1955年、映画「緑はるかに」のヒロインで女優デビューすると、以降、小林旭さん主演の、「渡り鳥」シリーズ、「流れ者」シリーズ、「銀座旋風児」シリーズ、石原裕次郎さんの相手役として、「夜霧よ今夜も有難う」などに出演するなど、看板女優として日活の黄金期を支え、
日活退社後も、映画「男はつらいよ」で、マドンナ・リリー役として、シリーズ最多の4度の出演をした、浅丘ルリ子(あさおか るりこ)さん。
今回は、そんな浅丘ルリ子さんの、若い頃(女優活動以降)から現在までの活躍や経歴を、デビューから時系列でまとめてみました。
浅丘ルリ子が10代~20代の時には小林旭や石原裕次郎のヒロイン役でブレイクするほかシングル「愛の化石」がヒット
14歳の時に映画「緑はるかに」のヒロインで女優デビュー
浅丘ルリ子さんは、1954年、中学2年生の夏、読売新聞に連載されていた小説「緑はるかに」の、映画化のヒロイン・ルリ子役の募集を見つけて応募すると、約3,000人の中から、選ばれてヒロインに抜擢されたそうで、
翌1955年5月、14歳の時、映画「緑はるかに」のヒロインで女優デビューを果たすと、たちまち、”瞳の大きな美少女”として脚光を浴び、映画の中での浅丘ルリ子さんのヘアスタイル”ルリ子カット”が若い女性の間で大流行しています。
「緑はるかに」より。
19歳~27歳の時には日活映画のヒロインとして活躍
そんな浅丘ルリ子さんは、その後も、日活の看板女優として、小林旭さん主演の三大アクションシリーズ(「渡り鳥」「流れ者」「銀座旋風児」)や、石原裕次郎さん主演のムードアクションシリーズ(「赤いハンカチ」「夕陽の丘」「夜霧よ今夜も有難う」)など、日活アクション映画で次々とヒロインを演じ、日本映画の黄金時代を支えています。
- 小林旭さんの「渡り鳥」シリーズ
- 1959年(19歳)「ギターを持った渡り鳥」
「ギターを持った渡り鳥」より。浅丘ルリ子さんと小林旭さん。 - 1960年(20歳)「口笛が流れる港町」
- 1960年(20歳)「大草原の渡り鳥」
- 1962年(22歳)「北帰行より 渡り鳥北へ帰る」
- 1959年(19歳)「ギターを持った渡り鳥」
- 小林旭さんの「流れ者」シリーズ
- 1960年(20歳)「海から来た流れ者」
「海から来た流れ者」より。浅丘ルリ子さんと小林旭さん。 - 1960年(20歳)「海を渡る波止場の風」
- 1960年(20歳)「南海の狼火」
- 1960年(20歳)「大暴れ風来坊」
- 1960年(20歳)「海から来た流れ者」
- 小林旭さんの「銀座旋風児」シリーズ
- 1959年(19歳)「銀座旋風児」
「銀座旋風児」より。浅丘ルリ子さんと小林旭さん。 - 1959年(19歳)「銀座旋風児 黒幕は誰だ」
- 1960年(20歳)「銀座旋風児 目撃者は彼奴だ」
- 1961年(21歳)「銀座旋風児 嵐が俺を呼んでいる」
- 1959年(19歳)「銀座旋風児」
- 石原裕次郎さんのムードアクションシリーズ
- 1964年(24歳)「赤いハンカチ」
「赤いハンカチ」より。浅丘ルリ子さんと石原裕次郎さん。 - 1964年(24歳)「夕陽の丘」
- 1967年(27歳)「夜霧よ今夜も有難う」
- 1964年(24歳)「赤いハンカチ」
29歳の時にはシングル「愛の化石」がヒット
また、浅丘ルリ子さんは、1957年には、自身も出演した映画「踊る太陽 お転婆三人娘」の主題歌「三人姉妹マンボ(withペギー葉山、芦川いづみ)」で歌手デビューも果たすと、以降、映画の主題歌を次々とリリースし、
1969年8月、29歳の時には、悲しげなメロディーと自身のハミングをバックに切々と女心を語った(演じた)25枚目のシングル「愛の化石」が、オリコンチャート最高2位を記録する大ヒットを記録しています。
「愛の化石」
