1946年7月、ようやく満洲から日本への引き揚げが始まり、同年10月に帰国すると、1947年にはNHKを退社し、「帝都座ショウ」「空気座」などの劇団を経て、舞台「鐘の鳴る丘」で俳優の井上正夫さんと知り合い、大きな影響を受けたという、森繁久彌(もりしげ ひさや)さんは、その後、たちまち頭角を現し、大ブレイクします。
「森繁久彌は井上正夫を尊敬していた!」からの続き
喜劇役者として頭角を表す
森繁さんは、1949年には、再建されたばかりの劇団「ムーラン・ルージュ」に入団すると、同年4月には、舞台「蛇」で主演を務めるほか、10月には、ミュージカル「太陽を射る者」にも出演し、演技だけではなく、アドリブでギャグを混ぜて歌を歌うなど、たちまち、注目を集めるようになり、
1950年には、劇団「ムーラン・ルージュ」を退団し、NHKのラジオ「愉快な仲間」でメインの藤山一郎さんの相手役(レギュラー)に抜擢されると、2人のコンビネーションが人気を博し、以降、映画や舞台に次々と声がかかるようになり、同年には、コメディ映画「腰抜け二刀流」で映画初主演を果たします。
「腰抜け二刀流」より。(左から)田中春男さん、轟夕起子さん、森繁さん。
(森繁さんは、この時、すでに37歳になっていたのですが、演技だけでなく、歌も歌え、即興のアドリブもできる俳優として重宝されたのだそうです)
コメディ映画「三等重役」で喜劇役者としての印象を決定づける
その後、森繁さんは、B級コメディ映画に多数出演するようになり、1952年、コメディ映画「三等重役」で、準主役の次課長役を演じると(社長役は河村黎吉さん)、こずるく要領が良いものの、平凡なサラリーマンが精一杯背伸びをして生きようとする哀しみをにじませる演技で、喜劇役者としての印象を決定づけると、
「三等重役」より。森繁さん(左)と河村惣吉さん(右)。
1953年には、マキノ雅弘監督作品「次郎長三国志」シリーズで、(第2作から)森の石松役を、見るからにオッチョコチョイでありながら、ホロリとさせる好演をし、人気を博します。
「次郎長三国志」より。左が森繁さん。
映画「社長シリーズ」「駅前シリーズ」で大ブレイク
そして、1956年1月、高度成長期の企業を舞台に、サラリーマンたちのてんやわんやの仕事ぶりをユーモアたっぷりに描いた、東宝映画「へそくり社長」で社長役に起用されると、映画は大ヒットを記録し、森繁さんもたちまち大ブレイク。
「へそくり社長」より。小林桂樹さん(左)と森繁さん(右)。
以降、この映画は、
1956年「はりきり社長」
1958年「社長三代記」
「続・社長三代記」
1959年「社長太平記」
「続・社長太平記」
1960年「サラリーマン忠臣蔵」
1961年「続サラリーマン忠臣蔵」
「社長道中記」
「続・社長道中記」
「サラリーマン忠臣蔵」より。(左から)小林桂樹さん、森繁さん、加東大介さん。
1962年「サラリーマン清水港」
「続サラリーマン清水港」
「社長洋行記」
「続・社長洋行記」
「社長洋行記」より。森繁さんと浜美枝さん。
1963年「社長漫遊記」
「続・社長漫遊記」
「社長外遊記」
「続・社長外遊記」
1964年「社長紳士録」
「続・社長紳士録」
1965年「社長忍法帖」
「続・社長忍法帖」
1966年「社長行状記」
「続・社長行状記」
1967年「社長千一夜」
「続・社長千一夜」
「社長紳士録」より。森繁さんと草笛光子さん。
1968年「社長繁盛記」
「続・社長繁盛記」
1969年「社長えんま帖」
「続・社長えんま帖」
1970年「社長学ABC」
「続・社長学ABC」
「社長繁盛記」より。浜木綿子さんと森繁さん。
と、シリーズ化され、「社長」=「森繁さん」というイメージを残したのでした。
ちなみに、森繁さんは、同時期に公開された東宝映画「駅前シリーズ」(1958~1969)でも主演を務めているのですが、こちらも大ヒットとなり、森繁さんは、東宝の黄金時代に大きく貢献したのでした。
「森繁久彌のデビューからの出演映画ドラマ舞台を画像で!」に続く
「社長シリーズ」より。(左から)加東大介さん、森繁さん、小林桂樹さん。