1984年、現役引退後はTBS(テレビ・ラジオ)で解説の仕事をしていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、1985年には、早くも監督就任の噂が出ていたといいます。

「田淵幸一の現役(プロ野球選手)時代の成績が凄い!」からの続き

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西武・広岡達朗監督の後任監督として噂されていた

田淵さんは、1984年9月29日、阪急戦(西宮球場)での試合を最後に現役を引退すると、その後は、TBS(テレビ・ラジオ)で解説者として活動していたのですが、1985年、西武が阪神との日本シリーズに敗れ、広岡達朗監督が退団すると、その後任監督として噂になります。

というのも、広岡監督が、後任監督として、長嶋茂雄さんを「彼ならお客を呼べる」と推すと、長嶋さん本人は、「ボクは100%ない。田淵がいいんじゃないか。彼はこの1年、よく勉強している」と、田淵さんを推したほか、

同じく後任監督候補に上がっていた古葉竹識さんが、(西武の堤義明オーナーが後任監督に田淵さんを希望していたことから)「西武の監督は田淵君がやると思う」と言っていたのです。

西武・広岡達朗の後任監督には森祇晶が起用される

しかし、西武の管理部長だった根本陸夫さんの構想には田淵さんは入っておらず

今の西武は、人気監督を据えるより、半永久的に優勝争いができるしっかりとした球団作りが大事。勝てる野球ができる人で、加えて西武の流れを熟知している人。それでいて広岡野球の次の段階に進めることのできる人

と、後任監督は、西武の前コーチ・森祇晶さんが就任しています。

(堤義明オーナーの要望で広岡監督の後任に田淵さんの名前が挙がった際、球団フロントは、前年に退団していた森祇晶さんを参謀役に充てようとするも、森さんが受け入れなかったことから、田淵監督を断念し、森さんを西武の監督とした、という話も)

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阪神の村山実監督からヘッドコーチ兼打撃コーチのオファーを受けるも遺恨のある阪神への復帰を断っていた

その後、1987年オフ、阪神では、吉田義男監督が解任され、村山実監督となると、田淵さんは、村山監督からヘッドコーチ兼打撃コーチのオファーを受けたそうですが、

阪神には、過去(1978年)に、夜中に呼び出されてトレードを通告された遺恨のあった田淵さんは、古巣・阪神への復帰を断ったそうで、

田淵さんは、

村山タイガースなら帰るが阪神タイガースへなら帰りたくない

と、語っています。

(阪神球団もまた、村山監督の希望とは裏腹に、田淵さんの復帰を望んでいなかったといわれています)

「田淵幸一はダイエーから客を呼べる監督としてオファーを受けていた!」に続く

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