浅丘ルリ子が30代の時には「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」で4度のマドンナ(クラブ歌手リリー)役
30歳の時に映画「愛の化石」に出演
そして、1970年、30歳の時には、同名映画「愛の化石」が、浅丘ルリ子さんと田宮二郎さん主演で制作されています。
「愛の化石」より。浅丘ルリ子さんと高橋悦史さん。
ただ、その後、浅丘ルリ子さんは、1971年1月、30歳の時に、石原裕次郎さんのシングル「地獄花」にセリフで参加したのを最後に、歌手活動を休止しています。
1954年、中学2年生の夏、映画「緑はるかに」のオーディションを受けられると、応募者3000人の中から、見事、ヒロインに選ばれた、浅丘ルリ子(あさおか るりこ)さん。そんな浅丘さんの、生い立ち、オーディションでの秘話、歌 …
「地獄花」
33歳の時に「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」でマドンナ役のクラブ歌手リリー
また、浅丘ルリ子さんは、1973年、33歳の時には、映画「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」で、マドンナ役のクラブ歌手リリーを演じているのですが、それまでの良家のお嬢様や貞淑な婦人とは違った異色なマドンナは大好評を博し、
「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」より。浅丘ルリ子さんと渥美清さん。
以降、
- 1975年(35歳)「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」
「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」より。浅丘ルリ子さんと渥美清さん。 - 1980年(40歳)「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」
「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」より。浅丘ルリ子さんと渥美清さん。 - 1995年(55歳)「男はつらいよ 寅次郎紅の花」
「男はつらいよ 寅次郎紅の花」より。浅丘ルリ子さんと渥美清さん。
と、いずれもリリー役で出演し、シリーズ最多4回のマドンナ出演となっています。
36歳の時にはテレビドラマ「新車の中の女」で主演のほか主題歌を歌手の真木悠子とともに担当
そんな浅丘ルリ子さんは、1976年、36歳の時には、セバスチアン・ジャプリゾの小説「新車の中の女」(原題「La Dame dans l’auto avec des lunettes et un fusil」望月芳郎訳)を原作とする同名テレビドラマで主演を務めています。
そして、歌手の真木悠子さんとともに、主題歌の「白い旅」も担当しているのですが、真木悠子さんのスキャットと浅丘ルリ子さんの語りが融合された妖艶なボサノバ風歌謡曲は、一度聴いたら忘れられない名曲として、今もなお、ファンの間で語り継がれています。
日活の看板女優として、数多くの映画でヒロインを務められ、絶大な人気を博した、浅丘ルリ子(あさおか るりこ)さん。その中でも、山田洋次監督の映画「男はつらいよ」シリーズでは、4回も(最多)マドンナ役を演じられています。 「 …
「白い旅」
浅丘ルリ子が40代の時には「鹿鳴館」で影山朝子役
そして、1986年、46歳の時には、映画「鹿鳴館」で影山朝子役を演じています。
「鹿鳴館」より。
浅丘ルリ子が50代の時には「二十六夜参り」ほかテレビドラマに出演
そんな浅丘ルリ子さんは、50代の時には、
- 1991年(51歳)「小指の思い出」
- 1992年(52歳)「雀色時」
「雀色時」より。 - 1993年(53歳)「清左衛門残日録」
