北野誠はナイトスクープの探偵だった!誠のサイキック青年団?

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1982年にコントユニット「ギャグ性感隊」を結成するも、いつしか活動が立ち消えとなり、ピン芸人となった、北野誠(きたの まこと)さんは、1985年、なんと、お父さんが焼身自殺。これが精神面に多大な影響を与え、低迷してしまいます。ただ、その後、嘉門達夫さんの推薦で出演した「探偵!ナイトスクープ」で知名度を上げると、1988年スタートの深夜ラジオ番組「誠のサイキック青年団」でも人気を博すようになるのですが・・・




「若い頃は落語家を目指していた!昔は漫才も!島田紳助と?」からの続き

「ギャグ性感隊」で活動するも・・・


現状から脱却するため、1982年10月に、
桂小春さん(現在は3代目桂小春団治さん)、笑福亭枝鶴さんとともに、
コントユニット「ギャグ性感隊」を結成した北野さんは、

大阪のライブハウス「バナナホール」

同年12月に、1回目の公演、
1983年7月に、2回目の公演、
1984年5月に、3回目の公演、

と、年に1回、新ネタのライブを敢行されると、

テレビ関係者の目に止まり、
テレビ番組のレギュラー出演も決定したのですが、
番組が終了すると、活動の場を失ってしまいます。

(その後、「ギャグ性感隊」の4回目のライブも、
 行われていないので、この頃、解散されたと思われます。)


写真は、現在(2017年3月9日)の、
桂小春団治さん(左)、北野さん、笑福亭枝鶴さん。



「スチュワーデス物語」「川口浩探検隊」などの芸を披露


こうして、北野さんは、
再びピンで活動するようになると、

バラエティ番組に出演された際、
漫才時代からの持ちネタを活かして、

当時放送されていたテレビ番組、
「スチュワーデス物語」「川口浩探検隊」などに、
ツッコミを入れたり、

「大阪の種馬」
「浪速の竿師」
「時代のトリック・スター」

などの芸を披露。

また、「どんな手段を講じてでも性的欲求不満を埋めたい、
男性視点の野卑な恋愛攻略論」
などのトークを披露し、
地道に活動されていたのですが・・・


父親が焼身自殺


1985年12月、なんと、
北野さんのお父さんが自宅の庭で焼身自殺。

実は、北野さんのお父さんは、北野さんが小学生の頃に、
農業から不動産業に転身し、それまでの貧しかった暮らしから、
裕福な暮らしを手に入れられていたのですが、

お酒に溺れて事業を破綻させてしまい、
うつ病となり、自殺に至ったのでした。

その後、北野さんは、残った借金を返済するために、
自宅だけを残し、土地のほとんどを売却するなど、
煩雑な債権処理に追われるのですが、

その影響で、この頃から芸風が雑になっていき、
表情も乏しく陰鬱な雰囲気になってしまいます。

当然、北野さんには誰も近寄らなくなってしまい、
北野さんを誰も使いたがらず、出演番組が改編で終了すると、
またもや仕事がない状態になってしまったのでした。


「探偵!ナイトスクープ」で知名度を上げる


しかし、あまりの北野さんの憔悴ぶりに、
やしきたかじんさんが、北野さんの起用を渋るテレビ局を説得し、
自身の番組に度々ゲスト出演させてくれるなど、手を差し伸べてくれると、

同様に、嘉門達夫さんも、「探偵!ナイトスクープ」で、
北野さんを新探偵として推薦してくれたそうで、

北野さんは、新探偵として中途加入されると、その後、
「探偵!ナイトスクープ」が高視聴率番組に成長したことで、
北野さんの認知度もアップ。

ふさぎがちだった気持ちも次第に明るくなっていき、
ようやく、北野さんは、普通に振る舞えるようになったのでした。


「探偵!ナイトスクープ」より


「誠のサイキック青年団」


そして、1988年には、北島三郎さんの次男、大野誠さんが、
ロックバンドのボーカル「MAKOTO」として活動を始めた為、
大野さんに譲る形で芸名を本名の「北野誠」に改名し、

同年には、深夜のラジオ番組、
「誠のサイキック青年団」がスタート。


「誠のサイキック青年団」より。北野さんと竹内義和さん。

この番組では、世相から芸能、政治、経済、下ネタなど、
ありとあらゆる分野の話題で北野さんがトークを展開すると、

深夜番組、かつ、大阪だからこそ言える、
本音トークで人気を博したのでした。

(その後2009年まで続く長寿番組となっています。)


東京での苦悩の日々


こうして、ようやく軌道に乗った北野さんは、
1990年代初め、大阪を拠点に、
名古屋、東京と活動範囲を広げられるのですが、

東京でレギュラー出演されていた番組が、
「やらせ」「予算削除」「低視聴率」「過剰演出」などの理由で、
次々と打ち切られるという憂き目にあい、

さらには、あらかじめ事細かに決められたコントやネタに沿って、
番組が進行する東京(全国ネット)のテレビ番組では、
北野さんの得意とするアドリブが活かせず、
北野さんは、またしても苦悩の日々を送ることとなったのでした。

そして、1993年、ラジオ番組「誠のサイキック青年団」で、
北野さんの発言が大きな騒動を引き起こしてしまいます。

「現在は?謹慎の真相は?山本リンダ?怪談おまえら行くな!」に続く



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