1977年、17歳の時、「お元気ですか」でレコードデビューすると、1982年、23歳の時には、バラエティ番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」の「欽ちゃんバンド」のメンバーとして人気を博し、

その後は、明るくほがらかなキャラクターで、情報番組の司会やコメンテーターとして活躍するほか、女優としても数多くのテレビドラマや映画に出演した、清水由貴子(しみず ゆきこ)さん。

今回は、そんな清水由貴子さんの若い頃から死去までの経歴を、代表作を交えて時系列でご紹介します。

清水由貴子

「清水由貴子の生い立ちは?高1で「スター誕生!」でグランドチャンピオン!」からの続き

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清水由貴子は17歳の時に1stシングル「お元気ですか」でレコードデビュー

1976年2月18日、オーディション番組「スター誕生!」で第16回グランドチャンピオンになり芸能界入りした清水由貴子さんは、

1977年3月1日には、ファーストシングル「お元気ですか」でレコードデビューを果たすと、8.2万枚を売り上げるヒットを記録しています。

清水由貴子
「お元気ですか」

また、同じ1977年にデビューした榊原郁恵さん、高田みづえさんと共に、「フレッシュ三人娘」と呼ばれ、アイドル的な人気を博しました。

榊原郁恵、高田みづえ、清水由貴子
(左から)榊原郁恵さん、高田みづえさん、清水由貴子さん。

清水由貴子は「日本レコード大賞新人賞」を榊原郁恵との決選投票で落選していた

ちなみに、清水由貴子さんは、デビュー曲「お元気ですか」のヒットで、日本歌謡大賞新人賞など多くの新人賞を獲得しているのですが、有力候補とされていた「1977年(第19回)日本レコード大賞」の新人賞は受賞することができませんでした。

実は、日本レコード大賞の新人賞は、(1969年から)あらかじめ複数人(4~5人)選出され、大晦日の生放送で最優秀新人賞を1人選出する方式だったのですが、

この年(1977年)は、歴史的な大豊作だったことから、11月下旬にノミネート発表特番「速報!日本レコード大賞」が生放送され、

この番組内で、当時最新鋭のコンピューター審査を導入して「約10組の有力候補の中から、大晦日の本番に進める5組(新人賞)をその場でリアルタイムに絞り込んでいく」という選考プロセスで、

  • 1枠目は、清水健太郎さんが過半数を得て決定。
  • 2枠目は、誰も過半数に達しなかったことから、1位の高田みづえさんと2位の狩人の決選投票で高田みづえさんに決定。
  • 3枠目は、狩人が過半数を得て決定。
  • 4枠目は、誰も過半数に達しなかったことから、1位の太川陽介さんと2位の清水由貴子さんの決選投票で太川陽介さんに決定。
  • 最後の5枠目も、誰も過半数に達しなかったことから、1位の清水由貴子さんと2位の榊原郁恵さんの決選投票で榊原郁恵さんに決定。

という結果となっており、

清水由貴子さんは、4枠目で太川陽介さんに敗れ、最後の5枠目でも榊原郁恵さんに敗れるという、番組上もっとも過酷でドラマチックなポジションとなったのでした。

(清水由貴子さんの悲しげな表情がテレビ画面に大きく映し出されたそうです)

ちなみに、「スター誕生!」で司会を務めた萩本欽一さんは、後にこの時のことを、

同情とは別の部分で、その執念を理解した。立っているだけで哀愁を感じさせ、この子が有名になることで幸せになるなら後押ししたいと思った。それは、百恵ちゃんと清水由貴子の2人だけだったね・・・

と、語っています。

清水由貴子

清水由貴子は20歳頃はシングルを次々とリリースするも全く売れなかった

以降、清水由貴子さんは、

  • 1977年3月1日「明日草」
    「明日草」
    「明日草」
  • 1977年7月1日「ほたる坂」
  • 1978年2月25日「天使ぼろぼろ」
  • 1978年6月1日「多感日記」
  • 1978年9月1日「歌を重ねて」
  • 1978年12月5日「神様・なぜ愛にも国境があるの!」
  • 1979年9月21日「言問橋」

