もともとは野球選手を目指すも、1973年、漫才コンビ「ザ・ぼんち」のツッコミ役でデビューすると、1980年には漫才ブームに乗り、相方のぼんちおさむさんとともに爆発的な人気を博した、里見まさと(さとみ まさと)さん。漫才ブームが去った後、一旦、コンビは解散しますが、その後、亀山房代さんとのコンビを経て、2003年には「ザ・ぼんち」を再結成されています。

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プロフィール!

里見さんは、1952年4月25日生まれ、
兵庫県姫路市のご出身です。

身長170センチ、
体重69キロ、

血液型はA型、

出身高校は、興國高校、

趣味は、
ゴルフ、お遍路、講談、
創作落語、野球、料理、

本名は、里 道和(さと みちかず)、

だそうです♪

高校でプロ野球を目指すも・・・

まさとさんは、プロ野球選手になりたくて、
興國高校に進学、野球部に入部されるのですが、
レベルの高さについていけず、野球を断念。

そんな折、週刊誌で、西川きよしさんが、
「二十歳で家を建てた」という記事を偶然目にして、

漫才師を目指し、高校卒業後の1971年、18歳の時、
浪曲漫才トリオである「タイヘイトリオ」に弟子入りされています。

ぼんちおさむと再会

その後、まさとさんは、コンビを組んで活動するも、
1年ほどで解散してしまったそうで、

相方を求めて芸人養成所へ通われていた折、
興國高校の同級生で、同じく相方を探していた、
おさむ(ぼんちおさむ)さんと再会。

高校時代、お二人はそれほど交流はなかったそうですが、
この再会で、コンビを結成することとなったのでした。

「ザ・ぼんち」で大ブレイク

そして、1973年、
漫才コンビ「ザ・ぼんち」としてデビューされるも、
当初は全く売れなかったのですが、

バラエティ番組「ヤングおー!おー!」で、
若手お笑いユニット「チンチラチン」のメンバーとして、
売り出されると、注目を集めるようになり、

1980年、全国放送のバラエティ番組、
「THE MANZAI」で人気爆発。

「THE MANZAI」出演時の「ザ・ぼんち」

漫才ブームの中での、
「アイビールック」スタイルの漫才もうけ、

(アイビールックとは、当時の若い世代に、
 流行していたトラッドのファッション)

翌年の1981年リリースした、
「恋のぼんちシート」は大ヒット。

「恋のぼんちシート」

「ザ・ぼんち」は、一躍、
アイドル的な人気を博したのでした。

頂点からどん底へ

しかし、やがて漫才ブームが去ると、
1986年、「ザ・ぼんち」は解散。

まさとさんは、俳優業に転身されるのですが、
収入は月七万円ほどにまで落ち込み、
家族を養わなければならないまさとさんは、
途方に暮れたのでした。

まさとさんは、当時を振り返り、

頂点から一気にどん底でした。
自殺したらどんだけ楽かと思った。
オヤジの墓の前で、ホンマ泣きました。

と、明かされています。

亀山房代との出会い

そんな時、ワイドショー番組の、
15分コーナーの仕事が舞い込んだそうで、

まさとさんは、
「地獄の中の仏」だと飛びつくと、

そこで、若手ピン芸人だった、
亀山房代さんと出会います。

そして、やがて、亀山さんから、

「私と漫才コンビを組みませんか」

と誘われるのですが、
(※里見さんから誘われたという説もあり)

亀山さんは、関西での認知度はそこそこあったものの、
これといった芸はなく、ましてや漫才は素人だったため、

亀山さんとのコンビ結成は、
周囲の猛反対にあってしまいます。

つまり、

もう少し待って、
「ザ・ぼんち」を再結成すればいいじゃないか

というのが周囲の意見だったのですが、

まさとさんは、反対されて逆に熱くなり、
亀山さんとコンビを組むことを決意。

結婚しても同棲してもいい。
だけど子供だけは3年間我慢してくれ。

と、亀山さんに一つだけ条件を出されると、
亀山さんが了承。

まさとさんは、1989年、37歳の時、
コンビ「里見まさと・亀山房代」で、
再スタートを切られたのでした。

亀山房代さんと里見まさとさん

上方漫才大賞受賞

ただ、「里見まさと・亀山房代」は、
新人と同じ扱いのスタートだったため、
出番は自分の弟子よりも前座を務めることとなり、

「ザ・ぼんち」時代、頂点を極め、
トリも務めていたまさとさんにとっては、
とても屈辱的なことだったそうです。

それでも、まさとさんは、
3年で形にしたいと思われたことから、
ただひたすら稽古を重ねると、

1995年には、「上方漫才大賞奨励賞」
1997年には、「第26回上方お笑い大賞」金賞

そして、結成9年目の1998年には、
ついに、「第33回上方漫才大賞」を受賞し、
再び頂点を極められたのでした。

ちなみに、「里見まさと・亀山房代」は、
亀山さんが結婚、妊娠したことをきっかけに、
2001年に解散。

まさとさんは、

亀山と別れるとは思ってなかったですけど、
亀のおかげでぼくの漫才がやれました。

まさとの漫才は、亀山で終わってる。
そう言えるほど頑張れました。

と、おっしゃっていました。

そして、残念ながら、2009年、
元相方の亀山さんは急死。

まさとさんはひどいショックを受けられ、

僕を、ゼロからスタートさせてくれ、
悔しさでここまでやってこれた。

と、亀山さんへの思いを語っておられます。

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「ザ・ぼんち」再結成~パニック障害

こうして、亀山さんとのコンビで、
再び頂点を極め、燃え尽きた里見さんですが、

今度は、吉本興業から、

「おさむさんとコンビやりませんか?」

と、話があったそうで、

翌年の2002年、
「ザ・ぼんち」を再結成。

当初、まさとさんは、
再結成は考えておられなかったそうですが、

漫才を続けたかったことと、
10年先のことを考えて決意されたのでした。

とはいえ、おさむさんとの漫才は、
すっかり忘れてしまっていたため、
一からの出直しとなり、

3~4年は、ぎくしゃくして、
ごまかしたような漫才をされていたのだとか。

そして、そんなストレスがたまってか、
50歳のときには、「パニック障害」を発症。

ただ、次第に、相方が生きている限り、
話し合えばできる、と思うようになり、
おさむさんと向き合えるようになったそうで、

まさとさんは、2016年、

最近、ようやく漫才を楽しめるようになりました。
一つの漫才の中で、ぼくも一回はボケるようにしてますねん。

その方がお客さんも楽になるかなと思って。
これまでは賞も狙ってきましたけど、
この一年はゆっくりやりたい。

と、明かされています。

さて、いかがでしたでしょうか?

異なるコンビで「上方漫才大賞」を2度も受賞されるという、
前人未到の快挙を遂げられたまさとさんですが、

活動再開となった「ザ・ぼんち」では、
60代も後半に差し掛かるとは到底思えない、
相変わらずパワフルな漫才を披露。

90歳まで漫才をしたいとのことなので、
まだまだ20年以上は楽しめそうです♪

お体には気をつけて、
頑張ってほしいですね。

応援しています!!

https://www.youtube.com/watch?v=cD9n7cYmkb4

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