通算3085安打、504本塁打、319盗塁、首位打者7回、最高出塁率9回、ベストナイン16回ほか、凄まじい記録で、日本中の人々を魅了し、1990年には野球殿堂入りも果たしている、張本勲(はりもと いさお)さん。今回は、そんな張本さんの凄すぎる成績をご紹介します。

「張本勲が二度と野球選手になりたくないと語った理由とは?」からの続き

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プロ野球選手(現役)時代の打撃成績

それではここで、張本さんの現役時代の打撃成績をご紹介しましょう。

  • 1959年(東映フライヤーズ)
    115安打 打率2割7分5厘 13本塁打 57打点 10盗塁(18二塁打 5三塁打 48得点 四球29 敬遠6 出塁率3割2分8厘 長打率4割3分5厘)で、新人王
  • 1960年(東映フライヤーズ)
    116安打 打率3割2厘 16本塁打 56打点 15盗塁(25二塁打 3三塁打 49得点 四球26 敬遠6 出塁率3割5分1厘 長打率5割8厘)
  • 1961年(東映フライヤーズ)
    159安打 打率3割3分6厘 24本塁打 95打点 18盗塁(31二塁打 10三塁打 77得点 四球46 敬遠16 出塁率4割1厘 長打率5割9分6厘)で、首位打者(最多敬遠・最高長打率)
  • 1962年(東映フライヤーズ)
    157安打 打率3割3分3厘 31本塁打 99打点 23盗塁(24二塁打 4三塁打 89得点 86四球 敬遠18 出塁率4割4分 長打率5割9分7厘)で、(最多四球・最多敬遠・最高出塁率)
  • 1963年(東映フライヤーズ)
    148安打 打率2割8分 33本塁打 96打点 41盗塁(16二塁打 7三塁打 90得点 92四球 敬遠22 出塁率3割8分9厘 長打率5割2分4厘)で、(最多四球・最多敬遠)
  • 1964年(東映フライヤーズ)
    151安打 打率3割2分8厘 21本塁打 72打点 31盗塁(21二塁打 6三塁打 85得点 78四球 敬遠13 出塁率4割2分6分 長打率5割3分6厘)で、(最多敬遠・最高出塁率)
  • 1965年(東映フライヤーズ)
    133安打 打率2割9分2厘 23本塁打 88打点 29盗塁(13二塁打 3三塁打 61得点 72四球 敬遠10 出塁率3割9分4厘 長打率4割8分6厘)
  • 1966年(東映フライヤーズ)
    146安打 打率3割3分 28本塁打 90打点 10盗塁(13二塁打 2三塁打 67得点 43四球 敬遠12 出塁率3割9分1厘 長打率5割5分8厘)
  • 1967年(東映フライヤーズ)
    139安打 打率3割3分6厘 28本塁打 88打点 18盗塁(18二塁打 3三塁打 72得点 66四球 敬遠15 出塁率4割3分9厘 長打率5割9分7厘)で、首位打者(最多敬遠・最高出塁数・最高長打率)
  • 1968年(東映フライヤーズ)
    122安打 打率3割3分6厘 24本塁打 65打点 13盗塁(12二塁打 2三塁打 70得点 61四球 敬遠15 出塁率4割3分7厘 長打率5割7分9厘)で、首位打者(最高出塁率・最高長打率)
