2011年6月、69歳の時、「閉塞性動脈硬化症」を発症し、右足のカテーテル手術を受け、無事回復するも、大好きなタバコがやめられず、約1年後には左足も「閉塞性動脈硬化症」を発症し、カテーテル手術を受けるなど、再発と手術を繰り返していたという、カルーセル 麻紀(カルーセル まき)さんは、2020年4月には、「脳梗塞」を発症し、カテーテル手術で無事回復しているのですが、さすがに、(少しずつながらも)生活習慣を変えているといいます。
「カルーセル麻紀は両脚切断寸前(閉塞性動脈硬化症)だった!」からの続き
カルーセル麻紀は飲み物がうまく飲めず、ろれつが回っていなかった
カルーセルさんは、2020年4月29日、いつものように、寝酒のテキーラを飲んで寝ようとしたところ、口の右端からテキーラがこぼれ、うまく飲めなかったそうで、「少し疲れたのかな」と思い、さほど気にせずにそのまま眠ったそうです。
そして、翌朝、普通に起き、朝のコーヒーを飲もうすると、またも、口からこぼれそうになったことから、こぼれないよう、顎(あご)を押さえながら飲んだそうです。
その後、庭の草むしりをし終わってから部屋に入ると、連絡が途絶えていた旧友から電話があり、コロナにかかり重症化したが無事に退院できたとの話を聞いたそうで、
これを聞いたカルーセルさんは、北海道に住む妹の様子が気になって電話をすると、たまたま、看護師をしている姪(めい)が電話に出たことから、コロナに感染した友達の話をして、自分の心を落ち着けようとしたそうですが、
姪が開口一番、
ねぇ、なんだか話し方が変よ。ろれつが回ってない
と、言ったそうで、
カルーセルさんが、実は、朝、コーヒーがうまく飲めず、今、ティッシュで口の端を押さえながら話していると明かすと、
姪に、
脳梗塞だと思うから、すぐに救急車を呼んで!
と、言われたそうで、
カルーセルさんは、「これからピザを食べるとこだから」などと、呑気なことを言ったそうですが、カルーセルさん自身は、このあたりの記憶は曖昧でよく覚えていないそうです。
カルーセル麻紀は救急車の中で顔の右半分が完全に歪んていた
しかし、電話を切った後、念のためマネージャーに連絡をすると、マネージャーは大慌てになり、すぐに救急車を呼ぶように言ったそうで、カルーセルさんは、言われるがままに救急車を呼び、到着した救急車にストレッチャーに寝かされて運ばれたそうですが、
その時のことはよく覚えていないそうで、
カルーセルさんは、
その後、彼から「すでに病院に予約しましたから」って連絡が入ったんですけど、あのやりとりがなかったら救急車は呼ばず、明日病院へ行けばいいわって判断してたと思う。
いや、判断なんかできていなかったわね。優先順位がわからなくてモヤモヤしてたもの。
と、語っています。
(マネージャーによると、カルーセルさんは救急車の中でかなり興奮し、「あのピザはどうしたのかしら?」など、ずっとしゃべり続けていたそうですが、カルーセルさんも、この時の記憶は曖昧ながら、しゃべっているうちにどんどんしゃべりづらくなり、頬の内側を何度もかんでしまったことを覚えているそうです。そして、後にマネージャーに聞いたところ、顔の右半分が完全に歪んでしまっていたそうです)
カルーセル麻紀は「脳梗塞」を発症するもカテーテル手術を受け無事回復していた
さておき、救急搬送された総合病院で磁気共鳴画像(MRI)の検査を受けると、「脳梗塞」と診断されたそうで、カルーセルさんは、すぐにカテーテル手術(細く長い管を血管の中に誘導して行う手術)を受けたそうです。
