NHK紅白歌合戦では小林幸子さんと豪華衣装(仮装?)対決を繰り広げていた、美川憲一(みかわ けんいち)さんですが、実は、紅白に出場していなかった時から、小林幸子さんの紅白での派手な衣装をテレビ画面越しに見て、小林さんにライバル心を燃やしていたといいます。今回は、そんな美川さんと小林さんの衣装対決のほか、紅白にまつわる様々なエピソードを美川さんの証言を交えてご紹介します。
「美川憲一は「タンスにゴン」で「もっと端っこ歩きなさいよ」が大ウケしていた!」からの続き
美川憲一は紅白に出場していなかった時代、小林幸子が派手な衣装で出場しているのを見て密かに闘志を燃していた
美川さんといえば、NHK紅白歌合戦での小林幸子さんとの豪華衣装対決が、毎年、話題となり、大晦日(おおみそか)の風物詩となっていましたが、
実は、美川さんが、紅白に出ていなかった時期、大晦日に自宅で紅白を見ていた際、小林幸子さんが派手な衣装で出演し、年を追うごとにド派手になっていくのを、
これだけ派手にやるということはNHKも昔と変わったな、面白いな
と、思いつつ、
白組で小林幸子に対抗できるのは私しかいない
とも、思っていたそうで、
いつかまた私が紅白に出られて、紅組で小林幸子、白組が美川になったら面白いんじゃないか
と、密かに、メラメラと闘志を燃し、ずっと再出場のチャンスを狙っていたのだそうです。
(美川さんが紅白に初出場したのは、1968年、22歳の時で、それから7年連続で出場するも、1975年に落選すると、以降、1990年まで出演していませんでした。一方、小林幸子さんは、美川さんと入れ違う形で1979年に初出場すると、1990年まで12年連続で出場していました)
美川憲一は紅白歌合戦出場の衣装と宝石のためだけに毎年億単位のお金を使っていた
そんな美川さんは、1991年、見事、紅白歌合戦に再出場を果たすと、なんと、総額3億8000万円という合計120カラットのダイヤを全身に散りばめた衣装で出演しているのですが、
小林幸子さんも負けず嫌いだったことから、その後、小林さんの衣装はさらに大きくなり、美川さんもそれに対抗したそうで、
紅白出場の内定は毎年10月終わりくらいから11月の初めだったそうですが、美川さんは、NHKから曲をリクエストされてから衣装の準備をしていたことから、美川さんの衣装を作る事務所の制作スタッフは、本番直前まで徹夜作業続きだったのだそうです。
(美川さんは、紅白のために宝石も新しく買っていたそうで、衣装代と合わせると、毎年、億単位のお金がかかっていたそうですが、NHKからお金は出なかったそうです)
ただ、対抗相手の小林幸子さんとの「不仲」は演出で、本当は仲が良かったそうです。
(紅白前は、お互い、できるだけ接触を避けて口を利かなかったそうです)
美川憲一は紅白でたった4分のステージに15億円の保険金をかけたことがあった
ちなみに、美川さんが紅白で一番思い出に残っているのは、1998年、マジシャンの引田天功さんとタッグを組んで空中浮遊したイリュージョンで、
美川さんは、万一のことを考えて、たったの4分のステージに、なんと15億円の保険金をかけたそうですが、後にも先にも、紅白でこれほどの保険金をかけたのは美川さんだけといいます。
美川憲一は2010年の「NHK紅白歌合戦」落選はそれほどショックではなかった
その後、美川さんは、2010年の初め頃、NHKのスタッフが、直接、
今年は残念ですが出場がありません。申し訳ございません
と、言いに来たそうで、再び、紅白を落選しているのですが、
美川さんは、
全然平気です。本当によくしていただいてありがとうございました
と、伝えたそうです。
というのも、美川さんは、
あの美空ひばりさんだって落ちるんですもの、年とともにみんな落ちていくのよ。それに紅白だけが歌手の生き方じゃないでしょう。
と、今回の落選はそれほどショックではなかったそうで、
いつもは、紅白が終わって、すぐに、アメリカ・ロサンゼルスに行かなければならなかったのが、落選したことで、(前年にビバリーヒルズにコンドミニアムを買ったこともあり)ロスやラスベガスで年越しができるようになり、これからは、自分の時間を楽しもうと思ったのだそうです。
ちなみに、美川さんは、「もう一度紅白に出たいか」という質問には、
割と冷静ですね。「紅白に出たいですか?」とよく聞かれるけど、ヒット曲が出て自信を持って胸を張って出ていくならいいけど、この年で話題づくりで出ていくのはなんか悲しいわよね。
だから、これまでの衣装もほとんど解体しちゃいました。それに私たちの頃はNHKも大掛かりなセットでお金も使ってステージを準備してくれましたけど、今は時代が違うから。もうあの頃みたいにはできないわよ。
と、答えています。
NHK紅白歌合戦にド派手な衣装で出場する美川憲一さん。