  • 1969年(東映フライヤーズ)
    160安打 打率3割3分3厘 20本塁打 67打点 20盗塁(27二塁打 1三塁打 77得点 71四球 敬遠21 出塁率4割2分1厘 長打率5割1分9厘)で、首位打者(最多四球・最多敬遠・最高出塁率)
  • 1970年(東映フライヤーズ)
    176安打 打率3割8分3厘 34本塁打 100打点 16盗塁(16二塁打 2三塁打 92得点 64四球 敬遠8 出塁率4割6分7厘 長打率6割4分9厘)で、首位打者(最多安打・最多敬遠・最高出塁率)
  • 1971年(東映フライヤーズ)
    150安打 打率3割1分3厘 26本塁打 78打点 18盗塁(21二塁打 3三塁打 73得点 59四球 敬遠6 出塁率3割9分 長打率5割3分1厘)
  • 1972年(東映フライヤーズ)
    169安打 打率3割5分8厘 31本塁打 89打点 10盗塁(25二塁打 4三塁打 93得点 69四球 敬遠12 出塁率4割4分3厘 長打率6割2分5厘)で、首位打者(最多安打・最高出塁率)
  • 1973年(日拓ホームフライヤーズ)
    143安打 打率3割2分4厘 33本塁打 93打点 12盗塁(18二塁打 0三塁打 77得点 93四球 敬遠19 出塁率4割4分8厘 長打率5割9分)で(最多四球・最多敬遠・最高出塁率)
  • 1974年(日本ハムファイターズ)
    138安打 打率3割4分 14本塁打 62打点 14盗塁(20二塁打 3三塁打 64得点 82四球 敬遠13 出塁率4割5分2厘 長打率5割7厘)で、首位打者(最多敬遠・最高出塁率)
  • 1975年(日本ハムファイターズ)
    113安打 打率2割7分6厘 15本塁打 46打点 6盗塁(12二塁打 2三塁打 45得点 58四球 敬遠9 出塁率3割6分7厘 長打率4割2分4厘)
  • 1976年(読売ジャイアンツ)
    182安打 打率3割5分5厘 22本塁打 93打点 8盗塁(35二塁打 5三塁打 89得点 51四球 敬遠0 出塁率4割1分7厘 長打率5割7分1厘)で、(最多安打)
  • 1977年(読売ジャイアンツ)
    153安打 打率3割4分8厘 24本塁打 82打点 3盗塁(16二塁打 6三塁打 67得点 40四球 敬遠2 出塁率4割9厘 長打率5割7分5厘)
  • 1978年(読売ジャイアンツ)
    131安打 打率3割9厘 21本塁打 73打点 1盗塁(17二塁打 1三塁打 53得点 27四球 敬遠2 出塁率3割5分2厘 長打率5割2厘)
  • 1979年(読売ジャイアンツ)
    60安打 打率2割6分3厘 8本塁打 32打点 1盗塁(7二塁打 0三塁打 26得点 23四球 敬遠1 出塁率3割3分3厘 長打率3割9分9厘)
  • 1980年(ロッテオリオンズ)
    89安打 打率2割6分1厘 12本塁打 39打点 0盗塁(9二塁打 0三塁打 50得点 26四球 敬遠0 出塁率3割1分7厘 長打率3割9分3厘)
  • 1981年(ロッテオリオンズ)
    35安打 打率2割1分9厘 3本塁打 16打点 2盗塁(6二塁打 0三塁打 9得点 12四球 敬遠2 出塁率2割7分3厘 長打率3割1分3厘)

