1968年、20歳の時、「東映ニューフェイス」のオーディションを受けると、見事、合格し、1969年には、テレビドラマ「あゝ忠臣蔵」でデビューし、1973年には、特撮テレビドラマ「仮面ライダーV3」の主人公・風見志郎/仮面ライダーV3役で、たちまちブレイクした、宮内洋(みやうち ひろし)さん。
今回は、そんな宮内洋さんの若い頃から現在までの出演作品や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。
「宮内洋の生い立ちは?幼少期から俳優に憧れ20歳で東映ニューフェイスに合格していた!」からの続き
宮内洋が20代の時は「仮面ライダーV3」「ゴレンジャー」でアクション俳優として人気を博していた
23歳の時に刑事ドラマ「キイハンター 」にレギュラー出演
1968年、20歳の時、「東映ニューフェイス」に合格し、東映に入社した宮内洋さんは、翌年の1969年には、テレビドラマ「あゝ忠臣蔵」の四十七士の間新六の役で俳優デビューし、
1970年、23歳の時には、丹波哲郎さん主演の刑事ドラマ「キイハンター 」の壇俊介役でレギュラーに抜擢されています。
「キイハンター 」より。
ちなみに、丹波悦郎さんは宮内洋さんの師匠だったことから、宮内洋さんは、丹波哲郎さんの運転手を務めていたそうですが、
丹波哲郎さんからは、
お前に芝居について教えることは何もない。俺に教えられるのは霊界のこと、それからもうひとつ、催眠術だ
と、言われたそうで、
後部座席から、霊界について一生懸命話しをしてくれたそうですが、宮内洋さんは、ほとんど聞いていなかったそうです(笑)
ただ、丹波哲郎さんは、俳優としてはとても尊敬できる人だったそうです。
26歳の時に特撮テレビドラマ「仮面ライダーV3」で主演に抜擢
そんな宮内洋さんは、1973年、26歳の時、特撮テレビドラマ「仮面ライダーV3」(「仮面ライダー」シリーズの2作目)で、主人公・風見志郎/仮面ライダーV3役に抜擢されると、たちまち人気を博します。
「仮面ライダーV3」より。
ちなみに、宮内洋さんは、主演が決まった後、まだ放送中だった(シリーズ1作目の)「仮面ライダー」を見る時間がなかったため、ビデオデッキを買って録画して研究したそうで、
(当時、ビデオデッキは20万円ぐらいしたほか、オープンリールで30分を録画するのに1万円ぐらいかかったそうです)
番組が始まると、オートバイを片手で運転する練習を始め、次に、両手を離してもバランスを保てるように練習し、走るバイクの上での変身ポーズが生まれたのだそうです。
また、宮内洋さんは、「仮面ライダーV3」撮影時、命綱なしでロープウエーにしがみつくなど、アクションシーンをスタントマンに頼らず、自分自身でやっていたのだそうです。
27歳の時に必殺シリーズ「助け人走る」で島帰りの龍役
そんな宮内洋さんは、1974年、27歳の時には、必殺シリーズ「助け人走る」で、島帰りの龍役を演じています。
「助け人走る」より。
28歳の時に「秘密戦隊ゴレンジャー」で新命明/アオレンジャー役
その後、宮内洋さんは、1975年、28歳の時、スーパー戦隊シリーズ「秘密戦隊ゴレンジャー」で、新命明/アオレンジャー役に起用されると、
キレのあるアクションと、ちょいワルながら色気のある雰囲気をまとい、それまでの若手俳優にはなかった魅力で、多くのファンを魅了したのでした。
「秘密戦隊ゴレンジャー」より。
宮内洋の30代の頃は「快傑ズバット」が高視聴率を記録
30歳の時に特撮テレビドラマ「快傑ズバット」で主演に抜擢
また、宮内洋さんは、1977年、30歳の時には、特撮テレビドラマ「快傑ズバット」で、主人公の早川健/怪傑ズバット役に起用されると、この作品は、1977年3月9日放送分の第6話は15.5%を記録するなど、高視聴率を記録。
宮内洋さんの独特のセリフ回しと軟硬自在の演技などにより、数多くの特撮ヒーロー番組の中でも高い人気を誇ったのでした。
「快傑ズバット」より。
ちなみに、宮内洋さんは、
ず~っと毎日、撮影に次ぐ撮影で。しかも東京と京都の往復でね。作品が重なることもある。夜中の1時ぐらいに帰って、2時間ぐらい寝て、夜が明ける前にロケ地に自分でクルマを運転して向かって。
そんな状態でケーブルカーの上でアクションをやったりしていたんですよね(笑)。特撮ヒーロー作品というのは、日本で独自に発展したもので、海外にもファンが大勢いますよね。僕は何本もの作品でヒーローを演じられたことを誇りに思っています。
