1953年、テレサ・ブリュワーのカバー曲「想い出のワルツ」でレコードデビューすると、たちまちヒットを記録し、人気歌手の仲間入りを果たすと、その後も、「青いカナリヤ」「オウ・マイ・パパ」などのヒット曲を連発し、艶のある伸びやかな歌声で、ポップス、ジャズ、カントリーなど様々なジャンルの曲を歌うことができるシンガーとして活動を続けている、雪村いづみ(ゆきむら いづみ)さん。

今回は、そんな雪村いづみさんの若い頃から現在までの活躍や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。

雪村いづみ

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雪村いづみが10代の時はデビュー曲「想い出のワルツ」が大ヒットするほか、江利チエミ、美空ひばりとともに「三人娘」と呼ばれ人気を博していた

15歳の時に「サンマー・スキャンダル」で初舞台を踏む

雪村いづみさんは、1952年、中学卒業後、ダンスホール「フロリダ」で歌手活動を開始すると、1952年7月、15歳の時には、「サンマー・スキャンダル」で初舞台を踏み、8月下旬には、当時、最大の芸能プロダクションだった「木倉音楽事務所」の社長・木倉博恭さんにスカウトされて、「木倉音楽事務所」に入所します。


16歳の時にデビュー曲「想い出のワルツ」が大ヒット

そして、1953年4月、16歳の時には、テレサ・ブリュワーのカバー曲「想い出のワルツ」でレコードデビューすると、たちまち20万枚を売り上げる大ヒットを記録し、一躍、脚光を浴びます。

雪村いづみ
「想い出のワルツ」

16歳の時に「青春三羽烏」で映画デビュー

そんな雪村いづみさんは、歌手活動のかたわら、1953年には、「青春三羽烏」で映画デビューも果たし、

以降、

  • 1954年(17歳)「娘十六ジャズ祭り」
  • 1954年(17歳)「東京シンデレラ娘」
  • 1955年(18歳)「ジャズ娘乾杯」
  • 1955年(18歳)「歌まつり満月狸合戦」

など、立て続けに音楽映画で主演を務めています。

「娘十六ジャズ祭り」
「娘十六ジャズ祭り」より。

16歳の時に江利チエミ、美空ひばりとともに「三人娘」と呼ばれ人気を博す

また、雪村いづみさんは、江利チエミさん、美空ひばりさんとともに、「三人娘」と呼ばれ、人気を博すと、1955年には、3人が主演を務める映画「ジャンケン娘」が空前の大ヒットを記録し、

その後も、

  • 1956年(19歳)「ロマンス娘」
  • 1957年(20歳)「大当り三色娘」
  • 1964年(27歳)「ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば」

と、3人そろって出演し、話題を呼んだのでした。

「ジャンケン娘」
「ジャンケン娘」より。(左から)雪村いづみさん、江利チエミさん、美空ひばりさん。

雪村いづみが20代の時はダイナ・ショアの人気番組「The Dinah Shore Chevy Show」に出演し絶賛されていた

22歳の時にダイナ・ショアの人気番組「The Dinah Shore Chevy Show」に出演し絶賛されていた

そんな雪村いづみさんは、1959年、22歳の時には、渡米し、ダイナ・ショアの人気番組「The Dinah Shore Chevy Show」に出演すると、ここでも、日本の時と同様、芸能各紙から絶賛されています。

ちなみに、日本で人気絶頂だったにもかかわらず、雪村いづみさんが渡米した理由は、雪村いづみさんのお母さんが8500万円(現在の貨幣価値では25億円)もの借金を作ってしまい、その返済のためだったそうです。

23歳の時に全米縦断公演「ホリデイ・イン・ジャパン」を敢行

そして、雪村いづみさんは、翌年の1960年、23歳の時にも、全米縦断公演「ホリデイ・イン・ジャパン」のため渡米すると、初演直後から話題を呼び「ドルを稼げるはじめての日本人歌手」と称賛されています。

24歳の時には日本人の芸能人として初めて「LIFE」誌の表紙を飾っていた

また、雪村いづみさんは、1961年、24歳の時には、日本人の芸能人として初めて、「LIFE」誌の表紙を飾っています。

(一流写真家のロバート・キャパさんに撮影されています)

雪村いづみ
「LIFE」(1961年5月8日号)より。

ただ、やがて、雪村いづみさんは、スター扱いされなくなり、アルバイトをしながらオーディションを受けなければならなくなったそうです。

そんな中、まず、自分で先生を探さなけれならなかったそうですが、ラスベガスのホテルのラウンジで歌っていると、ジャズ歌手のナンシー・ウイルソンさんのピアニストに誘われ、1日25ドルで3日間、レッスンを受けると、

そのたった3日間のレッスンで、1オクターブ上の声が出せるようになったほか、声の響かせ方が変わったそうで、この時のレッスンが、今でも役に立っているのだそうです。

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雪村いづみの27歳(帰国)以降~80代(現在)

そんな雪村いづみさんは、帰国後の1964年、27歳の時には、ミュージカル映画「君も出世ができる」に出演すると、その後は、ミュージカルで活動しつつ、歌手活動を続けています。

そして、2006年、69歳の時には、32年ぶりとなる映画「そうかも知れない」に出演するほか、2014年、77歳の時には、佐野元春さんとコラボレーションアルバム「トーキョー・シック」をリリース。

2016年、79歳の時には、美空ひばりさん、江利チエミさんが若い頃に録音していた「トゥー・ヤング」の音源とともに、雪村いづみさんが歌ったCDが「日本レコード大賞」の企画賞を受賞。

2017年には、80歳を記念し、「CD大全集・雪村いづみのすべて」が発表されています。

そして、2018年7月、81歳の時には、群馬県高崎市でコンサートを開催するほか、同年11月13日にも、「歌謡祭」に出演するなど、今なお、現役歌手としてステージに立ち続けているのですが、

雪村いづみさんは、その理由について、

やっぱりチエミちゃんとひばりさんがいなかったら、いまの私はいないわよ。あの2人のためにも、頑張って歌わなきゃね

と、語っています。

また、

私自身はね、歌えるのならどこにでも行って歌いたいと思っているけど、まぁ時代も違うからね

とも語っており、

今も衰えることのない歌への熱い思いを持つ、雪村いづみさんの歌手としての活躍は、まだまだ続きそうです。

雪村いづみ

お読みいただきありがとうございました



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