すると、幸い順調に回復し、入院から3日後には退院することができたそうで、心配された後遺症もなかったのだそうです。
(脳梗塞は、発症から4時間半以内ならば、詰まった血栓を溶かす点滴薬を使い、半身のマヒや言語障害などの後遺症をほぼ残さずに回復する可能性を高めることができるそうですが、カルーセルさんの場合、ろれつが回らない症状が表れてから10時間以上は経過していたことから、詰まった血栓を溶かす点滴薬を使うことはできず、脳の神経を保護するための点滴薬を使ったのだそうです)
カルーセル麻紀は「脳梗塞」を発症した後は、タバコを少しだけ減らし運動を心がけている
そんなカルーセルさんは、主治医から、あらためて、タバコの量を減らすよう指導されたそうで、今度こそはと、1日3本までと決め、小さい灰皿を使ってみたそうですが、気付いたら、4本、5本と増え、灰皿を交換・・・となり、そのうち、1日1箱半になってしまったそうです。
それでも、カルーセルさんは、2箱だった頃に比べれば減ったことから、よしとしているそうです。
また、病気前は運動をしなかったそうですが、歩くことを心がけ、スマートフォンを歩数計に、家の中では少なくとも1日3000歩、夜に散歩する時は緩めの坂道を2000歩ほど歩いているほか、
2時間の半身浴や、庭の草むしりで足腰を丈夫にすることも意識しているそうで、そのお陰で、肝機能をはじめ血液検査の数値もほぼ正常に近い状態を保っているそうです。
そして、3ヶ月に1回、経過観察のため通院しなければならないそうですが、カルーセルさんは、それも楽しみにしているそうで、
病院には若くてイケメンのドクターが多いし、主治医は検査結果をほめてくれる。本当にうれしい
と、語っています。
さて、いかがでしたでしょうか。
カルーセル麻紀さんの、
- カルーセル麻紀の年齢は?出身は?身長は?
- カルーセル麻紀の本名は?出生名(旧名)は?
- カルーセル麻紀の芸名の由来は?
- カルーセル麻紀はタバコとお酒が大好き
- カルーセル麻紀が幼い頃は貧乏だった
- カルーセル麻紀は幼い頃から自分は「女の子」だと感じていた
- カルーセル麻紀は少年時代から女装をしていた
- カルーセル麻紀は少年時代にいじめられるも番長肌の男の子に守ってもらっていた
- カルーセル麻紀は少年時代に自身の恋愛対象が男性であることに気づいていた
- カルーセル麻紀は中学生の時に三島由紀夫や美輪明宏を知りゲイボーイとして生きることを決心していた
- カルーセル麻紀は高校生の時、教頭に髪をバリカンで刈られ、激怒してそのまま高校を中退していた
- カルーセル麻紀は家出して東京行きの汽車に乗るも家出少年とバレて捕まりそうになり走っている汽車から飛び降りていた
- カルーセル麻紀は高校中退後は札幌のゲイバー「ベラミ」で年齢をごまかし住み込みで働いていた
- カルーセル麻紀は高卒後、北海道各地のゲイバーを転々としていた
- カルーセル麻紀はゲイボーイ時代は上京後、銀座のゲイバー「青江」で売れっ子になっていた
- カルーセル麻紀は若い頃は恋愛沙汰などが原因で転居を繰り返していた
- カルーセル麻紀は若い頃から女性ホルモンを打っていた
- カルーセル麻紀は「愛してヨコハマ」で歌手デビューするほか深夜番組「11PM」などテレビ業界にも進出していた
- カルーセル麻紀は芝居の魅力にも取り憑かれていた
- カルーセル麻紀の出演作品(映画)
- カルーセル麻紀の出演作品(テレビドラマ)
- カルーセル麻紀の出演作品(バラエティ番組など)
- カルーセル麻紀の出演作品(ラジオ番組)
- カルーセル麻紀の出演作品(CM)
- カルーセル麻紀の音楽(ディスコグラフィー)
