芸術性の高い作品から娯楽映画まで、様々なジャンルの映画に出演し、従来の二枚目俳優とは一線を画した活躍で、トップスターの地位を不動のものにした、アラン・ドロン(Alain Delon)さん。そんなドロンさんは、日本でも大人気だったのですが、今回は、ドロンさんがどれほど日本人に愛されていたかをご紹介します。
「アラン・ドロンは「ショック療法」でオールヌードになっていた!」からの続き
日本で爆発的な人気を誇っていた
本国フランスを中心に、ヨーロッパで人気を博したドロンさんは、1960~1970年代の日本でも、爆発的な人気を誇っていたそうで、当時、劇場用映画を放送していたテレビの洋画劇場で、確実に視聴率を取れたのがドロンさんの主演映画だったそうです。
(ドロンさんのほかにも、スティーブ・マックイーンさん、チャールズ・ブロンソンさん、ジュリアーノ・ジェンマさんが、視聴率を取れる「四天王」だったそうですが、権利の問題で放送ができなかったり、そもそも主演映画の数があまり多くなかったりと、様々な事情を鑑みても、ドロンさんが断トツのトップだったそうです)
また、当時、若手俳優として人気急上昇だった水谷豊さんが、「S&Bポテトチップ」のCMの中でインタビュアーに「ライバルは?」と聞かれ、スター気取りで「アラン・ドロンかなぁ~?」と答えながらコケたり、
当時、アイドル歌手として活躍していた榊原郁恵さんが、「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」(1977年)という曲をリリースし、歌詞の中でも、
アラン・ドロンのふりなんかして甘い言葉 ささやくけど・・・
と、ドロンさんが二枚目であることが前提となっているなど、ドロンさんは、日本人の誰もが知る二枚目のフランス人だったことが伺えます。
「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」
(「アル・パシーノ」は、ハリウッドの俳優、アル・パチーノさんのことで、当時は「パシーノ」と表記されていました)
男性用香水「SAMOURAI」「SHOGUN」などプロデュース作品が人気
そんなドロンさんも、1970年代後半になると、本国フランスでは、長年、ドロンさんのライバルとされてきた、ジャン・ポール・ベルモンドさんに大きく水をあけられるようになっていき、人気に陰りが見え始めるのですが、
(ドロンさんは、年上の巨匠たちと仕事をしてキャリアを伸ばしてきたのですが、同年代、または年下の映画監督とは良い関係が築けなかったそうで、このことが原因で、1980年代以降はキャリアが伸び悩んだと言われています)
それでも、日本での「アラン・ドロン」というブランド力は、1980年代も強力で、日本では、「ダーバン」「マツダ・カペラ」「レミーマルタン」など数多くのCMに出演するほか、
ドロンさん自らプロデュースした男性用香水「SAMOURAI」や「SHOGUN」が人気を博したり、
(ほかにも、メガネ、腕時計もプロデュースされていたそうです)
1980~1990年代には、ドロンさんと一緒にごはんを食べるツアーが組まれるなど(今で言うファンミーティングのようなもの)、日本人はドロンさんが大好きだったようです♪
ドロンさんのファンミーティングの募集記事
「日本では自分が美しい男の理想型」と豪語
ちなみに、ドロンさんは、日本での自身の人気について、
「太陽がいっぱい」に出演したときだ。日本で大ヒットし、僕は日本では帝王のようだった。男たちもみなドロンに憧れ、映画のなかのドロンの髪型を真似したものだ。
東京で乗ったタクシーの運転手は「お客さん、フランス人ですか? アラン・ドロンみたいですね」と僕に話しかけたよ。あの頃、日本で有名だったのは(シャルル)ド・ゴールとドロンだった
自分は日本では生き神様のように思われている
日本では自分が美しい男の理想型
と、豪語していたといいますが、
そんな言葉が出るくらい、日本でのドロンさんの人気は凄まじかったようです。
「アラン・ドロンは来日時に黒柳徹子を口説く寸劇を真剣にしていた!」に続く