1967年、19歳の時、「恋のハレルヤ」で再デビューすると、1968年には、4枚目のシングル「天使の誘惑」が46万枚を売り上げる大ヒットを記録し、さらに、同年リリースの「夕月」も66万枚の大ヒットとなった、黛ジュン(まゆずみ じゅん)さん。

今回は、そんな黛ジュンさんの、若い頃(再デビュー)からのヒット曲やシングルほか経歴を時系列でご紹介します。

黛ジュン

「黛ジュンの生い立ちは?幼少期から流しの歌手として家計を助けていた!」からの続き

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黛ジュンは19歳の時「恋のハレルヤ」で再デビューしていた

黛ジュンさんは、1964年、15歳の時、本名の「渡辺順子」名義でデビューするも、当初は、鳴かず飛ばずだったそうですが、

1967年、19歳の時、石原プロモーションに移籍し、「黛ジュン」名義で、「恋のハレルヤ」で再デビューすると、ミニスカート姿にパンチの効いた歌声が、たちまち脚光を浴びます。

「恋のハレルヤ」
「恋のハレルヤ」

黛ジュンは19歳の時に4枚目のシングル「天使の誘惑」が大ヒット

そして、1968年、19歳の時には、4枚目のシングル「天使の誘惑」(1968年5月1日リリース)が46万枚を売り上げる大ヒットを記録し、同年末には、「第10回日本レコード大賞」を受賞したのでした。

「天使の誘惑」
「天使の誘惑」

黛ジュンは20歳の時に5枚目のシングル「夕月」もヒットを記録

また、1968年9月10日にリリースした5枚目のシングル「夕月」も、66万枚を売り上げる大ヒットを記録すると、

自身のヒット曲をもとにした同名の映画「天使の誘惑」「夕月」では、主演を務め、女優としても活躍したのでした。

「夕月」
「夕月」

(「夕月」はお兄さんの三木たかしさんが作曲をしています)

黛ジュンが20歳~21歳の時には「不思議な太陽」「雲にのりたい」「涙でいいの」「土曜の夜何かが起きる」「自由の女神」が順調にヒットしていた

そんな黛ジュンさんは、その後も、

  • 1969年2月1日(20歳)には、「不思議な太陽」※兄・三木たかしさん作曲
  • 1969年6月1日(21歳)には、「雲にのりたい」
  • 1969年9月10日(21歳)には、「涙でいいの」
  • 1969年12月30日(21歳)には、「土曜の夜何かが起きる」
  • 1970年5月25日(21歳)には、「自由の女神」※兄・三木たかしさん作曲

「不思議な太陽」
「不思議な太陽」

など、順調にヒットを飛ばしています。

黛ジュンは21歳~25歳の時に結婚&離婚で人気が低迷していた

そんな中、1970年、レコーディング・スタジオで知り合ったという、スタジオミュージシャンの江藤勲さんと婚約・結婚すると、結婚後は、芸能活動を縮小。

ただ、1973年には、江藤勲さんの家庭内暴力などが原因で離婚すると、その後、本格的に芸能活動を再開するも、以前のような人気は得られず、レコードの売上が低迷し、1980年には、CBS・ソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)へ移籍したのでした。

黛ジュンは31歳~32歳の時にシングル「風の大地の子守り唄」「男はみんな華になれ」が立て続けにヒット

すると、同年(1980年)2月25日(31歳)にリリースした、阿木燿子さん作詞、宇崎竜童さん作曲のシングル「風の大地の子守り唄」が5.4万枚の売上を記録。

続く、同年8月21日(32歳)にリリースしたシングル「男はみんな華になれ」も、8.5万枚を売り上げるヒットを記録し、見事、復活を遂げたのでした。

男はみんな華になれ
「男はみんな華になれ」

黛ジュンの30代~60代は歌手活動を続けていた

その後、黛ジュンさんは、1980年代~1990年代は、シングルをコンスタントにリリースし、2000年以降は、主に舞台やディナーショーで活動しています。

(その間、2度目となる結婚&離婚、婚約破棄をしています)

黛ジュンのシングル一覧

それでは、ここで、黛ジュンさんの主なシングルをご紹介しましょう。

  • 1964年「ダンケ・シェン」※渡辺順子名義
  • 1965年「ウーキ・クーキ」※渡辺順子名義
  • 1966年「あなたを想えば」※渡辺順子名義
    黛ジュン
  • 1967年「恋のハレルヤ」※以下、黛ジュン名義
  • 1968年「乙女の祈り」
  • 1969年「雲にのりたい」
  • 1970年「時は流れる」
  • 1971年「憂愁」
    「憂愁」
  • 1972年「裸足の妖精」
  • 1973年「川岸」
  • 1974年「冬化粧」
  • 1975年「鎌倉海岸通り」
  • 1980年「風の大地の子守り唄」
    「風の大地の子守り唄」
  • 1981年「たとえば鳥」
  • 1982年「羅馬の夢」
  • 1983年「女は○」
  • 1984年「愛の眺め」
  • 1986年「二度咲きブルース」
    「二度咲きブルース」
  • 1989年「小説〜”I”Story〜」
  • 1993年「すべてがさよならになる」
  • 1994年「真赤な太陽」
  • 1995年「天使の誘惑’95」
  • 1997年「ASIAN SUNSET-アジアにて-」
  • 2008年「さくらの花よ 泣きなさい」
  • 2016年「ブラック・ルーム」
    「ブラック・ルーム」

ほか、数多くのシングルをリリースしています。

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黛ジュンの現在

さて、近年の黛ジュンさんですが、本格的な歌手活動はしていないものの、時折、テレビやイベント、特別番組などに出演し、

自身の歌手としての歴史、兄であり作曲家の三木たかしさんとの思い出、他のアーティストとのエピソードについて語るなど、芸能活動を続けています。

黛ジュン

「黛ジュンの元夫は?再婚相手は?大物政治家の愛人だった!子供は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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