1983年に、「わが家はカタログ」でテレビドラマデビューすると、以降、テレビ、映画、舞台に出演し、近年は、趣味が高じて、刺繍作家としても活動しているという、神津はづき(こうづ はづき)さん。今回は、そんな神津さんが、”規格外”と呼ぶ、お母さんで女優の中村メイコさんとの少女時代の仰天エピソードなどをご紹介します。

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年齢は?出身は?本名は?

神津さんは、1962年8月31日生まれ、
東京都の出身、

血液型はO型、

本名は「神津八月」(結婚後は杉坂八月)

学歴は、
東洋英和女学院小・中・高等部卒業
⇒ニューヨーク大学留学(卒業したかは不明)

趣味は、刺繍(ししゅう)、ドライブ、

ちなみに、お父さんは、作曲家の神津善行さん、
お母さんは、女優の中村メイコさん、
お姉さんは、エッセイストの神津カンナさん、
弟さんは、洋画家の神津善之介さん、
母方の祖父はユーモア作家の中村正常さんという、芸術一家です。

少女時代は自由奔放な母・中村メイコに振り回されていた

神津さんは、女優の中村メイコさんと作曲家の神津善行さんのもと、3人兄弟(姉と弟)の次女として誕生すると、何でも自由にさせてくれる両親の教育方針で、伸び伸びと何不自由なく育ったそうですが、自由奔放過ぎるお母さんの中村メイコさんにはしばしば振り回されていたそうです。

例えば、神津さんが小学生の時には、お母さんは、舞台公演の合間に、白塗りのままで授業参観に来たそうで、ほかの生徒たちから、「うわっ!オバケ!オバケがいる」と大騒ぎになったという話。

中村さんによると、舞台公演の丸の内帝国劇場から神津さんが通う六本木の東洋英和女学院は、車ですぐの所にあったものの、お化粧を落とす暇がなかったそうで、マスクをして隠していたつもりだったそうですが、白塗りにマスク姿が、子供たちから見たら余計に真っ白のオバケに見えたそうです(笑)

(神津さんは、(舞台公演がある時など)無理して来なくていいよ、と言っていたそうですが、お母さんは、すべての学校行事に参加してくれたそうです)

母・中村メイコは料理の味見をしたことがなかった

また、お母さんは、毎日、欠かさずお弁当や食事を作ってくれたそうですが、

(たとえ、舞台の初日でもお弁当を作ってくれたそうですが、神津さんとしては、「今日はパンを買ってね」と、300円を渡されるほうが嬉しかったそうです)

お料理を味見するということがなかったそうで、砂糖と小麦粉を間違えていても気づかず、そのまま、(まずいというよりも)得体の知れないシロモノが食卓によく出てきたそうで、

お父さんの神津善行さんが、食事中、こっそり、ポケットからビニール袋を出して、「ここに入れろ」と言って、子供たちで回した後、最後にお父さんが回収していたそうです(笑)

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母・中村メイコはしょっちゅう夫婦喧嘩で夜中に家を飛び出していた

さらには、神津さんが中学生の時には、お母さんが、夜中に、夫婦ゲンカの末、酔った勢いでネグリジェ姿のままで家を飛び出し、おまわりさんに保護されて帰って来たことがあったそうで、お母さんは、「いやだぁ!」「放してよ!」とギャーギャー言いながら腕を掴まれたまま帰ってきたそうですが、

家に着いた時、おまわりさんが、初めて、「中村メイコ」だと気づき、「あ、メイコさんでしたか」と言うと、その途端、(女優に変身し)すました顔で、「はづき、お茶を出して差し上げて」と言ったことがあったとのことでした(笑)

(また、家を飛び出したお母さんを心配して探しに行くと、近くのディスコで踊っていたこともあるそうです)

「神津はづきが中学の時は母・中村メイコをディスコまで迎えに行っていた!」に続く


(前列左から)中村メイコさん、神津善之介さん、神津善行さん、(後列左から)神津はづきさん、神津カンナさん。

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