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中西太は少年時代から強打者だった!

12歳の時には空襲に遭うも、奇跡的に逃がれて生き残ったという、中西太(なかにし ふとし)さんは、終戦後は、健康優良児ですくすくと育ったそうで、小学校の担任の先生に教えてもらった野球(三角ベースボール)に夢中になったといいます。

中西太は少年時代に奇跡的に空襲から生き延びていた!

1952年、高松一高から西鉄ライオンズに入団すると、ルーキーイヤーから111試合に出場して、2割8分1厘、12本塁打、65打点、16盗塁の成績で新人王に輝き、その後も、4年連続を含むホームラン王5回、首位打者2回、打点王3回という、素晴らし・・・

田淵幸一の現役(プロ野球選手)時代の成績が凄い!

1968年、ドラフト1位で阪神に入団し、いきなり入団1年目に22本塁打を放って新人王に輝くと、その後も、通算1532安打、474本塁打(歴代11位)、1135打点という素晴らしい成績を残し、2020年には野球殿堂入りも果たしている、田淵幸一・・・

田淵幸一は王貞治の55本塁打を上回るペースも死球で左手首を骨折していた!

1982年には、プロ入り14年目にして、初のリーグ優勝と日本一を経験した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、1983年には、王貞治さんのシーズン55本塁打を上回るペースで本塁打を量産していたそうですが、7月13日に死球を受けて左手首を骨折・・・

田淵幸一は西武へのトレードを深夜に呼び出されて通告されていた!

1968年に阪神タイガースに入団して以来、10年で9度の20本塁打以上を達成するほか、1975年には、巨人の王貞治さんの14年連続本塁打王を阻止して本塁打王に輝くなど、素晴らしい活躍をした、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、1978年・・・

田淵幸一は本塁打王の年に左手首負傷も右腕1本で2本塁打していた!

1975年には、43本塁打を放ち、巨人の王貞治さんが13年君臨していた本塁打王の座を奪取している、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、実は、5月29日、中日8回戦で鈴木孝政投手の快速球が左手首に当たり、骨折こそしなかったものの、痛みと腫・・・

田淵幸一は首位巨人と1ゲーム差の直接対決で逆転満塁本塁打を放っていた!

1973年、阪神タイガースは、9月23日から10月10日の間、7連勝と4連勝を含む11勝1敗で、一気に首位の巨人を抜き去り、首位に立っているのですが、その躍進には、主軸を担っていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんも大きく貢献していました。

田淵幸一は外木場義郎からこめかみ死球の前に肘にも死球を受けていた!

1970年8月26日の広島戦で、外木場義郎投手から左こめかみに死球を受け、4日間もの間、意識不明となっていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、実は、この日、外木場投手からは、最初の打席にも肘に死球を受けていたといいます。

田淵幸一は若い頃こめかみに死球を受け4日間意識不明になっていた!

ルーキーイヤーの1969年には、シーズン終盤に盛り返して22本塁打し、「新人王」に輝いた、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、プロ入り2年目の1970年も、オールスター前に17本塁打と、順調に本塁打を量産していたのですが、8月26日の広島戦・・・

田淵幸一はルーキーのとき残15試合7本塁打で新人王を獲得していた!

打撃成績が下降の一途をたどり、シーズン終盤の9月中旬頃には、「新人王」は絶望的だと言われた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、そんな中、後藤次男監督の命で、再び、捕手から一塁手に転向すると、その後は、残り15試合で7本塁打と打ちまくり・・・

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