- 1993年(53歳)「嵐の中の愛のように」
- 1998年(58歳)「二十六夜参り」
などのテレビドラマに出演しています。
浅丘ルリ子が60代の時にはテレビドラマ「いつか海へ 6つの愛の物語」で主人公・海江田遼子役
浅丘ルリ子さんは、2003年、63歳の時には、亡き夫・司郎と作った思い出の“浮き玉”がいくつもの物語をつないでいく様子を描いたテレビドラマ「いつか海へ 6つの愛の物語」で、主人公・海江田遼子役を演じているのですが、
浅丘ルリ子さんがこのドラマへの出演を決めたのは、演出が黛(まゆずみ)りんたろうさんだったからだそうで、
浅丘ルリ子さんは、
りんたろうさんのお父様は日本を代表する音楽家の黛敏郎さんでしょう。実は、その黛さんが司会をされた音楽番組にかつて出演させていただいたことがあったんです。
そうそうたる演奏家の方々が出演されている番組でしたから、「浅丘ルリ子が歌えるのか」なんて声も聞こえていました。でも黛さんはそんな雑音に耳を貸されることもなく、私はスタンダード曲などを歌わせていただきました。
いま考えると私も度胸があったなと思ってしまいますけどね(笑)。そんな素敵な思い出があったので、黛りんたろうさんが演出されるドラマならやらせていただこうとお受けしたんです。
と、語っています。
(ちなみに、このドラマは、倉本聰さん、野沢尚さん、三谷幸喜さんが脚本を担当していたそうで、その後、浅丘ルリ子さんは、三谷幸喜さんの舞台や、倉本聰さんのドラマに出演したそうですが、当時は、作家については気にしていなかったそうです)
「いつか海へ 6つの愛の物語」より。
浅丘ルリ子が70代の時には映画「デンデラ」で主演
また、浅丘ルリ子さんは、2011年、71歳の時には、映画「デンデラ」で主演を務めているのですが、これまでのヒロインとは打って変わり、姥(うば)捨て山に捨てられた老婆役を演じ、話題となりました。
若い頃は、日活の看板女優として数多くの映画でヒロインを演じ、30代になっても寅さんのマドンナ役を演じられた、浅丘ルリ子(あさおか ルリこ)さんですが、2011年「デンデラ」では、姥捨て山に捨てられた老婆の役、2017年「 …
「デンデラ」より。
浅丘ルリ子の現在(80代)
そんな浅丘ルリ子さんは、2024年5月、83歳の時には、イベント「~浅丘ルリ子 トーク&シネマ~『1960年代 日活映画☆浅丘ルリ子』」開催に向けて行われた、合同取材会に出席しているのですが、この取材会は、約1年ぶりの仕事だったそうで、
浅丘ルリ子さんは、
きょうはお話ししなきゃいけないというので、きのうあんまり寝られませんでした…。演じるのは何ともないんですけど、自分の言葉でしゃべるというのは昔からすごく苦手で。
だからトークショーっていうと、“おなか痛いと言って休んじゃおうかしら”みたいなこともありましたけど、そういうわけにもいかないですし(笑)
できるだけ私の若いときの映画と今の私を見ていただけたらうれしいな
と、語っています。
また、
(企画について聞いた際には)すごくびっくりしましたし、“そんなことやらなくていいのに!”と自分では思っていたんです。トークショーは久しぶりなので、何を話したらいいんでしょう(笑)。
(ファンに)なかなか会う機会がありませんもので、お目にかかれるのはすごくうれしいです
とも、語っています。
80歳を目前にしてもなお、第一線で活躍されている、浅丘ルリ子(あさおか ルリこ)さんですが、近年、その濃すぎる化粧が、ネット上で大きな話題となっています。そこで、今回は、浅丘さんの、化粧が濃い理由、整形疑惑、すっぴんにつ …
合同取材会で緊張気味の浅丘ルリ子さん。
日活の看板女優として一世を風靡し、日本映画の黄金期を支えられた、浅丘ルリ子(あさおか るりこ)さん。そんな浅丘さんは、プライベートもまた、映画のようにドラマチックでした。 「浅丘ルリ子の化粧が濃い理由とは?すっぴんは?整 …