当初は、東映の大部屋俳優として、「斬られ役」「死体役」だったものの、東映の大スター、鶴田浩二さんの付き人になったことがきっかけで、鶴田さん主演の映画で、チンピラ役をもらうようになった、川谷拓三(かわたに たくぞう)さん。そんな川谷さんは、脇役ながらも、体を張った演技で次々と熱演し、次第に知名度を高めていきます。
「川谷拓三の若い頃は斬られ役と殺され役の専門俳優だった!」からの続き
「全身火だるま」「リンチで惨殺」を熱演
川谷さんは、1971年には、映画「懲役太郎・まむしの兄弟」「鉄砲玉の美学」などに出演されると、映画「現代やくざ 血桜三兄弟」では、日本映画史上初となる、「全身火だるま」になるシーンを熱演。
また、この役者魂が認められたのか、1973年からは、 深作欣二監督の「仁義なき戦い」シリーズに起用され、第2作目となる「仁義なき戦い 広島死闘篇」では、モーターボートで海中を引きずり回された挙げ句、木に吊るされてピストルやライフルの標的にされ、無残な死を遂げるチンピラ役を熱演されています。
「仁義なき戦い 広島死闘篇」で熱演する川谷さん(右)と千葉真一さん(左)。
本当に死にかけていた
ただ、川谷さん、このロケでは、本当に死にかけていたというのです。
というのも、川谷さんを両手首をロープで縛って海面で引っ張っていくはずの予定が、実際には、川谷さんの体がクルクルと回って海の中に潜ってしまったそうで、
慌てて、共演者・スタッフ一同が川谷さんに救命具を投げたそうですが、川谷さんは、水を飲んで失神していたため、反応なし。
その後、引き上げられ、心臓マッサージにより回復し、なんとか事なきを得ていたというのです。
問題のシーン
「仁義なき戦い 代理戦争」で初めてポスターに名前が掲載
しかし、川谷さんは、そんな甲斐あって、次作「仁義なき戦い 代理戦争」では、出演が予定されていた荒木一郎さんの降板で、急遽、代役を探す中、山城新伍さん、成田三樹夫さん、渡瀬恒彦さんら出演者の推薦により、セリフがいくつもある、ヒモでチンピラの西条勝治役に抜擢。
川谷さんは、この「仁義なき戦い 代理戦争」で、初めてポスターに名前が載ったそうで、それは、川谷さんにとっては、至福の瞬間だったそうです♪
「仁義なき戦い 代理戦争」のポスター。ちゃんと川谷さんの名前が記載されています。(タップで拡大できます)
深作欣二監督も絶賛のやられ役
また、川谷さんは、1975年には、深作監督作品「県警対組織暴力」で、久能(菅原文太さん)と河本(山城新吾さん)の二人の刑事に、取調室で凄惨な取り調べを受けるチンピラ・松井卓役で、迫真の演技を披露され、「京都市民映画祭」の助演男優賞を受賞されているのですが・・・
「県警対組織暴力」より。菅原さん(左)と山城さんにいたぶられる川谷さん(右)。
実は、このシーン、山城さんが、撮影前に深作監督から、「本当に殴っていい」と言われたため、本気で殴ったそうで、その翌日、川谷さんは顔をボコボコに腫らしていたというのです。
ただ、これも、「本気で殴れ」と言ったのは、川谷さんご本人だったそうで、
深作監督はそのことについて、
やられる役をやらしたらこいつは一級だという役者というのはなかなかいない。外国でも、やられ専門で一級まで上り詰めたのはあまりいないんじゃないですか。
やられてヒイヒイ言いながら、拓は一所懸命アドリブも考えて、ドアにぶつかって「ちょっと」と外の廊下に向かって言う(笑)。やられる芝居をお客もまた期待してるっていうのは立派なスターですよね。
と、川谷さんのことを絶賛されています。
こうして川谷さんは、深作監督により、1974~1976年には「新仁義なき戦い」3部作、1975年には「資金源強奪」、1976年には「やくざの墓場 くちなしの花」「暴走パニック 大激突」と、立て続けに起用され続け、その存在はやがて、世間に大きく知られていくことになるのでした。
「川谷拓三の昔は?ショーケンからスカウト?ピラニア軍団でブレイク!」に続く