と、語っています。
(宮内洋さんは、20代~30代前半の頃、数多くの特撮ヒーロー作品に数多く出演しています)
31歳の時に時代劇「暴れん坊将軍」で御庭番・助八役
宮内洋さんは、1978年、31歳の時には、時代劇「暴れん坊将軍」で、御庭番・助八役を演じています。
「暴れん坊将軍」より。
32歳の時に「Gメン’75」で島谷和彦刑事役
また、宮内洋さんは、1979年、32歳の時には、再び、師匠である丹波哲郎さん主演の刑事ドラマ「Gメン’75」で、 島谷和彦刑事役を演じています。
「Gメン’75」より。
宮内洋の40代~60代は舞台に出演
そんな宮内洋さんは、その後も、テレビドラマや映画に出演しつつ、舞台にも活動の場を広げると、
- 1983年(36歳)「河内山宗俊」
- 1986年(39歳)「雪之丞変化」
- 1987年(40歳)「そうでしょうか」
- 1988年(41歳)「花と龍」
- 1988年(41歳)「通天閣高い」
- 1989年(42歳)「女座長の唄」
- 1989年(42歳)「恋の連舞」
- 1990年(43歳)「雪之丞変化」
- 1990年(43歳)「滝の白糸」
- 1991年(44歳)「嫁と旅役者」
- 1991年(44歳)「女ねずみ小僧異聞 天命燃ゆ」
- 1991年(44歳)「川びらきと祝囃子」
- 1993年(46歳)「赤い風車と花笠道中」
- 1993年(46歳)「晴姿若様剣法」
- 1993年(46歳)「絢爛義経絵巻」
- 1997年(50歳)「ドラキュラ・イン・ジャパン 愛・時をこえて」
- 1997年(50歳)「花嫁衣裳」
- 1997年(50歳)「海道一の暴れん坊 石松道中双六」
- 2000年(53歳)「石松初恋旅」
- 2000年(53歳)「立春なみだ橋」
- 2005年(58歳)「ザ・ドリフ3/5 夢の芝浜繁盛記」
- 2006年(59歳)「おゆき」
- 2007年(60歳)「ティーチャーズ~職員室より愛をこめて~」
- 2008年(61歳)「緋牡丹お竜」
- 2010年(63歳)「女優」
- 2013年(66歳)「奇々怪々~老ノ坂のもののけ達~」
- 2014年(67歳)「to U~友情を超えた狂気を君に贈る~」
- 2014年(67歳)「トウキョウ演劇倶楽部プロデュース公演Vol.7/ ブラックジャックによろしく~がん患者編~」
- 2015年(68歳)「音楽劇 赤毛のアン」
- 2016年(69歳)「カフェ・パラダイス」
「カフェ・パラダイス」より。
など、新宿コマ劇場、明治座、御園座などの大舞台でキャリアを重ねています。
宮内洋の現在(70代)
宮内洋さんは、2022年8月、75歳の時には、5泊6日のスケジュールで九州を訪れ、ファンイベントを行ったそうで、取材に対し、
久留米からスタートして、福岡に移動して、最後は熊本、5日間で5ステージをこなしました。歌は『戦え!仮面ライダーV3』から始まって、途中で歌を中断して、わたしの近況をお伝えして、それからまたさらに歌う。
全部で13曲を歌い、公演時間は2時間半。でも、全然疲れないよ。コロナ禍でステイホームの日々が続いたので、体力はあり余っているんだよ。ハハハ。逆に、久しぶりにファンの方たちと直接、交流ができて、わたしのほうがたくさん元気をもらったよ
と、語っています。
また、宮内洋さんは、ジムに行って、スクワット、水中ウオーキング、クロールなどのトレーニングで、身体を鍛えていることも明かしており、その甲斐あって、なんと、体形は20代の頃とほとんど変わっていないのだそうです。
そんな宮内洋さんは、2024年3月29日、76歳の時には、埼玉・ところざわサクラタウンで行われた「生誕50周年記念 THE 仮面ライダー展」で、埼玉会場のオープニングセレモニーにサプライズゲストとして登壇し、ファンを沸かせています。
「宮内洋の妻は?息子は特撮ヒーローのカラーを押し出したバーを経営!」に続く
「生誕50周年記念 THE 仮面ライダー展」より。
1973年、「仮面ライダーV3」で大ブレイクを果たすと、以降、特撮ものを中心に、刑事ドラマや時代劇でも得意なアクションを披露してきた、宮内洋(みやうちひろし)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。 …