デビュー以来、60年以上もの間、数々のテレビドラマや映画などに出演し、70代後半に差し掛かる今もなお、女優として活躍されている、十朱幸代(とあけ ゆきよ)さん。今回は、そんな十朱さんのデビュー当時についてご紹介します。
「十朱幸代の父親は俳優の十朱久雄!」からの続き
NHKの連続ドラマ「バス通り裏」で一躍人気を博す
映画俳優だった十朱久雄さんの娘として誕生した十朱さんは、4歳の時から、父・久雄さんの主宰する劇団に入団し、子役として出演されているのですが、
中学生の時には、銀座でスカウトされ、子役モデルとしても活動を開始すると、その後(1956年)、父・久雄さんに連れられてテレビ局を訪れた際にもスカウトされ、同年、クイズ番組「スリー・チャンス・ゲーム」で芸能界デビュー(お父さんと共演)。
そして、1958年には、NHK初の連続ドラマ「バス通り裏」で、主人公・元子役に抜擢されると、一躍、お茶の間の人気者になられます。
「バス通り裏」は遊びに行っている感覚だった
ちなみに、当時、テレビドラマは生放送だったため、十朱さんは、入学したばかりの高校を早退して、スタジオ入りする日々を送ったそうですが、よく、セリフを忘れ、友達役の岩下志麻さんとお互いセリフを忘れて笑っているうちに放送が終了したこともあったそうで、
(モデルをしていたのでカメラには慣れていたが)女優としての勉強は何もしていない、素養もない。でも“そのままがいい”と言われて、遊びに行っているようなものでした(笑)
と、演技は素人同然だったそうですが、
逆にそれが自然体な感じで良かったのか、この「バス通り裏」は、当初、ワンクールだけの放送予定が、1963年まで続く大ヒットとなっています。(途中から生放送ではなく収録になったそうです)
「バス通り裏」より。手前が十朱さん。
木下惠介監督に見初められ「惜春鳥」で映画デビュー
そんな十朱さんは、1959年には、このドラマを見た木下惠介監督に見初められて、「松竹」に入社し、同年、木下監督作品「惜春鳥」(せきしゅんちょう)で映画デビューも果たすと、
「惜春鳥」より。石浜朗さんと十朱さん。
以降、
1959年「パイナップル部隊」
「三人姉妹」
「三羽烏三代記」
「三人姉妹」より。(上から)十朱さん、九条映子さん、杉田弘子さん。
1960年「流転」
「次朗物語」
「春の夢」
「次朗物語」より。右が十朱さん。
1962年「春の山脈」
1963年「光る海」
「関の弥太っぺ」
「煙の王様」
「伊豆の踊子」
「雨の中に消えて」
「一心太助 男一匹道中記」
「春の山脈」より。十朱さん(左)と鰐淵晴子さん(右)。
と、立て続けに「松竹」の映画に出演。
ただ、
演じてみて力のなさに自分でも呆れました。特に舞台では歩く姿さえサマにならない。役をいただくたびに慌てて日本舞踊を習い、お茶を習い、三味線を習い…、そうやって、所作や決まり事を身につけたんです
と、自身の演技力のなさを痛感したそうで、地道に努力を重ねられたのだそうです。
「座頭市」「男はつらいよ」でヒロインに抜擢
その後、十朱さんは、1963年に「松竹」を退社して「日活」に入社されるのですが、しばらくは、石原裕次郎さん、小林旭さん、中村錦之助(後の萬屋錦之介)さんの、(ヒロインではない)相手役や、吉永小百合さん主演の映画の助演が続いたのですが、
1970年代に入ると、
「新座頭市物語・笠間の血祭り」(1973年)
「悪名・縄張荒らし」(1974年)
など、勝新太郎さんの主演作品でヒロイン役、
「新座頭市物語・笠間の血祭り」より。十朱さんと勝新太郎さん。
「男はつらいよ・寅次郎子守唄」(1974年)でも、13代目マドンナ役と、ついに主演級の役に起用されるようになったのでした。
「男はつらいよ・寅次郎子守唄」より。渥美二郎と十朱さん。