「コマキスト」と呼ばれる熱狂的な男性ファンを生み出すなど、アイドル的存在として、男性を中心に絶大な人気を博した、栗原小巻(くりはら こまき)さん。今回は、そんな栗原さんの少女時代とブレイクに至る経緯についてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名の由来は?父は?弟は?

栗原さんは、1945年3月14日生まれ、
東京都世田谷区のご出身、

身長163センチ、
体重46~48キロ、

血液型はO型、

学歴は、
桐朋女子高等学中退
⇒チャイコフスキー記念東京バレエ学校卒業

特技は、
洋裁、ロシア語、クラシックバレエ、

ちなみに、「栗原小巻」は本名で、

お父さんが、

二人でも食いかねているのに、子供が生まれる。困ったな、困り切った。

と、「小巻」と命名されたのだとか。

このお父さんは、演出家・児童劇作家の栗原一登(くりはら かずと)さんで、弟さんも演出家の加来英治(かく えいじ)さん。加来さんは、栗原さんのために設立した演劇制作プロダクション「エイコーン」で代表取締役を務められています。


弟の加来英治さん。

少女時代はバレリーナを志していた

栗原さんは、幼い頃、西洋文化・芸術に憧れ、バイオリンとバレエを習い始めたそうで、当初は、バイオリニストを目指していたそうですが、限界を感じたのか辞めると、

もうひとつの習い事であるバレエの道を志し、高校を1年で中退して「チャイコフスキー記念東京バレエ学校」に入学。

すると、そこでは、モスクワの「ボリショイバレエ団」から教師として来日していた、スラミフ・メッセレルさん、アレクセイ・ワルラーモフさんから、直接指導を受けたそうで、

その際、メッセレルさんから、

バレエをやるには演技力の基礎訓練が必要

と、言われたことから、1963年、「チャイコフスキー記念東京バレエ学校」を卒業後は、劇団「俳優座」養成所に入所されます。

バレリーナから女優に転身

そして、同年、「アンナ・カレーニナ」で初舞台を踏み、翌年の1964年には、「みつめいたり」で、「俳優座」同期の高橋長英さんとW主演でテレビドラマデビューされるのですが、

(ただ、栗原さん、高橋さんともに、まだ養成所の素人だったことや、内容も社会性が強く地味で暗かったことから、このドラマはお蔵入りとなってしまい、実際に放送されたのは4年も後の1968年となっています)

そこで、演技のおもしろさに目覚め、やがて、バレエのレッスンよりも、養成所での活動が大部分を占めるようになったそうで、

養成所を卒業後の1966年には、「俳優座」の座員(準座員)となり、本格的に女優の道へ進むことになったのでした。

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コマキストが続出

そして、翌年の1967年、NHK大河ドラマ「三姉妹」で、ヒロインの末妹・雪役を演じると、たちまちブレイク。


「三姉妹」より。(左から)藤村志保さん、岡田茉莉子さん、栗原さん。

その後も、栗原さんは、

テレビドラマでは、

1967年「木下恵介劇場・木下恵介アワー『今年の恋』」
1968~1969年「木下恵介劇場・木下恵介アワー『3人家族』」
1970年「木下恵介劇場・木下恵介アワー『二人の世界』」
      NHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」
1978年 NHK大河ドラマ「黄金の日日」


「今年の恋」より。栗原さんと加藤剛さん。

映画では、

1967年「ゴメスの名はゴメス・流砂」
1971年「戦争と人間 第一部 運命の序曲」
     「戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河」
     「いのちぼうにふろう」

1972年「忍ぶ川」
1974年「サンダカン八番娼館 望郷」
1977年「八甲田山」


「ゴメスの名はゴメス・流砂」より。栗原さんと仲代達矢さん。

ほか、清楚な美しさと芯の強さを併せ持つ女性の役を多く演じられると、プロ受けする高い演技力とその現代的な美貌から、栗原さんの熱狂的男性ファン「コマキスト」が続出。

吉永小百合さんの熱狂的男性ファン「サユリスト」と共に、アイドル的存在として、人気を二分されたのでした。

ちなみに、1968年には、日生劇場「三人姉妹」のイリーナ役で初舞台も踏まれると、テレビ、映画と並行して舞台でも活動するようになり、1971年には、「そよそよ族の叛乱」「第6回紀伊国屋演劇賞個人賞」を受賞されています。

「栗原小巻のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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