中森明菜の昔は?少女A?近藤真彦と金屏風の前で謝罪会見!

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1981年、16歳の時、オーディション番組「スター誕生!」で、史上最高得点となる392点を獲得し芸能界入りされた、歌手の中森明菜(なかもり あきな)さん。その後、1982年に「スローモーション」でデビューされると、セカンドシングル「少女A」でブレイク。以降、次々とヒットを飛ばし、瞬く間にトップアイドルの座に君臨。しかし、人気絶頂の1989年、近藤真彦さん宅で自殺未遂を起こしてしまいます。




プロフィール!


中森さんは、1965年7月13日、
東京都大田区生まれ、清瀬市育ちです。

身長160センチ、

血液型はA型、

特技は、バレエ、

だそうです♪


「スター誕生!」で最高得点を獲得し芸能界入り


中森さんは、もともと、
芸能界には興味がなかったのですが、

若い頃に歌手を目指されていたお母さんの夢を、
自分が叶えようと歌手を目指され、

1981年、16歳の時、
オーディション番組「スター誕生!」に出場。

1度目、2度目は、「顔に若々しさがない」との理由で、
審査員の松田トシさんに酷評され、
決勝には進めませんでしたが、

8月、3度目の出場では、
山口百恵さんの「夢先案内人」を歌唱し、
同番組の史上最高得点となる392点で決戦進出。

そして、12月に開催された決勝大会で、
再び、「夢先案内人」を歌唱すると、
11社ものレコード会社や芸能プロダクションからスカウト。

最終的に中森さんは、
プロダクションは「研音」
レコード会社は「ワーナー・パイオニア」
と契約されたのでした。




「少女A」でブレイク!


こうして、デビューが決まった中森さんは、
忙しいスケジュールの合間をぬって、
1日置きに歌のレッスンに励み、

翌年の1982年5月には、
シングル「スローモーション」で歌手デビュー。


スローモーション

同年7月1日には、ファーストアルバム、
「プロローグ〈序幕〉」をリリースし、

10月4日付けのオリコン週間アルバムランキングで、
最高5位を記録されます。


プロローグ<序幕>AKINA NAKAMORI FIRST

そして、7月28日にリリースした、
セカンドシングル「少女A」は、

10月18日付のオリコン週間シングルチャートで、
最高5位を記録し、約40万を売り上げるヒット。


少女A

続く10月リリースのセカンド・アルバム
「バリエーション〈変奏曲〉」は、

11月8日付けのオリコン週間LPチャートで、
初の1位を獲得し、74万枚を売り上げる大ヒット。


バリエーション<変奏曲>AKINA NAKAMORI SECOND

さらに、11月リリースのサードシングル、
「セカンド・ラブ」も、

11月29日付のオリコン週間シングルチャートで、
週間1位を獲得し、約77万枚を売り上げる大ヒットと、

中森さんは、トップアイドルの座を、
不動のものとされたのでした。


セカンド・ラブ


その後も次々とヒット!しかし・・・


その後も、中森さんは、

1983年「1/2の神話」
     「トワイライト -夕暮れ便り-」
     「禁区」




1984年「北ウイング」
     「サザン・ウインド」
     「十戒」
     「飾りじゃないのよ涙は」




1985年「ミ・アモーレ〔Meu amor e・・・〕」
     「SAND BEIGE -砂漠へ-」
     「SOLITUDE」




1986年「DESIRE -情熱-」
     「ジプシー・クイーン」
     「Fin」
     「ノンフィクション エクスタシー」




1987年「TANGO NOIR」
     「BLONDE」
     「難破船」




1988年「AL-MAUJ (アルマージ)」
     「TATTOO」




と、次々にヒットを飛ばし、
アイドル歌手として絶大な人気を誇るのですが・・・


近藤真彦宅で自殺未遂


中森さんは、人気絶頂だった1989年7月、
当時、アイドル歌手だった近藤真彦さんの、
自宅マンションの浴室で、

血を流してへたり込んでいるところを、
帰宅した近藤さんに発見されたのでした。

近藤さんによると、中森さんは、

「ごめんなさい」

と、泣きじゃくるばかりだったそうですが、

左ひじの内側を真一文字に切った傷は、
血管や神経が切れる重傷で、
手術は6時間も要したのでした。

金屏風の前で謝罪会見


当時、中森さんは、近藤さんと交際&同棲しており、
結婚を意識して、マイホームの土地購入費用の8000万円を、
近藤さんに預けていたとも言われていたことから、

そんな中での自殺未遂に、
連日メディアの報道が続いたのですが、

それでも、中森さんは、
公の場に姿を表すことはありませんでした。

しかし、同年12月31日、ついに、
自殺未遂以来初めて公の場で会見を行います。



そして、会見には金屏風が用意されており、
近藤さんも同席したことから、
当初は2人の結婚会見かと思われたのですが・・・

中森さんは、自殺未遂騒動を謝罪、
その後、今後の抱負を語るのみで、

自殺未遂の理由やお二人の関係ついては、
何ひとつ語らなかったのでした。

(ちなみに、お二人は会見の中で、終始お互いのことを、
「信頼のおける数少ない友人」と表現されています。)


「金屏風会見」はジャニーズ事務所の圧力か


ところが、金屏風をバックにした、
この不自然な謝罪会見、

実は、中森さんは、
近藤さんが所属するジャニーズ事務所から、

「婚約会見だから」

と言われて会場に向かったそうで、

会見場ではじめて、近藤さん同席の謝罪会見だと、
知らされたと言われているのです。

つまり、中森さんが当時所属していた「研音」は、
弱小の芸能事務所だったためか、この会見に関わることができず、
すべてジャニーズ事務所側が取り仕切ることとなったのですが、

ジャニーズ事務所側は、近藤さんとの関係を諦めない中森さんを、
「結婚報告」とうそをついて無理やり公の場に引きずり出し、
金屏風の前で近藤さんとの仲に決着をつけさせた、
と言われているのです。



また、中森さんは、この会見の3日前に、
「研音」から独立し、個人事務所を設立しているのですが、

この独立に関しても、ジャニーズ事務所が、
中森さんになんらかの圧力をかけたのでは、
と噂されています。

ちなみに、中森さんと近藤さんに関する報道は、
この後一切なく、お二人は破局。

真実が明かされぬまま、
中森さんは芸能活動を再開されたのでした。

「安田成美と!病名は?活動休止の真相は?」に続く



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