京都大学卒の高校教師だったお父さんのもとに誕生するも、小学5年生の時、両親が離婚し、母親に引き取られると、育児放棄され、中学からお兄さんと極貧の二人暮らしをされていた、風吹ジュン(ふぶき じゅん)さんですが、ひょんなことから芸能界に入られます。

「風吹ジュンの生い立ちが壮絶!中学から兄と二人の極貧生活だった!」からの続き

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高校進学を断念

お母さんから育児放棄され、お兄さんと2人、京都で寄り添うように暮らしていた風吹さんですが、高校受験の季節になると、担任の先生の家に住まわせてもらって勉強したそうで、その甲斐あってか、なんとか1次試験に合格。

しかし、2次試験の当日、お母さんが再婚したことを聞き、(呼び戻されたのか、理由は不明ですが)受験は放棄したそうで、結局、風吹さんは、高校へは行かず、その後、レストランなどで住み込みで働き始めます。

芸能事務所の社員に応募するもモデルとして採用される

その後、風吹さんは、1970年、18歳の時に上京し、銀座の高級クラブでホステスとして働き始めるのですが、慣れない仕事だったことから、次第に、

これは違う

と、思い始めるようになったそうで、

20歳の誕生日に、芸能事務所が社員を募集しているのを見つけ、

事務作業ならできると思った

と、応募し、面接を受けると・・・

なんと、その翌日、モデルとして採用されたそうで、翌週には、ハワイで撮影。

さらには、

風が吹くように現れたから風吹。名前は語呂がいいからジュンね

と、事務所の担当者が芸名までつけられたのでした。

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あっという間にトップアイドルに

そんな風吹さんは、1973年、21歳の時には、「初代ユニチカマスコットガール」に選ばれると、有名カメラマンのデイヴィッド・ハミルトンが撮影した、謎めいた儚(はかな)げな雰囲気のポスター写真が大きな話題に。


「ユニチカマスコットガール」の頃のポスター。

そして、

「ママはライバル」(1973年)
「若い!先生」(1974年)

と、テレビドラマにも出演するなど、あれよあれよと脚光を浴び、

翌年の1974年には、「愛がはじまる時」で歌手デビューも果たすと、舌足らずな歌い方と、コケティッシュな愛らしい表情で、アイドル歌手としても注目を集め、同年には、「三ツ矢サイダー」のCMにも出演するなど、一躍、トップアイドルの仲間入りを果たしたのでした。


愛がはじまる時

ちなみに、風吹さんは、

実感はわかなかった

と、語っておられました。

「風吹ジュンは若い頃拉致監禁事件の被害者だった?」に続く

https://www.youtube.com/watch?v=h-VeHqCln0k

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