「女の勲章」「悪名」で、一躍、映画スターの座にのしあがった田宮二郎(たみや じろう)さんは、その後も、数々のシリーズで主演を務め、「大映」の看板俳優として活躍されていたのですが・・・
「黒シリーズ」「犬シリーズ」「白い巨塔」で人気を不動のものに
「女の勲章」「悪名」で、一気にスターダムにのしあがった田宮さんは、その後も、「黒の試走車(テストカー)」「黒の凶器」などの「黒シリーズ」(1962年)、「宿無し犬」などの「犬シリーズ」(1964年)でも主演を務められると、180センチの長身に端正なルックスで絶大な人気を博し、「大映」の看板俳優として活躍。
「喧嘩犬」より。田宮さんと浜田ゆう子さん。
そして、1966年には、山崎豊子さんの同名小説を原作とする映画「白い巨塔」で財前五郎役を演じられると、その地位を確固たるものにします。
「白い巨塔」での演技は納得いくものではなかった?
ちなみに、田宮さんは、この「白い巨塔」に惚れ込み、見事に、財前五郎役を演じきられたのですが、財前が43歳という設定に対し、田宮さんは31歳だったため、ヒゲなどを蓄えて演じられたものの、納得いくものではなかったようで、
田宮さんと親交のあった美輪明宏さんは、
やっぱり最初の頃は堅いし。やっぱり無理あるし。やっぱり演じよう演じようとしてましたからね。だから、私は「芝居をしなさんな」って言ったんですよ。
「一切芝居をする必要は無い」と。「その主人公がそこにいればそれでいい」って言ったんですよ。「その本人自身だから嘘が無い」って言ったんですよ。
ところが役を演じよう演じようとすると、どんなに上手いことやってもしゃらくさいしね、鼻に付くって言ったんですよ。技巧ばかり目に付く。そんなのはもう舞台ではいいけども映画とかそういうものでは一切ダメよって。
と、助言されたことを明かされています。
「白い巨塔」より。
映画「不信のとき」のポスターの序列に不満を抱く
こうして、映画俳優として確固たる地位を築き、その人気を不動にした田宮さんは、1965年には、女優の藤由紀子さんと結婚されるなど、公私ともに順調だったのですが、
1968年、主演映画「不信のとき」の宣伝用ポスターでは、主役であるはずの田宮さんの名前が、4番手扱い(5番手という説も)に。
(その序列は、「大映」の看板女優である若尾文子さんがトップ、「松竹」の専属女優で、田宮さんより年齢もキャリアも下の加賀まりこさんが2番、独立系の映画を中心に活動していた岡田茉莉子さんが3番だったそうです。)
いくつもの主演シリーズで人気を博し、「大映」の看板俳優として活躍した田宮さんにとって、この序列は、黙っていられないほどの大きな問題であったため、田宮さんは、撮影所長に抗議されたのですが、
撮影所長は、
この作品は女性映画として売りたいからこうなった。私の首にかけてもこの序列を変えることはない。
と、序列を変えることを拒否。
それでも納得いかない田宮さんは、その場で「大映」の副社長・永田秀雅さん(社長・永田雅一さんの息子)に電話をされたのですが、
役者ごときが注文をつけることではない
と、叱責され、再び却下されてしまったのでした。
「大映」をクビに
これに納得のいかない田宮さんは、なんと、右翼の許斐氏利さんを伴い、社長の永田雅一さんに直談判。
すると、永田さんは、
主役のお前がアタマに書かれるのが当たり前や
と、理解は示したものの、話がまとまらず、
田宮さんが、
首をかけてもと撮影所長に言われたのだから、俳優の私が辞めるか(所長が辞める)しかない
と、言うと、
おい、思い上がるのもいい加減にしろ。お前は横綱・大関クラスの役者だと思っているんだろうが、まだ三役クラスの役者だ。人事に口を出すな
と、永田さんは激怒。
最終的には、刷り直したポスターの序列は、田宮さんの希望通り、田宮さんの名前がトップに印刷されるも、田宮さんは、契約期間を残したまま、一方的に解雇されてしまったのでした。
「田宮二郎はクイズタイムショックで再ブレイクしていた!」に続く
映画「不信のとき」のポスター。田宮さんの名前がトップに刷り直されています。