1973年、17歳の時に、アイドルグループ「キャンディーズ」として歌手デビューすると、爆発的な人気を博し、1983年には、ソロ歌手としてもシングル「夢・恋・人。」が大ヒットするも、同年、結婚を機に芸能界を引退した、藤村美樹(ふじむら みき)さん。そんな藤村さんは、お父さんが声楽家だったことから、幼い頃から、歌と触れ合う環境で育ったといいます。
年齢は?出身は?身長は?学歴は?
藤村さんは、1956年1月15日生まれ、
東京都世田谷区の出身(福島県福島市生まれ)、
身長156センチ、
血液型はO型、
学歴は、
聖ドミニコ学園幼稚園・小学校・中学校・高等学校卒業(大学には進学していないそうです)、
ちなみに、1971年、高校進学後は創作ダンス部に入部し、夏に開催された創作ダンスの全国コンクールで団体2位に入賞したそうです。
本名は?
「藤村美樹」は本名で、結婚後は「尾身美樹(おみ みき)」です。
また、1歳の時に東京・渋谷の南平台教会で幼児洗礼を受けており、「マリア・ローザ」というクリスチャンネームを持っているそうです。
幼い頃は声楽家だった父親の影響で、レッスンに来る弟子たちと一緒に毎日のように歌を歌っていた
藤村さんは、バリトン歌手、合唱指揮者、岡山大学教授、大分県立芸術短期大学教授の、父・藤村晃一さんと、ピアノ講師の母・嬉美さんのもと、4人兄弟(姉2人、兄1人)の末っ子として、カトリックの家庭に誕生すると、幼い頃は、お父さんが声楽の先生だったことから、家にはたくさんのお弟子さんがレッスンに来ていたそうで、藤村さんもお弟子さんに飛びついていき、一緒に歌を歌っていたそうです。
ちなみに、家では、毎日のように歌のレッスンをしていたため、藤村さんもいつの間にか聞き覚えで、コールユーブンゲン(発声法)を身につけ、イタリア語の歌を歌えるようになっていたそうで、特に、「悲しき60歳」という歌が好きだったそうです。
幼少期の藤村さん。
(顔にスカーフをまいて花を入れたかごを持って歌いながら、花をみんなに配るそうですが、これがみんなにとてもウケ、藤村さんも得意になって歌っていたそうです)
歌手に憧れ、東京音楽学院を受験すると合格し「スクールメイツ」のメンバーに選抜されていた
そんな藤村さんは、やがて、歌手に憧れ、歌への情熱が日に日に高まっていったそうで、雑誌で見た渡辺プロダクション傘下の東京音楽学院で、歌や踊りのレッスンを受けたいと思うようになり、1970年、中学3年生の時、東京音楽学院を受験すると、見事、合格。
すると、その後、「スクールメイツ」のメンバーに選抜されたのだそうです。
(「スクールメイツ」とは、当時、「渡辺プロダクション」が設立した俳優・タレント育成所「東京音楽学院」の中から優秀なメンバーを選抜して構成されたグループで、布施明さん、森進一さん、白鳥英美子さん、平山三紀さん、野口五郎さん、太田裕美さん、石川ひとみさん、吉川晃司さんらを輩出しており、歌手やアイドルの登竜門だったそうです)
「藤村美樹が若い頃は紅白歌合戦でバックダンサーやコーラスを務めていた!」に続く