1959年、早稲田実業高校卒業後、巨人(読売ジャイアンツ)に入団すると、その後、巨人で長きに渡って4番として活躍し、長嶋茂雄さんと共に巨人のV9(9年連続日本一)に大きく貢献した、王貞治(おう さだはる)さん。
そんな王貞治さんは、幼い頃は病弱も、小学校に上がる前には元気になり、小学4年生の時に本格的に野球を始めると、この頃から、すでに野球がうまく、投手で4番を打っていたといいます。
また、もともと、左投げ右打ちだったところ、中学2年生の時、後の師匠となる荒川博さんと出会い、左打ちを勧められ、以降、左で打つようになったといいます。
今回は、そんな王貞治さんの、生い立ち(幼少期から中学時代まで)をご紹介します。
王貞治のプロフィール
王貞治さんは、1940年5月20日生まれ(戸籍上)、
東京府東京市本所区(現・東京都墨田区)の出身、
(本当は5月10日に誕生したそうですが、出産時、仮死状態で生まれたため、両親が「この子は長く持ちそうにない」と出生届の提出を見合わせていたのだそうです)
身長177センチ、
体重79キロ、
血液型はO型、
学歴は、
墨田区立柳島小学校
⇒墨田区立本所中学校
⇒早稲田実業高校卒業
趣味は、
読書、映画観賞、カラオケ、ゴルフ、
ちなみに、「王貞治」は本名で、中国語の発音は、Wáng Zhēnzhì(ワン・チェンジー)、
愛称は、「世界の王」「ワンちゃん」です。
1959年、早稲田実業高校から読売ジャイアンツに入団すると、1963年から13年連続本塁打王、1973と1974年には3冠王、最終的には、世界記録となるレギュラーシーズン通算本塁打868本を記録するなど、輝かしい成績を収 …
王貞治は幼少期は病弱だった
王貞治さんは、中華料理店を経営するお父さんの王仕福さんとお母さんの登美さんのもと、6人兄弟(男2女4)の次男として誕生するのですが、仮死状態で生まれ、幼い頃は病弱だったといいます。
ただ、小学校に上がる前には、すっかり元気になり、走り回れるほどになったそうです。
また、実は、王貞治さんには、双子のお姉さん・広子さんがいたそうで、広子さんは、生まれた時は元気な赤ちゃんだったそうですが、その後、はしかからジフテリアにかかり、1歳3ヶ月で他界したそうで、
王貞治さんは、この広子さんが自分の身体の悪い部分を持っていってくれたと信じているそうです。
巨人(読売ジャイアンツ)で長きに渡って4番として活躍し、長嶋茂雄さんと共に巨人の9年連続日本一に大きく貢献した、王貞治(王さだはる)さんですが、出産時は仮死状態で生まれ、幼い頃は病弱だったといいます。 「王貞治の父親は中 …
仮死状態で生まれ、幼少期、病弱だったにもかかわらず、お母さんの献身的な世話などで、無事、健康に育ったという、王貞治(おう さだはる)さんは、4歳の時にはお母さんの背中で東京大空襲に遭ったそうですが、家は焼け落ちたものの、 …
世界のホームラン王として国際的に有名になったことで、日本国籍の取得(帰化)も、中華人民共和国(中国)籍の取得も、政治的な意味を帯びてしまうことを危惧し、お父さんの「中華民国籍」のままでいるという、王貞治(おう さだはる) …
王貞治は小学4年生の時に本格的に野球を始めていた
そんな王貞治さんは、小学生の頃に野球を始めると、小学4年生の時には、お兄さんの鉄城さんが慶應義塾大学医学部の野球部に入っていたことから、合宿に連れて行ってくれたそうで、
このことがきっかけとなり、王貞治さんは、クラスの仲間とチームを作り、本格的に野球を始めたそうです。
ちなみに、王貞治さんは、この頃から既に野球がうまく、投手で4番を打っていたそうです。
4歳の時には、東京大空襲に遭うも、お母さんの背中に背負われ、なんとか逃げ切ることができたという、王貞治(おう さだはる)さんは、戦後、日本が貧しかった時代にも、お父さんが中華料理店を営んでいたことから、お父さんの作る中華 …
