当時は、男性に従う控えめな女性が一般的だった中、とても気が強く、お父さんに食って掛かり、そのうえ、料理は苦手、朝寝坊はするという、お世辞にも良妻賢母とは言えない女性ながら、人一倍情に厚かったというお母さんを持つ、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんですが、お父さんもまた、いつも冗談ばかり言ってサービス精神が旺盛ながら、その反面、皮肉屋で、ガサツで、頑固で、マイペースな性格という個性的な人だったそうです。今回はそんなお父さんのエピソードをご紹介します。

「毒蝮三太夫の生い立ちは?母親は家事嫌いも情に厚かった!」からの続き

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父親は息子の披露宴で挨拶を割愛されていた

毒蝮さんは、自身の結婚披露宴の時、親友の立川談志(当時は柳家小ゑん)さんに司会を頼んだそうで、談志さんはさすがの腕前で盛り上げてくれ、とてもいい披露宴にしてくれたそうですが、お開きになり、ホッとしたところで、新郎の父親の挨拶がなかったことに気づいたそうです。

そこで、談志さんがすっかり忘れていたのではと思い、聞いてみると、談志さんはわざとお父さんの挨拶を割愛していたそうで、

というのも、談志さんは、披露宴が始まる前、お父さんをつかまえ、練習させてみたそうですが、「続きましては~」と言った後、「はい」と合図すると、お父さんは、真面目な顔をして、

本日はお忙しい中、ご会葬くださいまして、誠にご愁傷さまです

などと言ったそうで、

驚いた談志さんは、お父さんが緊張して間違えてしまったのかと思い、もう一度やらせてみたそうですが、結果は同じ。この調子では本番もやるだろうと確信し、お父さんの挨拶を割愛したというのです。

(ただ、その割愛の仕方が、あまりにスムーズで、毒蝮さんも、奥さんも、そのほかの人たちも、誰も気づかなかったそうで、毒蝮さんは、披露宴がめちゃくちゃになるのを防いでくれた談志さんに感謝したのだそうです)


幼い頃の毒蝮さんとお父さん。

父親は挨拶を割愛されても一言も文句を言わなかった

ただ、こうして、挨拶を割愛されてしまったお父さんですが、一言も文句を言わず、それどころか、その話には一切触れず、毒蝮さん夫婦が新婚旅行へ行く際にも、羽田空港まで見送りに来てくれたそうで、毒蝮さんは、そんなお父さんのことを粋に感じたのだそうです。

一方、夏の暑い時期に亡くなった毒蝮さんのお母さんの葬儀では、寺の本堂でお経をあげている住職に近寄って行って、暑いから短めにしてほしいと耳打ちするなど、びっくりする行動を取ることもあったそうです。

(住職によると、そんなことを言われたのは初めてでびっくりしたとのこと(笑))

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父親に感謝

さておき、毒蝮さんは、そんなお父さんにとても感謝していることがあるそうです。

それは、当時、親の職業を継ぐことを子供に強制したり、子供が大学に行きたいと言っても行かせない親が多かったそうですが、

毒蝮さんは、お父さんから何かを強制されたり、反対されたことは一度もなく、むしろ、児童劇団に入りたいと言った時も、大学に行きたいと言った時も、結婚する時も、したいことや好きなことは何でもやらせてくれたそうで、

自分自身が自由に生きて、世間がどう見るかなんて気にしていなかったおやじだから、子どもにも好きにさせてくれたのかもしれない。俺のことを信用してくれてたのかな。

と、語っています。

(ちなみに、お父さんは、お母さんのことを「たぬきババア」、毒蝮さんのことを「子だぬき」と呼び、お母さんは、お父さんのことを、(ゴリラに似ているからという理由で)「ゴリおやじ」と呼んでいたそうです(笑))

「毒蝮三太夫は少年時代「東京(城南)大空襲」を経験していた!」に続く


お父さんと毒蝮さん。

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