サラリーマンを辞めて、劇団「東京キッドブラザース」に入団すると、一躍人気を博し、「東京キッドブラザース」の看板俳優となった、柴田恭兵(しばた きょうへい)さんは、やがて、村川透監督の熱心な誘いにより、テレビ業界に進出すると、テレビ業界でも人気を博します。

「柴田恭兵は昔アパレル会社で営業をしていた!」からの続き

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村川透監督からテレビドラマ業界にスカウトされる

瞬く間に、劇団「東京キッドブラザース」の看板俳優となった柴田さんは、デビューから2年後の1977年には、いい役者を探して小劇場に足繁く通っていた、村川透監督の目に留まり、

村川監督が、主宰の東さんに、

あの柴田という役者をテレビドラマで使わせてくれ

と、直談判したそうで、

東さんが、

本人がいいんだったら

と、許可したことから、

村川監督は、柴田さんを飲みに連れていき、お酒を酌み交わしながら、テレビドラマにスカウトしたそうですが・・・

柴田さんは、単調なサラリーマン生活に嫌気が差し、汗と涙が入り交じる「東京キッドブラザース」での舞台にやりがいを見出していたため、テレビドラマの仕事はサラリーマンと同じ単調な仕事に思えて魅力を感じず、はじめは、首を縦には振らなかったそうです。

「大都会」でテレビドラマデビュー

それでも、村川監督が熱心に口説き続けると、

ついに、柴田さんも、そんな監督の熱意に打たれ、

やってみてもいいか

と、出演を承諾したそうで、

柴田さんは、同年7月、村川監督が監督を務めた、テレビドラマ「大都会 PART II 第15話『炎の土曜日』」にゲスト出演し、テレビドラマデビュー。

すると、監督の読み通り、柴田さんが出演したこの回が好評を博したことから、柴田さんは、再び、同年12月、「大都会 PART II 第36回『挑戦』」にも出演。

そして、翌年の1978年には、村川監督にテレビドラマ「大追跡」で初のレギュラーに抜擢されると、1979年には、ついに、連続テレビドラマ「赤い嵐」で初めて主演に抜擢。


「大追跡」より。(左から)長谷直美さん、沖雅也さん、
藤竜也さん、柴田さん。

同年には、テレビドラマ「俺たちは天使だ!」でもレギュラー出演されると、柴田さんの人気はうなぎのぼりとなっていったのでした。

また、テレビドラマとの相乗効果で、舞台でも、「東京キッドブラザース」ブームが起こり、日本全国公演ほか、日本武道館公演やニューヨークでのロングラン公演も成功を収めるなど、柴田さんは、一躍、舞台の世界でも、スターとなられたのでした。

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「チ・ン・ピ・ラ」で映画初主演

そんな柴田さんは、すでに、1976年に、「ピーターソンの鳥」で映画デビューされているのですが、

その後も、

「最も危険な遊戯」(1978)
「白昼の死角」(1979)
「霧のマンハッタン」(1980)


「霧のマンハッタン」より。

と、立て続けに映画に出演されると、1984年には、「チ・ン・ピ・ラ」で初の主演に抜擢され、テレビドラマ同様、高く評価されたのでした。

「柴田恭兵の若い頃はあぶない刑事で大ブレイク!」に続く

「チ・ン・ピ・ラ」より。ジョニー大倉さん(左)と柴田さん(右)。

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