戦後、日本がまだ貧しかった時代にも、お父さんが中華料理店を営んでいたことから、食べ物に困らず、しっかり食べて、すくすく育ったという、王貞治(おう さだはる)さんは、小学生の頃には野球に夢中になったといいます。 「王貞治の …
王貞治は中学生時代に小畑勝義とバッテリーを組んで区大会で優勝していた
王貞治さんは、中学生の時には、学校に野球部がなかったため、高校生が主体の野球クラブ「厩四(うまよん)ケープハーツ」に入ると、同じ本所中学校の小畑勝義さんとバッテリーを組んでいたそうですが、
やがて、「本所中学に凄いのがいるらしい」という噂が広まり、ある日のこと、本所中学に、東京都の野球大会の招待状が届いたそうで、
本所中学では、急遽、野球チームが作られると、急ごしらえの素人の寄せ集めのチームだったそうですが、大会では、あれよあれよと勝ち進み、結果、区大会で見事優勝したのだそうです。
(王貞治さんは、バッテリーがしっかりしていれば野球になると思っていたそうです。ただ、都大会は2回戦で負けてしまったそうです)
小学4年生の時に、お兄さんに野球部の合宿に連れて行ってもらったことがきっかけとなり、本格的に野球を始めると、投手で4番を務めるほど野球が上手だったという、王貞治(おう さだはる)さんは、中学生の時には、高校生が主体の「厩 …
王貞治は中学2年生の時に後の師匠となる荒川博と出会い左打ちを勧められていた
そんな王貞治さんですが、実は、19541年11月末、中学2年生の時、後の師匠となる荒川博さんと出会い、もともと、左投げ右打ちだったところ、左打ちを勧められ、以降、左で打つようになったといいます。
中学生ながら、高校生が主体の野球チーム「厩四ケープハーツ」で野球をしていたという、王貞治(おう さだはる)さんは、当初、左投げ右打ちだったそうですが、中学2年生の時、後の師匠となる荒川博さんと出会い、左打ちを勧められたと …
王貞治は中学生時代は将来は電気技師になろうと考えていた
それでも、王貞治さんは、中学生の時は、プロ野球選手を目指していたわけではなく、お父さんの意向で、電気や機械の技師になるために、高校に入って勉強に励もうと思っていたそうです。
小学生の頃から野球に夢中になると、中学の時には、高校生が主体の野球チーム「厩四ケープハーツ」で野球をしていたという、王貞治(おう さだはる)さんですが、この時はまだ、野球選手になろうとは思っておらず、お父さんの意向で、電 …
王貞治は進学校を不合格になりスカウトされていた早稲田実業高校に進学していた
ただ、いざ、進学校の都立墨田川高校を受験すると、不合格となってしまったそうです。
そんな中、中学生離れしたサウスポーとして名が知られていた王貞治さんは、早稲田実業高校、明治高校、日本大学第三高校(日大三高)ほか、強豪校からスカウトされていたそうで、その中で、一番早く声をかけてくれた早稲田実業高校に進学を決めたのだそうです。
ちなみに、王貞治さんが、早稲田実業高校を選んだのは、一番早く声をかけてくれたということ以外にも、中学2年生の時に出会い、左打ちを勧めてくれた荒川博さんの母校だったこと、早実の練習に参加した際、宮井勝成監督や久保田高行総監督に見初められていた、ということもあったそうで、早稲田実業高校に運命を感じていたのだそうです。
野球でメキメキと頭角を現しながらも、この時はまだ、野球選手になろうとは思っておらず、電気や機械技師になるために、高校に入って勉強に励もうと思っていたという、王貞治(おう さだはる)さんですが、志望校の受験に失敗したことか …
「【画像】王貞治の若い頃が凄い!高校からプロ野球現役時代までの経歴を時系列まとめ!」に続く
1959年、巨人(読売ジャイアンツ)に入団すると、1962年に「一本足打法」で本塁打を量産し、初の本塁打王となると、以降、13年連続を含む15回の本塁打王に輝くなど、巨人V9の立役者として活躍した、王貞治(おう さだはる …