ミス・ユニバース日本代表に選ばれると、世界大会では入選できなかったものの、その後、銀座の高級クラブ「姫」でホステス、「ジャニーズ事務所」に所属してタレントと、ホステス業と芸能活動の2足のわらじで活躍した、飯野矢住代(いいの やすよ)さん。
そんな、飯野矢住代さんは、プライベートも華やかで、ジョニー吉長さん、西郷輝彦さん、池田秀一さんほか、数多くの男性たちと恋愛を重ねたといいます。
今回は、飯野矢住代さんの恋愛遍歴についてご紹介します。

「飯野矢住代とジョニー吉長の馴れ初めは?破局理由は?子供が生後1日で死去!」からの続き
飯野矢住代は加橋かつみと交際していた
飯野矢住代さんは、ミス・ユニバース日本代表に選ばれ、アメリカ・マイアミで開催される世界大会に出場する為の渡航費集めをしていた頃、
当時、人気絶頂だった「ザ・タイガース」のメンバー・加橋かつみさんと交際していたといいます。
ただ、加橋かつみさんが、飯野矢住代さんと交際していたことで、合宿の門限(午後10時)を破るなど、共同生活の調和を乱すようになったことから、この交際は、「ザ・タイガース」のメンバーには歓迎されなかったといいます。
(飯野矢住代さんは、芸能人のたまり場であるイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしていたにもかかわらず、なかなか、渡航資金を集めることができなかったそうですが、それは、加橋かつみさんとの交際を歓迎されなかったことも関係していたと言われています)
飯野矢住代は18歳の時にジョニー吉長と交際・同棲を始めると前借りをするようになっていた
その後、飯野矢住代さんは、ミス・ユニバースの世界大会から帰国し、クラブ「姫」でホステス業を始めた後、モデル業、タレント業、女優業と、引っ張りだことなっているのですが、
そんな絶好調の中、中学時代の同級生で良家の御曹司だった大学生との交際を経て、1969年1月末には、駆け出しの貧しいバンドマン・ジョニー吉長(当時はジョニー・レイズ)さんと交際、同棲を開始したといいます。
ただ、飯野矢住代さんは、ジョニー吉長さんに入れあげ、ジョニー吉長さんの生活を支えるため、(「姫」では1日1万5000円を稼ぎ出していたほか、モデルや女優としてのギャラもあったものの、それだけでは足りず)「姫」のママ・山口洋子さんから前借り(バンス)を続けていたといいます。
飯野矢住代は19歳の時にジョニー吉長との子供を出産するも生後24時間で亡くしていた
そして、そんな中、19歳になったばかりの同年(1969年)4月には妊娠が判明し、出産予定日の1970年2月26日よりも2ヶ月早い、1969年12月22日の夕方には陣痛が始まったそうで、
飯野矢住代さんは、同日19時15分に、渋谷区広尾の日本赤十字社中央病院(現在の日本赤十字社医療センター)で男の子を出産したそうですが・・・
(赤ちゃんは、予定日よりも2ヶ月早い早産で未熟児だったことから、保育器に入れられたそうです)
喜びもつかの間、生後24時間も経たない12月23日17時19分、赤ちゃんは、呼吸困難からチアノーゼを起こし、亡くなったといいます。
1969年、21歳の時、ドラマーのジョニー吉長さんと交際・同棲を開始すると、”素敵な男性とお花に囲まれたお城で暮らす”という夢を見事に叶え、幸せな日々を過ごしていたという、飯野矢住代(いいの やすよ)さん。 しかし、そん …
飯野矢住代は20歳の時にジョニー吉長と破局後は藤竜也ほか数多くの男性と交際していた
そんな飯野矢住代さんは、1970年1月22日にクラブ「姫」に戻ると、同年5月にはジョニー吉長さんと同棲生活を解消して破局したそうで、しばらくは独り身だったそうですが、
破局の件はすぐに業界に知れ渡り、飯野矢住代さんを放っておかない男性たちが次々と現れたそうで、
その顔ぶれは、俳優の藤竜也さんのほか、青年実業家、芸術家、さらには、愛人契約を迫る財界人と、豪華絢爛だったといいます。
そんな中、飯野矢住代さんは、パトロンの申し出は断りつつ、一般人を含む数多くの男性と交際を重ねたのだそうです。
飯野矢住代は20歳の時に西郷輝彦と真剣交際もわずか2ヶ月ほどで破局していた
中でも、西郷輝彦さんとの交際は真剣だったそうで、1971年2月9日、20歳の時、3歳年上の西郷輝彦さんがお客としてクラブ「姫」に来たことで知り合うと、お互い、一目惚れして、交際に発展し、
西郷輝彦さんの愛車のムスタングで江の島へドライブをしたり、山中湖で一緒に夜を明かしたり、深夜の六本木を肩を組んで歩いたり、好きな歌をデュエットしたりと、デートを楽しんだといいます。
ただ、飯野矢住代さんが、西郷輝彦さんに夢中になるあまり、お母さんの勧めで始めた日本舞踊の稽古をサボるようになって、お母さんの不興を買ったほか、
西郷輝彦さんの周囲の人間が、西郷輝彦さんに飯野矢住代さんの過去(中傷)を吹き込んだことで、わずか2ヶ月ほどで破局したのだそうです。
(西郷輝彦さんは、その翌年の1972年に辺見マリさんと結婚しています)
飯野矢住代が20歳の頃は彼氏ができる度に持ち金を全て貢ぐ自滅的な恋愛を繰り返していた
そんな飯野矢住代さんは、新しい彼氏ができるたびに、その男性の部屋へ転がり込み、持っているお金をすべて貢いでしまうという自滅的な愛し方をしていたそうで、
お金が尽きて別れると、渋谷・円山町のお母さんが住むアパートへ戻るという、繰り返しだったといいます。
そこで、見かねた音楽評論家の木崎義二氏が、妻の同意を得て飯野矢住代さんを自宅に居候させたこともあったそうですが、飯野矢住代さんの生活の乱れは止まらなかったそうで、
やがて、飯野矢住代さんは、ホステスという仕事自体も嫌になって、クラブ「姫」での仕事も休みがちになっていったといいます。
そして、ついには、「姫」を辞めると、その後は、銀座のクラブを転々としたそうですが、どこへ行っても、借金(前借り)を作り、借金を抱えながら、店を替えるという、自堕落で不安定な日々を過ごすようになったといいます。
飯野矢住代が21歳の時には池田秀一と交際を開始するも・・・
そんな中、21歳の時には、中学3年生の時に追っかけをしていたという、同い年の俳優・池田秀一さんと、芸能人の溜まり場だった渋谷の高級会員制絨毯バー「深海魚」で、約7年ぶりに再会すると、すぐに交際するようになったそうで、
飯野矢住代さんは、週に2回ほど、池田秀一さんのマンションの部屋に通うようになったそうですが・・・
「飯野矢住代の死因は?彼氏・池田秀一のマンションで事故死していた?」に続く
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1970年5月にジョニー吉長さんと破局した後は、自由奔放な生活を楽しんでいたという、飯野矢住代(いいの やすよ)さんですが、最後の彼氏・池田秀一さんとの交際中、1971年12月28日、21歳という若さで亡くなっています。 …







