1973年春、山下達郎さんに誘われ、大貫妙子さん、野口明彦さん、村松邦男さんと共にロックバンド「シュガー・ベイブ」を結成するも、デビュー前の1975年3月に、「シュガー・ベイブ」を脱退した、鰐川己久男(わにがわ きくお)さん。
今回は、鰐川己久男さんの若い頃についてご紹介します。
鰐川己久男は鰐川己久雄?
鰐川己久男さんの下の名前は、ウィキペディアほか一般的には、「鰐川己久男」(きくおの「お」が「男」)となっているのですが、コアなファンによると、本当は、「鰐川己久雄」(「男」ではなく「雄」)といいます。
それが、2005年版「SONGS」(SONGS -30th Anniversary Edition-)に記載されている鰐川さん以外のメンバーのコメントで、第2期メンバーの上原裕さんが、なぜか、「鰐川己久男」と記していたそうで、このあたりから、一般的に「男」が使われているようになったとのことです。
また、鰐川己久男さんの生年月日などプロフィールは一切公開されていないため、年齢や出身地は不明です。
鰐川己久男は山下達郎らとロックバンド「シュガー・ベイブ」を結成していた
鰐川己久男さんは、1972年、友人の山下達郎さんの自主制作アルバム「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」の制作に参加すると、
1973年春、山下達郎さんに誘われ、大貫妙子さん、野口明彦さん、村松邦男さんと共にロックバンド「シュガー・ベイブ」を結成したそうです。
ちなみに、鰐川己久男さんは、もともとはギタリストとして「シュガー・ベイブ」に参加する予定だったそうですが、山下達郎さんにベースでメンバーになるように説得されたそうで、
鰐川己久男さんは、最初は渋っていたそうですが、バンドをやりたいという思いには勝てず、これを了承したのだそうです。
(山下達郎さんは、すでに会社員として働いていた村松邦男さんを口説き、ギターとして参加させていたそうで、鰐川己久男さんの方がギターの指が速いことを認めていたものの、”フレーズが泣く”という理由で村松邦男さんをギターにしたのだそうです)
「シュガー・ベイブ」第一期のメンバー。(左から)村松邦男さん、山下達郎さん、大貫妙子さん、野口明彦さん、鰐川己久男さん。
鰐川己久男はデビュー前に「シュガー・ベイブ」を脱退していた
その後、鰐川己久男さんは「シュガー・ベイブ」として地道に音楽活動を重ねるのですが・・・
デビュー前の1975年3月、「シュガー・ベイブ」を脱退しています。
鰐川己久男さんが「シュガー・ベイブ」を脱退した理由は不明ですが、前年の1974年秋頃、レコーディング終了後にバンドを辞めようと考えていたといいます。
(「シュガー・ベイブ」は鰐川己久男さんが脱退した翌月の1975年4月にアルバム「SONGS」とシングル「DOWN TOWN」を同時リリースし、レコードデビューするのですが、1976年4月には、早くも解散しています)
鰐川己久男の「シュガー・ベイブ」脱退後は消息不明
そんな鰐川己久男さんですが、「シュガー・ベイブ」脱退後は情報が一切なく、どうされているのか不明です。
ただ、熱心なファンの方の情報によると、1994年版「SONGS」が発売された時、”技師”として紹介されていたといいます。
また、2005年版「SONGS」(SONGS -30th Anniversary Edition-)が発売された際には、歴代メンバーのコメントが掲載される中、鰐川己久男さんだけコメントが掲載されていなかったといいます。
鰐川己久男さんは、「シュガー・ベイブ」脱退後は音楽活動をしておらず、一般人として暮らしている可能性が高そうですね。
ちなみに、「SONGS」は、
- 1994年版(SONGS)
- 2005年版(SONGS -30th Anniversary Edition-)
- 2015年版(SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-)
- 2025年版(SONGS -50th Anniversary Edition-)
が、発売されています。