1976年、フランスとの合作「愛のコリーダ」を発表すると、その過激な性愛の描写から一大センセーショナルを巻き起こし、たちまち脚光を浴びた、大島渚(おおしま なぎさ)さんですが、脚本や劇中のスチール写真を収めた同名の書籍「愛のコリーダ」が出版されると、その一部がわいせつ文書図画に当たる「わいせつ物頒布罪」として、警視庁に押収され、東京地検から起訴されてしまいます。
「大島渚は若い頃「愛のコリーダ」で大ブレイクしていた!」からの続き
大島渚と藤竜也はほとんど会話を交わしていなかった
助監督を務めていた崔洋一(さい よういち)さんによると、「愛のコリーダ」のキャスティングが難航する中、帝国ホテルでの製作発表会見が行われる、わずか7~8時間前にになって、大島さんから、藤竜也さんを紹介するよう求められ、急いで、藤さんと連絡を取り、喫茶店で大島さんと藤さんを引き合わせるも、大島さんは、ろくに話もせず、脚本だけ渡して、ほんの10分足らずで退席したことから、残された崔さんは焦ったそうですが、
藤さんはというと、そんな崔さんをよそに、1時間半かけてじっくり脚本を読み、さらには、もう一度読み返し始めたそうで、崔さんは、一旦、事務所に戻り、プロデューサーの大島瑛子さん(大島さんの実妹)とともに、藤さんからの電話を待ったのだそうです。
藤竜也の「愛のコリーダ」出演承諾を聞き崔洋一は思わず泣いていた
すると、夕方5時頃に、藤さんから電話があり、
新宿で飲もう
と、呼び出されたそうで、崔さんは、店で藤さんと合流。
1軒目では、3時間ほど飲んだそうですが、藤さんはというと、「愛の物語だね」とぼそっとつぶやいてはお酒を飲むだけで、ほぼ無言。
そんな中、崔さんは、どうしても「出演してくれますか?」の一言が言えなかったそうで、その後、店を変えて、2軒目の時には、プロデューサーの若松孝二さんに合流してもらったそうです。
そして、2時間ほど経った時、ついに、若松さんが、
どうでしょうか?
と、聞くと、
藤さんは、
出る気がなければ、今ここで、若松さんとも崔さんとも飲んでませんよ
と、言ったそうで、
この言葉を聞いた崔さんと若松さんは、思わず泣き出してしまったのだそうです。
「愛のコリーダ」記者会見では大喜びしていた
そして、翌日、記者会見が開かれると、大島さんは、緊張しつつも、藤さんを抱きかかえんばかりに喜んでいたそうで、
崔さんは、後に、その時の様子を、
キャストが紹介された会見場の、あのどよめきが忘れられません。
と、語っています。
「愛のコリーダ」裁判で無罪
こうして、無事、製作され、上映された「愛のコリーダ」は、海外で高い評価を受け、国内でも日本初の本番映画として、一大センセーショナルを巻き起こすのですが、
国内で上演される時には、当然、映倫の審査を経て、大幅な修正(ぼかし)が施されるも、
(合計30分に渡るシーンを大幅にカットされ、性愛シーンのほとんどは上半身のみ、過激なシーンも修正で見えないような状態にされたそうです)
脚本や劇中のスチール写真を収めた同名の書籍「愛のコリーダ」が出版されると、その一部がわいせつ文書図画に当たる「わいせつ物頒布罪」として、警視庁に押収され、大島さんと出版社の社長は、東京地検から起訴されてしまいます。
ただ、1979年10月には、東京地裁で無罪判決が出ると、さらに、二審も「当該書籍はわいせつ物に当たらない」として無罪が確定したのでした。
「愛のコリーダ」裁判の第二公判で東京地裁に出廷する大島さんと妻で女優の小山明子さん。
「わいせつ、なぜ悪い」が大きな話題に
ちなみに、大島さんは、裁判では、「芸術かわいせつか」ではなく、「わいせつなぜ悪い」の論点で争っているのですが、大島さんの「わいせつ、なぜ悪い」という発言は、当時、マスコミに大きく取り上げられるほか、「芸術か、わいせつか」の論争が世界中で巻き起こるほど、大きな話題となったそうです。
(この「愛のコリーダ」は、2000年、「愛のコリーダ2000」として、映倫の審査をやり直し、修正は大幅に激減して上演されたそうですが、依然としてぼかしは入っているそうで、現在もなお、日本では、フランスで完成したオリジナル版(無修正版)は上映することができないそうです)
「愛の亡霊」が「カンヌ国際映画祭最優秀監督賞」を受賞
そんな中、大島さんは、「愛のコリーダ」の係争中にも、1978年には、同じく、フランスのアルゴス・フィルムとの合作で、前作「愛のコリーダ」同様、性愛をテーマにした「愛の亡霊」を発表しているのですが、
「第31回カンヌ国際映画祭」で最優秀監督賞を受賞する快挙を遂げています。
「大島渚は当初「日本の黒幕」の製作オファーを快諾していた!」に続く
「愛の亡霊」より。吉行和子さんと藤竜也さん。