田淵幸一は王貞治の55本塁打を上回るペースも死球で左手首を骨折していた! スポーツ野球 1982年には、プロ入り14年目にして、初のリーグ優勝と日本一を経験した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、1983年には、王貞治さんのシーズン55本塁打を上回るペースで本塁打を量産していたそうですが、7月13日に死球 […] 続きを読む
田淵幸一は西武・堤義明オーナーの発想や理念に驚いていた! スポーツ野球 西武の根本陸夫監督の人柄に惹かれて、西武へのトレードを受け入れた、田渕幸一(たぶち こういち)さんは、1978年11月、西武に移籍すると、新球団である西武の堤義明オーナーの斬新な発想や理念などに驚かされたといいます。 続きを読む
田淵幸一は根本陸夫監督に惹かれ西武への移籍を受け入れていた! スポーツ野球 阪神では10年間で320本塁打して看板選手として活躍するも、1978年のシーズン終了後、阪神球団に、非常識にも、深夜に呼び出され、西武へのトレードを告げられたという、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、一時は、引退するこ […] 続きを読む
田淵幸一が阪神からトレードに出された理由とは? スポーツ野球 1968年に阪神タイガースに入団して以来、1978年までの10年間で、球団史上最多本塁打となる通算320本塁打を放ち、ミスタータイガースと呼ばれていたにもかかわらず、1978年には、まさかのトレードを通告された、田淵幸一 […] 続きを読む
田淵幸一は本塁打王の年に左手首負傷も右腕1本で2本塁打していた! スポーツ野球 1975年には、43本塁打を放ち、巨人の王貞治さんが13年君臨していた本塁打王の座を奪取している、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、実は、5月29日、中日8回戦で鈴木孝政投手の快速球が左手首に当たり、骨折こそしなか […] 続きを読む
田淵幸一は首位巨人と1ゲーム差の直接対決で逆転満塁本塁打を放っていた! スポーツ野球 1973年、阪神タイガースは、9月23日から10月10日の間、7連勝と4連勝を含む11勝1敗で、一気に首位の巨人を抜き去り、首位に立っているのですが、その躍進には、主軸を担っていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんも大き […] 続きを読む
田淵幸一は江夏豊の球宴9連続三振の時の捕手だった! スポーツ野球 プロ入り2年目の1970年には、広島の外木場義郎投手から左こめかみに死球を受け、4日間もの間、意識不明となっていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、プロ入り3年目の1971年には、「急性腎炎」を患い、開幕から2ヶ月以 […] 続きを読む
田淵幸一は外木場義郎からこめかみ死球の前に肘にも死球を受けていた! スポーツ野球 1970年8月26日の広島戦で、外木場義郎投手から左こめかみに死球を受け、4日間もの間、意識不明となっていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、実は、この日、外木場投手からは、最初の打席にも肘に死球を受けていたとい […] 続きを読む
田淵幸一は若い頃こめかみに死球を受け4日間意識不明になっていた! スポーツ野球 ルーキーイヤーの1969年には、シーズン終盤に盛り返して22本塁打し、「新人王」に輝いた、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、プロ入り2年目の1970年も、オールスター前に17本塁打と、順調に本塁打を量産していたのですが […] 続きを読む
田淵幸一はルーキーのとき残15試合7本塁打で新人王を獲得していた! スポーツ野球 打撃成績が下降の一途をたどり、シーズン終盤の9月中旬頃には、「新人王」は絶望的だと言われた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、そんな中、後藤次男監督の命で、再び、捕手から一塁手に転向すると、その後は、残り15試合で […] 続きを読む