なんてしてないよ!
ま、上がれ
と、言い、
なべさんが応接間に入ると、渡辺社長はガスストーブをつけながら、ゆっくりなべさんの前方に座り、
男はな、なべ、結婚する時には、花嫁に贈り物をしてやらんとな・・・
と、言ったそうで、なべさんは何がなんだか分からなくなったそうです。
それでも、渡辺社長の口から、「反対」の「は」でも出ようものなら、ズボンの腹の部分に押し込んだ刀を抜こうと、機を伺っていたそうですが、
渡辺社長が、
俺はお前の男の花道を考えてるとこよ!
と、続けたことから、
なべさんは気勢をそがれて言葉が出てこず、動くことさえできなくなっていると・・・
そんな中、渡辺社長が、突然、立ち上がり、
なべ、るみ子が心配してるだろ。明日、いや、もう今日か、一時に事務所来い!
と、言ったそうで、それで、お開きとなってしまったのだそうです。
そして、翌日、事務所に行くと、渡辺社長は、忘れられない記念日になるようにと、挙式をバレンタインデーに決めてくれたほか、花嫁となるるみ子さんへの贈り物にと、なべさんに、主演映画「吹けば飛ぶよな男だが」(山田洋次監督)をプレゼントしてくれたそうで・・・なべさんは、一枚も二枚も上だった渡辺社長に舌を巻いたのでした。
最愛の妻・笹るみ子が死去
さて、こうして、無事、結婚されたお二人は、長年連れ添われるのですが、2016年10月17日、るみ子さんは「間質性肺炎」のため、76歳で他界されています。
なべさんの所属事務所によると、るみ子さんは、2013年頃から、「膠原(こうげん)病」を患い、闘病生活を送られていたそうですが、
前月の9月末に体調を崩して入院されると、なべさんや長男のやかんさんが、仕事の合間を縫ってお見舞いに行っていたそうですが、その甲斐なく、るみ子さんは帰らぬ人となったそうで、
なべさんは、「日刊スポーツ」の取材に対し、
リウマチなので入院することもなかったのですが、今回入院して急に・・・。今は、ただただ感謝の言葉しかない
と、最愛の妻を偲ばれています。
「なべおさみは池江璃花子に手かざし療法(真光の業)を施術していた?」
結婚披露宴での幸せそうななべさんと笹るみ子さん。