と、次々とシングルをリリースするのですが、どれもヒットとはなりませんでした。

清水由貴子は20歳の時にテレビドラマ「欽ちゃんドラマ・Oh!階段家族!!」「花よめは16歳」に出演

そこで、清水由貴子さんは、萩本欽一さんや同じレコード会社の杉良太郎さんの後押しもあり、

1979年4月、20歳の時には、「欽ちゃんドラマ・Oh!階段家族!!」でコメディドラマに初出演すると、同年11月には、「花よめは16歳」でテレビドラマ初主演を果たすなど、活動の場を徐々に歌手からテレビドラマやバラエティに移しています。

「花よめは16歳」
「花よめは16歳」より。

清水由貴子は23歳の時に「欽ちゃんの週刊欽曜日」にレギュラー出演し人気を博していた

そして、1982年、23歳の時、バラエティ番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」にレギュラーとして出演すると、

萩本欽一さん、佐藤B作さん、小西博之さん、風見しんごさん、清水善三さん、天園翔子さんから成る「欽ちゃんバンド」でエレクトリックピアノを担当し、たちまち人気を博したのでした。

小西博之
「欽ちゃんの週刊欽曜日」より。左が萩本欽一さん、中央上が佐藤B作さん、中央下が風見しんごさん、右上が清水由貴子さん、右下が小西博之さん。

ちなみに、「欽ちゃんバンド」は、ボードゲームまで発売されるほどの人気ぶりだったといいます。

欽ちゃんバンド
「欽ちゃんバンド」のボードゲーム。

清水由貴子は23歳の時に小西博之とのデュエット曲「銀座の雨の物語」がヒット

また、清水由貴子さんは、1983年9月21日(23歳)には、「欽ちゃんの週刊欽曜日」での共演者・小西博之さんとのデュエット曲「銀座の雨の物語」(作曲:南こうせつ)をリリースすると、オリコンチャート25位のヒットとなっています。

「銀座の雨の物語」
「銀座の雨の物語」

清水由貴子は28歳の時にヤクルトのCMが大きな話題となっていた

さらに、清水由貴子さんは、1987年、28歳の時には、

ヤクルトのCMで、幼稚園に通う息子に、

亀はおいていきなさい、亀は

というセリフが大きな話題となり、以降、十数本もシリーズ化されています。

清水由貴子
ヤクルトのCMより。

清水由貴子は30代から40代は「ザ・スターボウリング」の司会や情報番組「ジャスト」のコメンテーター

そんな清水由貴子さんは、親しみやすいキャラクターを活かして、1990年代には、「ザ・スターボウリング」の司会など、バラエティ番組の司会を務め、1998年~2005年には、情報番組「ジャスト」のコメンテーターとしても活動するほか、

女優としても数多くのテレビドラマに出演しています。

「ザ・スターボウリング」
「ザ・スターボウリング」より。黒部幸英さんと清水由貴子さん。

清水由貴子は35歳の時に念願だった自宅(推定1億円)を建てていた

ちなみに、清水由貴子さんは、1994年、35歳の時には、東京・吉祥寺に念願だったという自宅(推定1億円)を建てたそうで、

1996年5月、トーク番組「徹子の部屋」に出演した際、

家のカギがカチャッと開いたとき、うれしかった。母が涙ぐんで・・・

と、感慨深げに語っています。

清水由貴子は48歳の時に芸能界を引退

そんな清水由貴子さんは、2006年、47歳の時には、

母親の介護も兼ねてゆっくりしたい

という理由から、デビュー当時から在籍していた所属事務所「芸映」から独立すると、

以降、1999年から出演していた山梨放送の「ともちゃん家の5時」というレギュラー番組1本に絞って芸能活動を継続するも、

2007年には、ついに、9月の番組改編に伴い同番組も降板し、芸能界を引退しています。

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清水由貴子は49歳の時に父親の墓前で自殺していた

しかし、それからわずか1年半後の2009年4月、静岡県・冨士霊園のお父さんの墓前で清水由貴子さん(49歳)が亡くなっているのが発見されました。

傍らには「要介護5」で身体が不自由な80代のお母さんが置き去りにされていたといいます。

また、未送信の携帯メールには妹の良子さんへの感謝の言葉が残されており、清水由貴子さんは自ら命を絶ったとみられました。

「【画像】清水由貴子の歌と出演作品(ドラマ,映画,CM,ラジオほか)」に続く

お読みいただきありがとうございました

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