と、現役生活23年2752試合で(東映フライヤーズ、日拓ホームフライヤーズ、日本ハムファイターズ、読売ジャイアンツ、ロッテオリオンズ)、通算3085安打 打率3割1分9厘 504本塁打 1676打点 319盗塁(418二塁打 72三塁打 1523得点 四球1274 敬遠228 出塁率3割9分9厘 長打率5割3分4厘)と、凄まじい成績を残しています。

首位打者7回ほかタイトル多数

そんな張本さんは、

  • 首位打者7回(1961年、1967-1970年、1972年、1974年)※イチローと並ぶ最多タイ記録
  • 最高出塁数9回(1962年、1964年、1967-1970年、1972-1974年)※パリーグ最多記録、4年連続はパ・リーグ最長タイ記録(他は柳田悠岐)、タイトル設立は1962年。
  • 最多安打3回(1970年、1972年、1976年)※当時は連盟表彰なし

と、凄まじい数のタイトルを獲得しています。

通算3085安打、通算500本塁打300盗塁ほかNPB記録多数

また、張本さんは、そのほかにも、

  • 通算3085安打 ※NPB記録
  • 通算500本塁打300盗塁 ※史上唯一
  • 通算3割300本塁打300盗塁 ※NPB史上唯一、MLBでもウィリー・メイズのみ
  • シーズン打率.350以上を両リーグで記録 ※史上唯一(パ:1970年・1972年、セ:1976年)
  • シーズン打率3割以上16回 ※NPB記録(1960-1962年、1964年、1966-1974年、1976-1978年)
  • 9年連続シーズン打率3割以上 ※NPB記録(1966-1974年)
  • シーズン打率.330以上11回 ※NPB記録(1961年、1962年、1966-1970年、1972年、1974年、1976年、1977年)
  • シーズン150安打以上9回(1961年、1962年、1964年、1969-1972年、1976年、1977年)※歴代3位タイ
  • シーズン100安打以上20回(1959-1978年)※歴代2位
  • シーズン20本塁打以上16回(1961-1973年、1976-1978年)※歴代3位タイ
  • 打撃ベストテン入り17回 ※NPBタイ記録(1960-1974年、1976年、1977年)
  • 15年連続打撃ベストテン入り(1960-1974年)※パ・リーグ記録
  • 20年連続シーズン100安打以上(1959-1978年)※20年以上連続でシーズン100安打を記録しているのは王貞治と張本のみ。プロ野球とメジャーリーグを跨ればイチローも含まれる。入団1年目からに限れば、張本のみ。
  • 20年連続シーズン2桁本塁打(1959-1978年)※歴代4位タイ
  • 13年連続シーズン20本塁打以上(1961-1973年)※歴代3位タイ
  • 16年連続シーズン2桁盗塁(1959-1974年)
  • 9打数連続安打(1974年5月23日-5月26日)
  • 30試合連続安打(1976年5月13日-6月20日)
  • 13打席連続出塁(1974年5月23日-5月26日)
  • 1イニング2二塁打 ※NPBタイ記録(1961年5月6日)
  • シーズン3割20本20盗塁3回 ※NPB最多タイ(松井稼頭央、山田哲人)(1962年、1964年、1969年)
  • シーズン30本塁打40盗塁(1963年)※他に達成者は秋山幸二、井口資仁のみ
  • 両リーグで最多長打、最多塁打(パ:1961年・1972年、セ:1976年)※他の達成者は落合博満のみ
  • リーグ最多四球4回 ※福本豊に次いでパ・リーグ2位タイ
  • サイクル安打(1961年5月7日 対近鉄バファロー7回戦 駒沢野球場)※史上19人目
  • 通算猛打賞251回 ※日本記録(日米通算ではイチローが上回る)
  • 算打率3割・3000本安打以上・500本塁打・300盗塁 ※史上唯一(世界史上ではウィリー・メイズと張本の2人のみ)
  • プロ初犠打が7669打席目 ※史上最遅
  • オールスターゲーム出場18回(1960-1964年、1966-1978年) ※1965年にも選出されているが、暴行事件を起こして現行犯逮捕されたため出場を辞退。
  • 日本シリーズ通算打率.370(73打数27安打)※70打数以上では歴代1位

と、凄まじい記録を残しており、「安打製造機」と称されました。

野球殿堂、新人王、ベストナイン16回ほか表彰も多数

そんな張本さんは、

  • 最高殊勲選手(MVP)1回(1962年)
  • 新人王(1959年)
  • ベストナイン16回(1960-1970年、1972-1974年、1976年、1977年)
  • 野球殿堂競技者表彰(1990年)
  • 月間MVP1回(1976年6月)
  • 日本シリーズ技能賞1回(1962年)
  • 日本シリーズ打撃賞1回(1977年)
  • オールスターゲームMVP3回(1960年第3戦、1962年第2戦、1974年第3戦)

と、賞も多数受賞しています。

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背番号

ちなみに、張本さんの背番号は、1951年、東映フライヤーズに入団した時から、1981年、ロッテオリオンズを退団する時まで、ずっと「10」です。

実は、張本さんが東映に入団した時、「7」か「8」を希望していたそうですが、既に、「7」は西園寺昭夫選手、「8」は山本八郎選手が着けていたため叶わず、東映球団からいくつか提示された番号のうち、同郷の先輩の藤村富美男さんと同じ番号の「10」を選んだのだそうです。

そして、その後、西園寺選手と山本選手は他球団に移籍しているのですが、張本さんはそのまま「10」を着け続け、巨人移籍時には、既に「10」を着けていた阿野鉱二選手に、張本さんが直々に頼み込んで「10」を着けたそうです。

また、ロッテ移籍時には、ロッテ球団がもともと「10」を着けていた水谷則博投手を「11」に変更してくれていたそうで、「10」を着けています。

(張本さんは、ロッテ入団会見時、「76」のユニフォームを着ていますが、ユニフォームが間に合わなかったため、福田昌久コーチのユニフォームを借りていたのだそうです)

「張本勲がサンデーモーニングを降板した理由とは?」に続く

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