- カルーセル麻紀の著書
- カルーセル麻紀の写真集
- カルーセル麻紀は19歳の時に睾丸摘出手術(去勢手術)を闇医者から受けるも完全な女性の身体を手に入れたいと思っていた
- カルーセル麻紀はモロッコで性転換手術(性別適合手術)を受けるためパリに渡っていた
- カルーセル麻紀はモロッコで性転換手術(性別適合手術)を受けるも傷口が化膿し生死の境をさまよっていた
- カルーセル麻紀は性転換手術(性別適合手術)で化膿した傷口を自分でメスを持って処置していた
- カルーセル麻紀はモロッコで性転換手術(性別適合手術)を受けたことで日本のマスコミから人造人間と書き立てられていた
- カルーセル麻紀は美輪明宏の言葉で救われていた
- カルーセル麻紀は今でも手術後初めてのショーで味わった喜びを忘れていない
- カルーセル麻紀は「麻薬及び向精神薬取締法違反」で誤認逮捕されていた
- カルーセル麻紀は戸籍上で男性から女性に変更が認められるために屈辱的なチェックを受けていた
- カルーセル麻紀は戸籍上で男性から女性に変更が認められたことをマスコミに公表していた
- カルーセル麻紀が戸籍上でも男性から女性に変更が認められたことをマスコミに公表した理由とは?
- カルーセル麻紀は31歳のとき19歳のフランス人青年と結婚(事実婚)していた
- カルーセル麻紀の結婚生活は半年で破綻していた
- カルーセル麻紀は40歳頃から40余年、姉の幸子と同居していた
- カルーセル麻紀の恋愛遍歴は?何百人もの男性と交際していた!
- カルーセル麻紀は仮面ライダーを演じた俳優とも交際していた
- カルーセル麻紀の初めての(処女を奪った)男性は梅宮辰夫?
- カルーセル麻紀の恋愛対象は普通(ノンケ)の男性のみ
- カルーセル麻紀は藤圭子をかわいがっていた
- カルーセル麻紀が藤圭子に相談されて勧めた「銀座流れ唄」がA面になったことも
- カルーセル麻紀は藤圭子が引退することに反対していた
- カルーセル麻紀は藤圭子に頼まれて赤ん坊(宇多田ヒカル)のお守りをしたこともあった
- カルーセル麻紀は藤圭子が死去したことを受け入れることができなかった
- カルーセル麻紀は60代半ば頃には右のふくらはぎが痛くなり歩くのも辛い状態だった
- カルーセル麻紀は両脚を切断する寸前だった
- カルーセル麻紀は「閉塞性動脈硬化症」で右足のカテーテル手術を受けていた
- カルーセル麻紀は「閉塞性動脈硬化症」を発症するまで飲酒と喫煙(1日2箱)を節制したことがなかった
- カルーセル麻紀はタバコを減らすことができず、左足も「閉塞性動脈硬化症」となり手術を受けていた
- カルーセル麻紀は飲み物がうまく飲めず、ろれつが回っていなかった
- カルーセル麻紀は救急車の中で顔の右半分が完全に歪んていた
- カルーセル麻紀は「脳梗塞」を発症するもカテーテル手術を受け無事回復していた
- カルーセル麻紀は「脳梗塞」を発症した後は、タバコを少しだけ減らし運動を心がけている
について、まとめてみました。
北海道内のゲイバーを渡り歩いていた10代のころ、真冬にストーブもなくて押し入れを開けたら雪が積もっているような部屋で暮らしたこともあるわ。
今こんな贅沢な暮らしができて、好きなことをして世界中走り回って、何の悔いもないわ。本当に楽しい人生だったもの。生まれ変わってもまた男でもない女でもない、“カルーセル麻紀”になりたいと思ってるのよ
と、言い切っているカルーセル麻紀さん。
そんなカルーセルさんの現在の目標は100歳まで生きることだそうですが、いつまでもお元気でいてほしいものです。